招かれざる(4)

(明日には算術を覚えたい方の数を確認しましょう。クプリコン様から教えていただいた身の振り方の希望についても、もしかしたら変わる方も出るかもしれない…あれは)


 計画よりも難易度や速度を上げることを考えながら、アニが己の部屋に向かって廊下を歩き出すと、直ぐに部屋の前に見覚えのある人影が見えた。


(午後のお茶にでも誘いに来たのかしら、まぁ、午後は自習のための時間だから、少しくらい顔を出すか…)


 午前中にすげなく追い返した女中だ。

 アニとしては、この後宮で特別誰かと交流を深めるつもりはなかった。だからこそ部屋割りについてもどこでも良かったのだ。無論、誰かと険悪に成りたい訳でもない。嫌がらせとしか思えなかったからすげなくしたが、格上の家に積極的に喧嘩を売りたいのではない。

 今回は中に居ない事が解っているからか、隣室から出てきたアニを見つけていたからか、傍に近付くと気付いて頭を下げた。


「何か」


 御用ですか、とまで続けるほどの優しさは発揮できなかった。声音は通常のものだが、一度威圧的な態度をとったためだろう、女中の肩が強張っていた。


「先程は、お忙しいところをお引き止め致しまして、大変ご無礼致しました」

「………」


 アニからの一言を待っているのだろう、謝意を示した後に沈黙が落ちる。

 別にもう怒っていはいないし、またお茶に誘いに来たというのなら応じようという気はあるが、無礼な態度そのものを許せば嫌がらせを許したことになるので、謝意に応える気はない。

 何も言う気がないことを思い知ったのか、堪りかねたのか、女中が再び言葉を続けた。


「我が主人におかれましては、ご昼食を共になさりたいとのお考えで、どうぞ、我が主人のお部屋へお越し下さりませ。昼餉は既に運び込んでおりますれば」

「………」


 無言で畏まる女中を見下ろしながら、アニは心の中が冷え切っていくのを感じていた。


(何を言っているのかしら、この人…とりあえず、こちらの状況を無視してそちらの都合だけで動いたことが無礼だったとわきまえて謝ったわけではないということよね。問題はこの人がそういう質なのか、主人がそういう質なのかって事だけど)


 うんざりとした顔で溜息を吐く。もはや心の中と言わず溢れて漂いだした冷気を感じ取っているのだろう。女中の肩が震えだした。


「私に昼餉を配膳してくださっていたのはクプリコン様の御家中の方ですが、私が了承の返事を出してもいないのに貴方の主の部屋へ私の膳を運んだ、と、そうおっしゃいましたか?」


 わざわざ理解できるように問いかけたつもりだったが、驚怖のためか全く考え至らないのか、おどおどとした態度で再び誘い文句を繰り返してきた。

 熱意に溢れ学ぶことに生気を傾ける娘達を見た直後だったせいか、朝と同じ反応を返す女中に何かを言う気力が萎えていく。


「お伺いする気は御座いません」


 それだけ告げるとさっさと襖戸を開け入室してしまう。追う声を無視して、閉めると、部屋の奥へ向かう。文机が見える側を打掛を掛けた衣紋掛けで、塞ぐ。まだ声がしているのがうっとおしく、文机に置いていた古書を手に取った。


(せっかく楽しい思いでいたのに)


 苛立ちを鎮めるためにも、遠くなりつつある声を完全に打ち消すためにも、美しい文字の世界へと没頭していく。

 やがて、紙をめくる音だけが室内を満たした。

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