日々の中(3)

 ユーリから相談を受けたピスカークスの二人によって、アニへのちょっかいも治まり、手習い処は日々順調だ。

 変わった事としては、習う娘達の人数が増えた事、全員が一段を習得し終え学びたい事が分岐したため、アニだけでは手が足りず、クプリコン家のミントとレンが教導役として加わった事、だろうか。


「先生」


 娘達はアニのことは先生と呼び、ミントとレンはさん付けで呼ばれている。今、アニを呼んだのは、ツキエだった。


「はい」


 三段の教本を手に近付いてくるツキエを笑顔で迎えながら、大分和らいだな、とその表情を見つめる。

 実は、ツキエの硬い態度は、見知らぬ相手への人見知りで、慣れてくれば可愛らしい懐っこい性格であることが解ったのだ。最近では笑顔も増え、特にフランナと楽しそうに会話をしているのを見かける。


「ここの読み方なのですが」


 疑問に答え、解ったと笑顔になったツキエが、席へ戻る背を見送る。隣を通る際にフランナと微笑み合う様に心が和む。性格的に合う合わないは有るだろうが、娘達の中で大きな諍いは坪庭の一件以来起きていない。

 今、あの時の二人の、ナエはレンから算盤を習い、イチはミントのもとで行儀作法を習っている。


(平穏って、素敵だわ)


 つい昨日。十二公爵家の娘達十二人に囲まれるという経験をしたせいか、今日は一際平穏に思えた。

 別にアニが何かをしでかしたというのではない。南郭の手習い処が順調で、どんなやり方をしているのか尋ねられ、話をしただけである。

 三日後には、後宮中央にある大郭で南郭の手習い処の生徒達が他の郭の者達へ手習いを教える事になった。常識と身分の違いから、無意味な緊張を生んでしまい学びに悪影響を与えている現状を打開するためだ。上手くいけば今後南郭の手習い処の彼女達が、他の郭で先生と呼ばれる事になる。


(皆さんとても熱心だものね。ああ、もしかしたら、手習い処を開く方も出るかもしれないわ)


 基本的に午前だけ手習い処に顔を出しているアニは、昼餉を終えると襖戸を開け放して、書台を使って書を読みながら出入口付近に控えるようにしていた。

 ずっと貴族が手習い処に居ると緊張しっぱなしになってしまう娘もいるし、かと言って襖戸がしまっていると質問もし難い、という問題を解決しようとした結果だ。気の置けない娘同士の会話は午後の手習い処で、何か周りでは解決できない質問のある娘はそっと廊下からアニの部屋へ、という訳だ。


「先生」

「イチさん。どうされました?」


 イチが此処で質問は珍しいなと思いながらも、笑顔で招き入れる。近頃はミントの元で行儀作法を教わっているし、イチはその場で質問できる性格をしているから、改まってどうしたのだろうと考えたが、思い当たるふしはない。


「その、先生に、尋ねて良い事なのかは解らないんですけど」

「はい」

「国王様の奥方に成るには、どうしたら良いんでしょうか?!」

「………」


 アニは無言で首を傾げた。

 元々イチは何が何でも国王の妻の座を手に入れてみせる、という野心を持っていた。そのせいで取っ組み合いの喧嘩をしたほどだ。だが、それは、そもそも国王の妻がどんなものかを解っていなかったが故の野心でもあった。近頃は自分には無理なのではと感じ始めたのか、前のように、なってみせる、とも、なりたい、とも言わなくなっていた。


(何かあったのかしら?)


 イチは裕福ではないが食べるに困るほどでもない田舎街の小商いをしていた家の生まれだ。まだ十歳だった頃に、両親を亡くし、親族がいなかったため、三歳の弟と二人きりで生きていかなくてはならなくなった。

 まだ一段を終える前だった手習い処を辞め、弟を養うため豪農の家へ下働きとして入ると。家事から農業の手伝いまで、日の昇る前に起きて家人が全員眠りに就いた後まで眠らず働いてきた。弟には手習いをさせてやりたい、とそれだけを心の支えに一切文句も愚痴も言わずに働き、そうした生活が六年続く。だが、ある日家の主人から手篭めにされかけてその家を飛び出した。

 弟の手を引っ掴んで真っ暗な街道を逃げ、幸いにも無事に宿場街に辿り着き、そこで酌婦として少し路銀を稼いではまた弟と一緒に移動し、という生活を繰り返したが、半年ほど経ったところで後宮に入る娘を募集しているという話を聞いた。

 そして、支度金として渡された金で弟の身柄を預け、後宮に入ったのだ。

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