3-2 将来の悩み

 演奏会が近づく一方で、絵梨が思い人の長谷部和也に失恋したことを真智子に打ち明けた一件以来、慎一や幸人と顔を合わせたことも影響し、真智子と絵梨の心の距離は縮まる一方だった。一人っ子で甘えん坊気質の絵梨は真智子のことをまるで姉のように慕うようになったし、アンサンブルの練習に伴に励んでいたことも手伝って、音大では個人レッスンや個別練習での時間以外はできるだけ一緒に行動していたふたりだったが、真智子が絵梨の他愛ない話の聞き役になることが多かった。高校時代から思い続けてきた長谷部和也への思いを諦めることになったことで、絵梨の心の中で宙ぶらりんになりかけたピアノへの情熱は真智子との友情に傾けられることで保たれた。


 そして、真智子が桐朋短大卒業後桐朋大学への編入を考えていないことが影響し、絵梨も当初予定していた桐朋大学への編入についてどうしようかと内心、迷いが生じはじめていた。また、編入を辞めた場合、先々のことについて全く考えていなかった絵梨は自分が今後、どうしたいか、真剣に悩むようにもなっていった。


—そして、初夏の陽射しが気になりはじめたある日、真智子と向かい合って学食でランチを食べている時に絵梨はポツリと言った。

「私、大学の編入試験を受けるの辞めようかなって考えてるんだ」

「えっ、それでいいの?大学に編入してもっと音楽の世界を広げていくんじゃなかったの?」

真智子は絵梨の突然の一言にびっくりした。


「編入試験を受けることについては長谷部先生に相談に乗ってもらっていたから、もう、なんだか面倒臭くなってきちゃったし、真智子が進学しないのに受ける意味があるのかなって思ってね…」


「だけど、私は慎一の支えでいることを第一優先にしているからそれでいいけど、絵梨は編入試験を受けてもっと活躍の場を増やして才能を生かしていった方がいいと私は思う。卒業後は今までのようには側にいれなくなるとは思うけど、絵梨のことはずっと応援してるし音楽仲間であることは変わりないし…」


「でも真智子と一緒じゃなきゃつまんないよ。慎一さんはいいな。真智子にずっと支えてもらえて」


「そうかもしれないけど、高三の時に慎一に出会って練習に励んだから、今はこうして桐朋短大に私は通ってるけど、そうじゃなかったら私は絵梨と出会えたかどうかもわからないからさ、絵梨も長谷部先生のことは辛いと思うけど、これからの出会いのことや昔から頑張ってきたことを思い出して、自分の将来についてあまり投げやりにならない方がいいと思う…」


「…真智子は慎一さんとの将来があるからね。私は自分の将来が今はなんだか見えなくなってしまったみたい」


「だからこそ、編入のことはしっかり考えた方がいいと思う。編入での進学も辞めたら将来のことがもっと見えなくなる可能性もあるでしょ」


「…確かにそうだけど…真智子も卒業後のことは何か考えてるんでしょ?」


「そうね。音楽に関わるアルバイト先でも演奏会が終わったら、探そうかなって思ってたけど、まだ具体的なことは何も決めてないかな」


「慎一さんもまだ芸大に通うんだし、真智子も桐朋大学への編入のことも考えればいいのに」


「でも両親に慎一との同棲を認めてもらっているだけで幸せなことだと思うから、これ以上の贅沢は慎一や慎一のお父さまに対して悪いと思うからね。でも絵梨はご両親から編入のことを許してもらっているんでしょ」


「まあ、そうだけど…」


「それなら、編入を辞めたら、ご両親に心配かけることになるんじゃないかな」


「…確かにそうだね。両親はそれはそれで受け入れてくれるとは思うんだけど、心配かけるね。わかった。もう少しよく考えてみる。それに先ずは演奏会成功させないとね」


「そうだね。ところで、演奏会には長谷部先生も来るの?」


「たぶん……、奥様を連れて来るかも。この前、結婚披露パーティで紹介されたけど、とても綺麗で大人で素敵な人で長谷部先生にお似合いだった。学生時代から付き合ってたんだって」


「…それは辛かったね。長谷部先生は絵梨の気持ちは知ってるの?」


「まさか…片想いだよ。もし気づいててもずっと先生と生徒の関係だったし。もう、手が届かなくなっちゃったんだなって打ちのめされた感じだけど、もともと片想いだからね、諦めるしかないなって…」


「…絵梨の人生はまだまだこれからなんだから、きっといい出会いがあるよ」


「そうかな…。まあ、今は真智子が支えてくれるからね」

絵梨はまだ辛いながらも幾分、吹っ切れた様子で真智子に向かって微笑んだ—。




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