第八話:日々の中(1)
静かになった部屋で古書を読み進めていたが、しばらくして、ふと、自分を呼ぶ声に気付く。
「フィフィールズ嬢、居られませんか?」
襖戸からではなく、文机の正面にある窓からだ。そして、先程の女中ではない聞き覚えのある声。
「レン?」
「居られますか!」
「ええ、居ります。今、襖を開けましょう」
古書を文机に戻し、打掛を羽織ると、表廊下の襖戸を開ける。
「…クプリコン様?」
立っていたのは、いでたちこそレンと同じだったが、ユーリだった。彼女は、アニの顔を見るなり、目に涙まで浮かべてその体を抱き締めた。
「良かった! ご無事で!」
「っ?!」
声の主であるレンも横に居たのだが、背の高いユーリにすっぽりと抱き締められたアニには見えない。
(身の心配をされる程の状況ではないわよね、昼餉の件は…なにか、有ったのかしら?)
アニが古書に集中して襖戸からの声を無視していたせいもあるだろうが、窓から声をかけるという不躾な真似をクプリコン家の人間がやるからには、よほど緊急の事態だろう。まして、涙ぐんで身の無事を安堵されるなど。
(もしかして、伯爵家の方が何か仰っているのかしら)
昼餉の件は、結局のところ不参加を決め込んだため、何一つ実害を被っていない。強いて言うなら昼餉の膳を食べ損ねたくらいだ。
「あの、ワンナ様、私は息災です。その、何か、あったのですか?」
腕を軽く叩いて力を緩めて欲しいと訴えると、素直に要請に応じて身を離したユーリがきょとんとした顔でアニを見つめる。
「何かあったのはカント様の方ではありませんか」
その言葉にアニの方もきょとんとしてしまう。部屋の中で古書を読み耽っていた自分の身に、一体何が起きたのだろう。
「いえ、その、とんと覚えが御座いませぬが」
「え?」
「お嬢」
二人して疑問を飛ばし合っていると、横からレンが声をかけた。
「さっきのは仮定の話であって、事実じゃないだろう。お嬢の早とちりだよ」
見る間にユーリの顔が朱に染まる。ぎゅっとアニの肩を掴んでいた事に思い至ると、慌てた様子で手を離し、ばたばたと上下させる。レンとアニの顔を交互に見つつあわあわと口を開く。
「え、ちょそれもっと早く。あ、その、すまない。早とちりで。あ、そうだ、痛くないだろうか、私は力が強くて」
「大丈夫です」
レンがやれやれという顔をしているため、ユーリの慌てふためく様子に笑ってしまいそうになったが、追い詰めるようなことになっては良くないだろうとぐっと堪える。
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