(2)
「そういえば、お前に喧嘩を売っていたあの娘はどうしたんだ?」
「どう、とは?」
「フィフィールズを潰すと息巻いていただろう? 放っておいて良いのか?」
「え!?」
イチが驚いた顔でアニに躙り寄る。
余計な事を、というアニの顔を見て、ヨシマサも自身がまずい事を言ったと悟った。
「あの先生それどういうことですか?」
「落ち着いて、イチさん。本当に何でもない事ですから。ただの口喧嘩です。少し言葉は過激でしたが、心配するような事はありません。陛下、私はどうとも致しませんよ。そもそも彼女は具体的に何かすると仰った訳でもありませんから」
「そんなものか」
「そんなものです」
「大丈夫なのですか?」
「大丈夫ですよ」
イチがほっと息を吐き出すと、ちょうど婚儀の衣装を合わせるために彼女を呼びに女中が現れた。
元々そういう手筈であったので、ヨシマサも特にごねたりはしない。十二候爵家と置き去りにされても、特別不機嫌さを深めもしなかった。まぁ、ユーリ達と談笑しようという気もないようだが。
「あぁちょうどいい。フィフィールズ」
「はい」
「お前、何故イチを見出した?」
ヨシマサは自分の目に適う娘が南郭に居るか、という問いかけをした。だが、特別自分の好みについて言及はしていない。正直、アニの隣にイチを見つけた時は、自分でもこんな娘が好みだったのだと腑に落ちる思いがして驚いた程だ。
「…お持ちしましょうか」
「何をだ?」
少し考えるような仕草をした後のアニの言葉にヨシマサは首を傾げたが、アニは見てもらった方が解り易いでしょうから、と返してくる。
「少々お待ちください」
どちらかというと、ユーリとナナリィから此処に居てください、という視線が向けられているのを感じながらも、アニは自身の部屋に向かった。いつぞや父に渡された雑記帳を手に部屋に戻ると、特に楽しそうではないが険悪でもない空気が待っている。
「こちら、私が入宮に際し父より託されました書物でございます」
「フィフィールズ伯が…」
大広間で遠くからしか見た事のないフィフィールズ伯爵の事を思い出しながら、ヨシマサは手渡された雑記帳をぱらぱらと捲った。興味深そうにしていたヨシマサの顔が、徐々に無表情になっていく。
「………………………フィフィールズ、この書だがな」
「私には既に不要の物でございますれば、どうぞ、陛下の良きように」
「そうか」
引きつった笑顔でヨシマサはその雑記帳を懐に仕舞った。少しの間遠くを見るような顔をしたが、気を取り直すようにアニへ視線を向ける。
「あー…ところで、一つ気になった事があるんだが」
「はい」
「この雑記帳、フールグの手跡と似てないか?」
「同じ人物が書いておりますから」
「ん?」
「私の父です。フールグも、それを書いたのも」
「なんだと!」
脇息ががたりと音を立てるほど勢い良くヨシマサが立ち上がり、ユーリとナナリィが困惑する。
アニは、解りますよその気持ち、という生温かい笑顔だ。
「お前、それ…続きは?!」
「私も催促しているのですけれど、筆が乗らないとか申していっこうに。どうぞ陛下からもせっついてください。少なくとも三巻分までは出来ているはずなのに隠しているので」
「三巻まで!」
それはあの結構盛り上がる辺りが入ってるじゃないか、とヨシマサの眼が輝く。これでフィフィールズ伯爵が国王から執筆をせっつかれる未来が確定したが、アニは心中でニヤリと笑うだけだ。
(私にこんな役をさせるからですよお父様)
本の虫とも言うべき娘が喜びそうな事をして、お父さんすごい、と言われたい。そんな一念で始めた脚色作品を国王からせっつかれる未来が来ようとは、フィフィールズ伯も全く予想外の悲運である。
なにはともあれ、貴族の恐怖心に端を発した騒動は、一応の収まりをみることとなった。
ちなみに、イチの熱望と、娘を退宮させたくば書き上がっている七星転生伝を持って来い、というヨシマサの交渉のせいもあり、アニが父に言った『能う限り疾く速やかに帰還』は、アニを除く全貴族令嬢が退宮してから更に半年ほど後の事となった。
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