1-6 憧れの人

 絵梨と真智子は今までにも連弾の練習した後、仙川駅まで一緒に帰ったことが何度かあったが、絵梨はひとりっこでお嬢さん育ちのせいかお喋りで、歩いている間にも普段のレッスンのことや、日常的ななんて事ないことなど、思いつくままどんどんお喋りする話に相槌打ってるうちにあっという間に駅に着いてしまうので、真智子はいつでも聞き役だった。その日も校門まではいつもの雰囲気で絵梨が喋っていたのだが、校門に来たところで、絵梨は突然、言った。


「今日、真智子さんを食事に誘ったのは私が話したいことがあったからだけど、真智子さんの話も聞きたかったんだ」

「えっ、そうなの?」

「そうよそうよ。だっていつも私ばかりお喋りしてるんだもん」

「絵梨さんのお喋り、楽しいよ」

「そうかもしれないけど……、私ばかり喋ってるのってなんかつまんないし、真智子さんの話も聞きたい。それに真智子さんともっと仲良くなりたいから誘ったのよ」

「うん。そうだよね。ありがとう。でも改まって話すっていっても…」

「だから、ほら、初めて一緒に練習した時にちらっと話した芸大の彼のこととかさ」

「私、彼って言ったっけ?」

「だって、そうでしょ。高三の時に一緒に練習してたんだから。その後、別れてなければ彼でしょ。真智子さん、彼のこと話してる時なんとなく嬉しそうだったし、きっと今でも付き合ってるんだと思ってた。それとも大学に入った後、疎遠になって別れたとか?それとも友人どまりとか?他に彼女がいるとか?もし、そうだったら、ごめんね」


 絵梨がそこまで話した時、丁度仙川駅に着いた。


 ふたりは改札口をなんとなく黙って通り過ぎたが、京王線の新宿方面行きの駅のホームに到着すると絵梨が黙ってられないといった感じで話し始めた。


「それで、さっきの続きだけど、実際のところ、彼氏なの?それとも今は別の彼氏がいるとか?それともバイトとか何か他の用事で忙しい?とにかく、真智子さん、いつもさっさと帰るから、何かあるはずだと思ってた」

「ええ……まあ……」


真智子は慎一のことを絵梨に話すべきかどうか迷っていたので、どう返事すべきか戸惑い、咄嗟に話を逸らした。


「あのさ、ところで、絵梨さんは彼氏いるの?」

「えっ私?好きな人はいるよって、狡い真智子さん、私のことより真智子さんはどうなの?好きな人のこと」

「ええ、まあ……」

「ええ、まあ……さっきからそればっかり」


絵梨がそう言った時、電車がホームに入ってきた。真智子は絵梨に慎一のことを話すべきかどうかをまだ迷っていたが、ふたりで電車に乗り込むとぽつりと言った。


「ええっと、じゃあ、絵梨さんの好きな人のこと教えてくれる?教えてくれたら、私のことも話そうかな」

「そうだね。言い出しっぺは私だし。いいよ。話しても。私、実は高校時代にピアノを教わっていた先生で憧れている人がいるの。まあ、私は先生にとっては生徒の一人にすぎないんだけどね。でも先生の推薦で桐朋短大に進学できたの。それに自分の気持ちに気づいたのも高校卒業して音大に入ってからだし、先生になかなか会えなくなってどうしようもなく会いたいって思ってる自分に気づいてね。それで、進路のことで相談したいって理由で連絡したら、会ってくれたんだ。それで、君は短大では勿体無いし、もっと実力を伸ばせるよう大学に編入したらってアドバイスしてくれて、時々練習見てあげるよって言われて。でも、先生、忙しいし、昔も今も変わらず、生徒のうちの一人なんだけどね。それに先生には特別な人がいるかもしれないし……」


「そっか、そっか。憧れの人がいるのね。絵梨さんが好きになる人だからきっと素敵な人だよね」

「もしかしたら、演奏会に時々参加してるから真智子さんも知ってるかも。長谷部和也はせべかずやっていうんだけど」

「ごめん。私、演奏会は聞きにいってるけど名前までしっかりチェックしてなくて」

「真智子さんは芸大の彼のことがあるものね。で、その彼とはどういう関係?私ばかり話すのは狡いよ」

絵梨がそう言ったところで、新宿駅に着いた。

「あ、駅についたところだから、今はいいよ。レストランで話してね」


真智子は黙って頷いた。ふたりは電車を降りると雑踏に続いて改札へと向かった。


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