3-4 善は急げ

その日のアンサンブルの練習は悩み事が解消したせいか、絵梨も真智子もリラックスし、管弦楽グループとの演奏も今までになく息が合った。ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』の夢想的で細やかな旋律もシューマンの『アンダンテと変奏Op,46』の晴れやかで優雅な旋律も生き生きと響き渡り、演奏会に向けて邁進する皆の気持ちを映し出すようだった。


—そして、その日の夜、夕飯の時に真智子は慎一に単刀直入に幸人のことを聞いてみた。


「あのね、絵梨がこの前の食事会の時以来、幸人さんのことが気になってるみたいなんだけど……、率直なところ幸人さんって付き合ってる人とかいるのかな?」


「ごめん。叔父さんのその手の話はよく知らないんだよ。何しろ僕が三〜四歳の頃には奈良の家を出て東京で一人暮らしをはじめていたからね。あの性格だから友達は多いみたいだし、もしかしたら、僕たちぐらいの年代の時にはこっちで付き合っていた人とかいたのかもしれないけど、僕も子どもだったからね。よくわからなかった。叔父さん、奈良の実家にも時々帰って来たりはしていたけど。……高三の時にお世話になってた頃も叔父さんが僕のことを気遣っていたせいか、そういった話は特にしたことがなかったかな」


「そっか……。幸人さんの年齢のことを考えると、友人としては率直なところちょっと複雑な心境だよね。だけど、絵梨自身は年上好みみたいだし、失恋したばかりだから、気になってるんだと思うんだけどね」


「えっ、この前、絵梨さんが落ち込んでいた理由ってもしかして失恋!?」


「…えっと…、実はそうだったんだ。だけど、最近は立ち直りつつあるんだけど…」

思わず溜息を吐きながら、真智子は慌てて返答した。


「…それで、絵梨さんが立ち直りつつあるのはこの前、叔父さんと話したからだったりするのかな?」


「まあ、そればっかりが理由ではないと思うんだけど…幸人さんのことが気になってるのは確かなことみたい。だけど、絵梨、失恋したばかりだから、恋には臆病になってると思うし、アンサンブルのパートナーとしてはちょっと心配でね」


「じゃあ、善は急げとも言うから僕が今から叔父さんにそれとなく話して叔父さんの気持ちを聞いてみようか」


「そうだね。その方がいいかもしれない…。仮に幸人さんに彼女がいるのなら、早めに伝えてもらった方が絵梨も思い悩んだりする前に気持ちが切り替えれると思うし」


「わかった。じゃあ、夕飯を終えたら、早速、電話してみるよ」


 慎一は食事を済ませると叔父幸人の携帯に電話をかけた。丁度、仕事の資料に目を通していた慎一からの電話に気づいた幸人はすぐに電話に出た。

「叔父さん、慎一だけど、今、電話で話せる?」

「何か相談事?」

「ちょっと聞きたいことがあって」

「いいけど、何かな?」

「叔父さんって今、付き合ってる人はいる?」


「…何を突然、友達はたくさんいるよ」

「そうじゃなくて、恋人とか、結婚を考えてる人とか…。叔父さんもいい年だし、いても不思議じゃないとは思うけど、本当のところ、どうなのかなって思って…」


「なぜ、そんなことを…。いたとしても話せるような人はいないよ。例えば、友達付き合いだったとしても心の中では特別に思ってる場合もあるだろう?私の場合、そんな人ばかりで伝えるきっかけもなかったり、言いそびれているうちに相手の人が他の人と結婚したり……なんてことも過去にはあったからね」


「じゃあ、叔父さんのことが気になってる人がいるとして……」


「えっ、私のことが気になるって……もしかして絵梨さん?」

「うん。絵梨さん、叔父さんのことが気になってるらしいよ」


「そうか…。絵梨さんはまだ若いし、お嬢さんだからね。見守ってあげたいタイプではあるけど……まあ、今度、会う時までに考えておくよ。絵梨さんから名刺の連絡先に連絡してって伝えておいてくれるかな?」

「うん。わかった。じゃあ、真智子から絵梨さんにそう伝えるように言っておくね」

「じゃあ、演奏会、楽しみにしてるから、慎一君も体調に気をつけろよ」


 電話を切ると慎一はキッチンを片付けている真智子に言った。

「叔父さん、絵梨さんから名刺に連絡するように伝えてってことだけど」

「わかった。伝えておくけど、大丈夫かな」

「きっと大丈夫だよ」


真智子は失恋したばかりの絵梨のことが心配ではあったが、そのことで自分が思い悩んでも拉致があかないので、慎一に免じて幸人に任せようと気を取り直した。



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