第2話 知らないお兄さん


「…あの、」


不意に声をかけられ、そちらを向く。

まさにダンボールを持ち上げようとしている俺を、猫背で見下ろす男がいた。

襟のしわになったTシャツを着ているところを見ると、住人かもしれない。


「な、なんですか」

「荷物、手伝いましょか、多いから」


カーディガンから白い指が伸びる。指した先は、積み上がったダンボールである。

俺は青年と荷物を交互に見てから、とりあえずと手をつけようとしていたものを玄関に置いた。


「…手伝ってくれるってことですか?や、悪いしいいです、お気遣いだけありがとうございます」

「イントネーション的に関西の人?おおきにって言わないんだ」

「まぁ…聞きたいなら言いますけど…」


ふは!と空気を吐き出して男が笑う。

口元を隠し、んふふふふ、と残り笑いをしてから男はダンボールにだらだらと近付いた。

間近で顔を見ると、なんだかキツネのような顔立ちをしている。


怪しい、気がしてきた。


「や、多いから。見たところ1人だし、大変でしょ?」

「そらそやけどさ…見ず知らずの人に…初対面ですし、あの、どちら様かもわからんしね、」

「オキタコウジ」

「は?」

「沖田光二、名前。27歳。隣の居候」

「いや誰やねん」

「おお、本物のツッコミ」


言いながら、沖田と名乗る男はけらけらと笑って俺の目の前の荷物を我が家へと運び込んだ。


「お〜新居のにおい」

「ちょ、お前勝手にひとんちに、」


沖田はゆっくり丁寧に荷物を置くと、こちらを笑顔で振り返る。

人懐こい笑顔だ。まるで親しい友人に向けるように無邪気な顔。窓から漏れる昼の光が彼を背中から照らしていた。


「どこの子?」

「え?…あの、だからひとんちに…」

「大阪?」

「え、まぁ…そやけど…」

「大阪!えーっと通天閣!あとは食べ歩き人形?」

「食い倒れ人形や、歩くか人形が」


沖田は再びにっこりと笑顔を浮かべると、足早に外の荷物を運び入れる。丁寧に持ち上げ、丁寧に下ろし、見ず知らずの男の持ち物を自分のもののように扱った。

ただのいい奴なんかな、訝しげに目線をやるが、沖田は視線が合うたびに微笑み、何かが始まる前のようにわくわくとした表情を崩さない。


まるで、沖田がこの家に越してきたかのように感じた。



窓の外は薄暗く、汗がしみた服が少し冷たい。

スマホの時計は17:24を指していた。


「今日中に運び込めて良かったね、あれ全部1人でやるつもりだったの?」

「まぁ…いけるかなって…」

「いけても夜になっちゃってたよね、良かった良かった俺がいて」


沖田はにっこりとした表情を崩さず、部屋らしくなった部屋を眺めていた。

笑顔を貼り付けたこの顔。胡散臭いと感じていたが、よくよく見ればこの男、もしかして目が細いだけのいいやつなんじゃないか?


罪悪感がちくちくと胸を指す。眉根に皺が寄ってるかもしれない。

沖田の方に、ゆっくりと目線を移した。



「…光江幸一、あの、名前…いうタイミング逃して…」


目を丸くしたのち微笑まれる。俺の顔を覗き込むように首をかしげた。

毛玉だらけのカーディガンが近付いた。キツネ顔、よく見れば垢抜けた容姿かもしれない。

所謂流行り顔というのだろうか。沖田の黒髪が鼻先を撫でた。




「幸一くん、いいこだねぇ」


鼻先を弾くように黒髪が跳ねた。


「最初は警戒してたのに。うちに入り込んでも、荷物開けても怒らないし…名前知ってるよ、ドコモの契約書そこしまったの俺だもん」

「は…え…?」


沖田の声色は弾んでいた。

窓の外から、他人の家の明かりが入り込んでくる。ぬるい光を背中に受けて、沖田の顔がよく見えない。

笑っているのだろうか。



「お兄さんいるんだね、妹さんも。ご両親、優しそうだねえ」



上顎が乾く。緊張している。

もしかして俺は、もっとしっかりとこの男を拒否するべきだったのではないか?

思考がそこにしか行き着かず、次の言葉が出てこない。

視線が落ちる。握りこぶしがふたつ震えていた。


「…だから偶然!とか思ってさあ!俺ら二人、光って名前に入ってるじゃん!沖田光二と光江幸一!」

「………ひか、え?」

「だから名前さ、光がおんなしだねって。あと君が「一」で俺が「二」。や〜〜これすごくコンビ名つけやすいんじゃない?ねえ?」


沖田がずいずい近づき、俺の二の腕を掴む。

薄暗い部屋で、表情はよくわからない。そもそも展開がよくわからない。光?光がなんだって?


「ひか、え、なんの話なん…ちょ、え?」

「わかるわかる、そうなっちゃうよね。急になんなんだって思うよね。わかるよ。コンビってなんだろうってねえ」


うんうんと頷き、沖田は立ち上がった。

スタスタと廊下を行き、細い指先は壁を歩く。

パチっという軽快な音と共に彼は振り向いた。



「俺とコンビ組んで、お笑いやろう!」



間を置いてから、証明が点いた。

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