第九話:思いがけぬ(1)

 三日後。

 アニは残念ながら自室で待機である。いちおう伯爵令嬢なので、仕方が無い。

 そして、自分の部屋で熱心に書台の書物を読む人物を見下ろして、固まるハメになる。

 もっとも、固まったのは一瞬で、直ぐに嫌そうな顔になるのだったが。

 今、南郭の、特にアニが居る一角にはほとんど人が居ない。それこそアニ以外誰も居なかったし、アニもほんの少し前まで部屋を出ていた。

 そして、戻ってくると、襖が開いていたのだ。

 警戒しつつ中を覗き込めば、自分が立てた衝立の向こうで誰かが紙を捲っていると知れた。

 もし仮に、此処が手薄になると知っていた誰かがアニも居ないものと思って泥棒に入ったのなら、書物ではなく櫃を漁るだろう。仮にアニが稀覯本を持っているかもと勘違いした誰かだったとしても、読んでいるというような速度で紙を捲る音がするのはおかしい。

 思案した末に、そっと足音を殺して近付いた結果。


(国王陛下?)


 この城の主、ヨシマサが熱心に書物を読んでいたのだった。


(何でこんな所に…え? 何してるのかしら、この方…? 私の部屋で本を読んでいる? 何で? 陛下が? は?)


 湧き出す疑問は尽きず、どう声をかけたものか迷ったアニは、ヨシマサの背後で座って、しばらく様子を見る事にした。

 気配を殺しているとはいえ、すぐ後に人が居るのに気が付かないほど熱心に書物を読んでいたヨシマサは、読み終わるときょろきょろと辺りを見回した。

 潮時だと思い、アニは声をかける。


「その本の続きはございませんよ」

「っ、誰だ!?」


 飛び上がるように立ち上がって、振り返り、ヨシマサが誰何した。

 アニからすれば、こっちの台詞だ、というところだが、無論口には出さない。


「恐れ多くも陛下よりこの部屋を借り受けております。アニ・カント・フィフィールズと申します」


 三つ指を着き、完璧な座礼で頭を下げる。

 一方頭を下げられたヨシマサはあわあわと口をぱくつかせる。

 彼が南郭に忍び込んだのは、近々控えている国王のお渡り、つまりは自分がどの郭に行くのか、こっそり郭を覗いて決めようとしたからだった。ところが、遠目に後宮入りした女性達を確認しようにも、影も形も見当たらない。部屋に入っている訳でもなく、気配そのものがない。これはどういう事だろうと廊下を歩き、気紛れに襖を開けたのが、アニの部屋だった。

 はじめ、ヨシマサはその部屋に主がいるとは思わなかった。物置か何かだと思ったのだ。衝立と几帳で隠れた奥を覗き込めば、長櫃の類が重ねて置かれているし、華やいだ物が何もない。とはいえ、文机の上には道具類があったし、敷物に書台も置かれていたので、誰か女中の部屋か何かだろう、とは一瞬考えた。

 そして、この謎に満ちた部屋を探るようなつもりで書台に置かれた書物を読み始め、すっかり引き込まれてしまったのだ。 


「あ…そうか。その………入ったのは主ある部屋と思わなんだ故で、出て行かなかったのは本が、面白くてだな…その、なんだ………許せ」


 およそ理由も言い訳も、許せる段階には達していなかったが、他ならぬ国王の言葉である。


(そもそも素直に謝罪にうつるとは、意外だわ)


 貴族の前では常に不機嫌そうにしていて、癇癪持ちだ、と父の事前情報には書かれていたのだが、年相応な素直さも一応持っているようだ。

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