招かれざる(2)
襖戸の向こうに意識を集中させ過ぎて、近くにアニが来ていることに気付かなかった女性は、声をかけられて驚いたらしい。目と口を開けてぽかんとアニを見つめるという間を挟んで、慌てて頭を下げた。
「フィフィールズ伯爵家ご令嬢様でいらっしゃいますか?」
「ええ」
「私、ディンナ伯爵家ご令嬢プリシラ様の女中でございます。この度は、我が主人が、フィフィールズ伯爵家ご令嬢様とお茶をご一緒なさりたいとのお考えで、急な事ではございますが、どうぞ、我が主人のお部屋へお越し下さりませ」
美しい所作で頭を下げる女中を見下ろしながら、アニは考えていた。
ディンナ伯爵家は、数ある伯爵家の中でも屈指の名家であり、社交というものに興味の無いアニでさえその名や行いを聞いたことがある。なので、フィエラがディンナ伯爵家の長女であることは解っている。同じ伯爵であっても、フィフィールズ伯爵家とは経済状況における格が違うことも解っている。
問題は、その格の違いを今この場で押し通す精神だ。
更に言うならば、アニは今、彼女達の尻拭いの為に手習い処を開いている。それに対して昨日の今日で嫌がらせとはどういう了見なのだろう、そう考えてしまうのだ。
何時まで経ってもアニが答えを返さないためだろう。窺うように女中がアニを見上げる。
「………………」
「あ、あの…」
その女中をいつもの半眼で見下ろして、アニは何か言葉を発することが億劫でたまらなくなっていた。
一方の見下ろされた女中の方は震えて困惑している。まず前提として彼女は主人の誘いが断られる事を選択肢として持っていない。彼女の主人にお茶に誘われれば、誰だって乗ってくると信じている。確かに、今までは誰だって乗ってきたのだ、今までは。
「私が、今、どういった役割を担っているか、ご存知ですか?」
父に向かってよくやる、感情の読み取れない声音でアニは訊いた。
フィフィールズ伯爵曰く、
「アニのあの声を聞くとね、真夏でもすーっと背筋が寒くなるんだよ」
と、血を分けた肉親でさえも寒気を感じる声音である。問いかけられた女中の恐怖は、如何許りであろう。
「あ、その、私はお茶のお誘いに」
問いかけへの答えではなく、お茶の誘いに来たことを繰り返し告げようとしているあたり、彼女の恐慌ぶりが窺える。
「生憎ですが、これから手習いが始まりますので、お伺いできません。では」
追いすがる様に声が聞こえたが、無視をする。
元の部屋戻ると、ほぼ全ての机に道具類が配置し終わっていた。
「すっかりお任せしてしまいました」
「そのために居りますから」
レンのはきはきとした物言いや、爽やかな笑みに癒される思いがした。荒んだ心が潤うような気がして、じっと顔を見つめてしまう。結局、笑みを苦笑に変えたレンが、声をかけてくるまで見つめていた。
「クプリコン家の方は、物言いがはきはきとしていて快いですね」
「そうですか。幼い頃から庭師の徒弟として修行をするためかもしれませんね」
「皆様造園に携わっていらっしゃるのですか?」
「ご家風なのです。領内の伝統工芸を身を持って学ぶという」
「素晴らしいことだと思いますわ。我が領内は、これといった特産や工芸が無いので、羨ましいことです。ああ、皆様いらっしゃいましたね」
「では、これで」
「助かりました」
一礼して廊下に出たレンは、腰に下げていた地下足袋を履いて庭に降りていった。坪庭を確認するのだろう。
そんな彼女の姿に目を向けながら、手習いの娘達が入れ違いで入ってくる。
一覧表に向き合っている席に座るよう告げ、二段以降からを教えることになるツキエとフランナを探す。
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