第6話 はじまり



「いや〜悪くない初舞台だよ!」


冷えたビールは4杯目だ。

沖田は通りすがりの店員に「からあげ!あとハツのタレ」と注文して俺に向き直った。


「ほら食べて食べて、お腹も空いたでしょ。奢りだからさ」


「奢られな割あわんわ…なんやったん今日…最低…」


「今なら泣いてもいいよ、ほらお兄さんの胸に飛び込んでおいで」


俺は傍のウーロンハイを飲み干し、勢いよくジョッキを机に叩きつける。灰皿が浮いてゴトン、と机に着地した。


「…なんも聞かせんと、急にあんなとこ連れてって、急に舞台立てってなにやらせんの。今回限りやでこんなん」


「え!!!!困るよ、君がいいのに!」


「はぁ?!今日のん見て何がええねん!あんな…!」



あんな、客に嘲笑されて。

値踏みされるような目で見られて。

拍手すらなくて。

灰色のカーテンの向こうが、どんなにか安心したことか。

あの汚いキッチンに隠れられたことが、どれだけ。


「幸一くん、あのね」


沖田は迷いなく話し始める。

視線は俺を見て泳がない、しかし、ゆらゆらとたのしそうに揺れていた。


「相方が、お笑いもうやめるって言い出したんだ」


細い指が枝豆の皮をいじる。


「結婚するんだって。今のバイトから社員登用してもらってまともになるんだって言ってた」


「…同情させようったって、」


「ほんとごめんだけどね」


言葉を遮り、沖田は一拍息を吸う。


「最初は幸一くんを都合よく使おうとしてたよ」


「…そうやろな」


「焦ってた。相方と連絡が取れなくなった。でも今日は来る。どんなことが起ころうが、舞台は始まる。そこに上京したての、ツッコミのうまい若い子がいたから」


「たぶらかそう」


「人聞きの悪い」


実際そうだったんだろう、と視線を外せば、店員と目があった。

ご注文ですか?と聞かれてあわてて卵焼きを注文する。

ついでとばかりに、沖田が「八海山」と発声した。


「でも実際舞台に立たせたらこれだもん」


「これって」


「2分のネタを全部暗記、泳がない視線、口は下手だけどツッコミはキレがあった。ハケも速くてよかった」


「何が言いたいん」


一息置いて、沖田は微笑む。


「幸一くん、おもしろいってことだよ」

「ビールお持ちしました〜」


ゴト、とジョッキが置かれた。

注文していた串やからあげが並べられ、空いた皿が店員に片付けられていく。

沈黙。

店員は作業ですという顔をしてその場を去った。


「ねえやっぱり俺らさ、コンビ組もうよ」


「嫌や、俺は大学通って普通に暮らして普通に死ぬんやから邪魔すんなや」


ケタケタと沖田がのけぞった。

机が揺れるほどの笑い声だが、周りの喧騒に混ざって誰も注目しない。


「つまんないねぇ!まるで墓場探しじゃない」


その言葉に体が凍る。

そうだ、俺は、父が言ったテッペンになりたくて。

なれなくて、ここに。

ここに死に場所を探すような気持ちで来たんだ。

視線をからあげに、この喧騒の中、換気扇の音がよく聞こえた。


「このご時世さぁ、普通やって普通に死ねるも思わない方がいいよ」


頬杖をついて、細い脚を通路に投げ出して沖田は言った。

柄の悪いかっこうをして、柄の悪いことを言おうとしているのだ。


「消費税上がって、教育も困難で、結婚も子供もできやしない世の中じゃない。普通なんて夢物語みたいなもんでしょ」


庶民の愚痴だ。

落胆して八海山を口に含む。

何を言いたいのだ、とちらと目の前の男を見れば、楽しそうにビールを飲んでいた。ここまで楽しそうな飲まれ方をすれば、ビールも本望であろう。


「でもせっかく生まれたんだから。花咲かせたくない?」


「このご時世でできへんやろ、その言い分やとさ」


「だから足掻いて足掻いてさ」


細い人差し指が、ピンと立つ。


「テッペンとろうよ、ふたりでさ」


に、と沖田は確信したかのような笑みを浮かべている。

照れているのか、酒のせいか頬が赤らんでいた。


テッペン。


俺が?

この、行き当たりばったりな男と?


お?と口だけで言って、沖田がずいと顔を近づけてきた。

鼻と鼻がくっつく距離だ。表情も見えやしない。瞳孔が合った。

身じろぐことも出来ず、硬直してしまう俺を、逃さまいと服の裾を掴んだ。


「幸一くん、できるよ」


落ち着いた声だった。

この距離でなければ聞こえないような音量で、これまた、確信を持った力強い息で。


「俺たちなら」



父の声が聞こえた気がした。

『男やったら、なにかひとつでテッペンとらなあかんで』

耳の奥で、それはじんじんと響いている。


そうか、これだったんだ。


追い求めてきた影を、踏んだ気がした。



「…男なら、なにかひとつで」


「ん?」


沖田の肩を両手で鷲掴んで、額をガツンとぶつける。

痛さはない。それよりも高揚している。

俺は!こいつと!


「テッペンとらなあかん!」

「お客様、ほかのお客様のご迷惑になりますのでお静かに…」


額を合わせたまま店員を見上げる。沖田も同じようにしていただろう。


「あ…すんません…」


頬が熱くなったのは、興奮したせいか、それともはずかしかったからかなのかわからない。

ふふ、と空気が漏れる笑い方をして、沖田が小さく「ちからつよ」と呟く。

慌てて離れれば、狐目が、本心から嬉しそうにこちらを見ていた。


胡散臭そうな顔だが、確信した。

この人は感情が顔に出やすい。


「じゃあ幸一くん!結成を祝して!」


半分になったジョッキの中身が溢れるほどにふりあげ、沖田が立ち上がった。


「お客様!」


ストン、と沖田が腰を下ろした。


そして、喧騒に消えるような声で


「ヒカリ結成、乾杯」


と、ジョッキを前に出す。

俺は八海山をごつんとジョッキにあてた。

沖田が「社会人やったことない人の乾杯だ」と、たのしそうにビールを飲み干した。













ーー新宿、歌舞伎町。

空はもう白んでいた。

朝焼けがどこか懐かしく、きゅ、と締め付けられる胸に手を当てれば、生温い感触。


「……誰のやねん…」


吐瀉物まみれの手を見下ろす。

それをそれと認識すると、朦朧とした脳みそが働き出し、酸っぱい臭いが鼻をつく。

Tシャツをはたき、大まかなものをコンクリートに落とす。手についたものは自販機になすった。


「…誰のて……俺か……」


か細いツッコミは、カラスの鳴き声に消えた。




ふと振り向けば、そこには服をどろどろにして倒れている男がいる。

じと、と見つめるが反応はない。背中が上下してるところを見れば、生きてはいるようである。


「…ヒカリ」


呟いていた。


昨日初めてコントをやり、客の冷たさに絶望したのに。

ネオンの消えた白い空はどこかやさしく俺たちを包んでいるように感じた。


ヒカリ、俺の、希望の。


これからたくさん苦労するだろう。

学んだこともないお笑いをやるのだから、当たり前である。

後ろの男は、思いつきで大学生を連れ出すような後先考えないやつだし、俺は取り柄もない。

素人の俺が、この世界でのしあがれるとも思えない。けれど。



「テッペン、とったろやないか」



胸の奥に、光があった。




おわり。

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テッペン 蜂屋えんらい @enrai

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