2-7 シューマンの『アンダンテと変奏Op,46』
真智子がピアノを弾き終えてそっと絵梨の方を見ると、うとうとしながら絵梨は目を瞑っていた。真智子は寝室から毛布を持ってくるとそっと絵梨に掛けた—その
「ごめん。昨日の夜、あまりよく眠れなかったからちょっとうとうとしちゃって」
「いいのよ。出かけるのは夜七時頃だし、それまではゆっくりしてね」
「…だけどそうこうするうちにもうすぐ六時だよ」
「ホントだ。そろそろ慎一が帰って来る頃かも」
—雨音が強くなってきたのを気にしながら、真智子は窓辺に立った—。
「雨、強くなってきちゃったね。ごめんね。こんな日に家に押し掛けて」
「仕方ないよ。それに私が絵梨のことが心配で誘ったんだし」
「ありがとう……。一人で家に帰るのは今日は辛かったし、真智子から誘ってくれて嬉しかった。早く元気にならないとね」
そう言うと、気を取り直すように絵梨は立ち上がった。
「…せっかくだから、『牧神の午後への前奏曲』と『アンダンテと変奏Op,46』の連弾の練習でもしよっか」
「そうだね。練習してるうちに慎一も帰って来ると思う」
「どっちも真智子やアンサンブルのメンバーたちとの合奏曲だから、ピアノに向かっても長谷部先生のことも忘れていられるかもしれないし、それに真智子が隣りにいてくれるんだし…」
そう言って、絵梨が決意を決めたように慎一の母の形見のグランドピアノの前に座ったので、真智子も慌てて絵梨の隣りに座った。
「先ず、どっちの曲にする?『牧神の午後への前奏曲』にする?それとも『アンダンテと変奏Op,46』にする?」
真智子は絵梨の様子を窺うように言った。
「うーん、やっぱり、いざピアノの前に座ると緊張して、心痛が呼び起こされた。それにどっちの曲も弾き始めはけっこう神経使うんだよね」
「大丈夫?無理はしなくていいからね。少しずつ元気になればいいんだし」
「…ピアノの前に座るとね、ああ、長谷部先生に会いたいなって思っちゃうんだ」
「それなら、今日は無理しなくていいし…」
絵梨はしばらく考え込むようにしていたが、思いを振り切るように言った。
「えっと、でもせっかくだから頑張る!じゃあ、『アンダンテと変奏Op,46』にしよっか。弾き始めも真智子が先だしリズムに乗れたら弾けそうだから」
「了解。じゃあ、私から弾くね」
真智子が『アンダンテと変奏Op,46』の最初のフレーズを弾くと、続いて絵梨も自分のパートのフレーズを弾き、ふたりは連なるように旋律を重ねていった—。
曲の途中で呼び鈴が鳴った後、しばらくしてから慎一が玄関に入ってきたのを横目に感じながら最後まで弾き終えるとすかさず慎一が軽く拍手した。
「慎一、お帰り。こちら、アンサンブルのパートナーの長井絵梨さんよ」
「はじめまして。長井絵梨さん。真智子からどれぐらい聞いてるか知らないけど、ここの同居人の真部慎一です」
「はじめまして。真智子からは芸大に通ってる優秀な彼ってきいてるわ。今日、ふたりが同棲していることを初めて知ったの。このグランドピアノもいい音色ですね。お母様の形見なんですってね」
絵梨はいつもの調子が少し戻ってきたのか、リラックスした表情で慎一に微笑みかけた。
「ああ、僕たちが同棲していることは今日、初めて聞いたんですね。母の形見のグランドピアノ、気に入ってくれてよかった。亡き母もふたりが熱心に弾いてくれてきっと喜んでいると思いますよ」
「ええ、とてもいい音色だわ。あっ、ところで、せっかくだから慎一さんの演奏を聴いてみたいです。真智子は毎日のように聴いて刺激を受けているんだと思いますけどね」
「…だけど、そろそろ叔父が来る頃なので。突然の来客で夕飯をどうしたらいいかと思って以前一緒に暮らしていた叔父のことを咄嗟に思い出しちゃってね。どこか美味しい処に車で連れて行ってくれると思いますから。それに僕の演奏は演奏会でも披露しますので。演奏会、真智子と一緒に来るでしょ」
「はい、もちろん。楽しみにしてます!」
絵梨がそう言って、目を輝かせた丁度その
「叔父が来たかな?」
慎一が来客モニターを確認するとそこには叔父の真部幸人が立っていた。
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