第7話 偏屈が正しい
紆余曲折の生き方で、世の中の捉え方が変わる。
中退、フリーター、公務員、会社員、自営業と生きているなかで変わる身分。その時々で自分の目から入る情報や景色が自分の置かれた状況と照らし、考えや思いが出てくる。ゆうたろうは、思いに更けるときに午後の公園で黄昏の景色をみながら、金があるときは、今日は何をたべようか?金が無いときは、世の中の馬鹿野郎!と罵る。単純明快である。木々が揺れて木の葉が舞い、砂煙が舞い、人々の髪の毛が舞う。風、木、人、そして、ゆうたろう。身近にいて何も語らない自然。何かを伝えてほしいが、聞き入れる精神状態に余裕がない世の中。すべては金なんだと完全に凹まされる。
執念と言う気持ちが生まれない。なにがなんでも守るという気力が続かない。目的目標がない。ふわふわと生きてりゃあ、それでいい。この状態は、もう幸せなんでしょう。たとえ何かを守りきったから何でしょうか?守ったという自己満足でしょう。そう、自己満足。なにもこれ以上する必要がない。ゆうたろうは、黄昏が徐々に暗くなりつつある公園の景色をじっと見つめながら、思考がこの景色のようになってきているのが不安であった。
ゆうたろうは客観的に、世の中を妬んでいる。自分が到底、抵抗できない巨大な事象にアニメの正義が打ち勝つような幻想をいつまでも抱く。そのヒーローが俺だと信じ込んでいる。アニメがフィクションであり、現実ありえないことなどわかりきっているが、可能性は0ではないと信じ込んでいる。幼少期からの幻想がいつまでも頭によぎり、抜けきらない。理想と現実との違いからくる挫折感が半端なく深い。俺はこの世の中をなんとかするために生きてきたのではないか。なんとかとは何だ。正義を知らしめるために具体的行動しているのか。
しかし、時すでに遅し。時が自分をゆらりゆらりと心を揺らし、そんなものどうでもいいか、と思わせる。実際にそうであろう。もう40代だ。中年だ。心身ともに劣化が始まり曲がり角に来ている。でも、しぶとく可能性はゼロではないと信じ込んでいる。
何かが自分に無比なる力を与え、そして劇的に世の中の不公平さを糺す人物になる日が必ず来ると信じ込んでいる。
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