第七話:招かれざる(1)
翌朝、朝餉を終えたアニは、手習いに必要なものを隣室に運び入れていた。
カナの一覧表に数の一覧表。一段から四段までの手習い教本。詩集や大判の紙などだ。
そして、運び込んだ一覧表を鴨居に掛けようとしたが、標準よりも高い作りとなっている鴨居に手が届かない。
(あと、少しなのに)
掛金を指先で持ち、爪先立っているのだが、あと少し、指先ほどが届かない。その場ではずめば簡単に引っ掛けられるのだが、産まれてから今まで実家では姫と呼ばれて育ったアニには、室内ではずむという発想がなかった。
(あぁもう、仕方ない、どこかから踏台を借りましょう)
足がぷるぷるするほど粘ってはみたのだが、どれほど粘っても体は伸びなかった。諦めて踏台を持ってこようと振り返ると、ユーリが身に着けていた庭師のような格好の女性が立っている。片手で口元を覆っているのは、もしかして笑われていたのだろうか、と思った。
だが、口元から手を離してすぐ笑顔になったのを見て、青い目の目尻が全く動いていなかったのでさっきまでは笑っていなかったのだなと解る。
「クプリコン家よりワンナお嬢様と共に参りましたレン・フィーロナージュ・サシェと申します。郭女中と庭師の職を賜っておりますが、主人より、フィフィールズ様のお手助けであれば職分を超えてもするよう仰せつかっております。そちらを、かければよろしいでしょうか」
「それは、恐れ入ります。では、お願いいたします、フィーロナージュ」
「どうぞ、レン、と。長いですから」
アニよりも拳二つ以上は背が高いだろうか。レンは受け取った一覧表をひょいと鴨居に掛けていった。
庭師としての仕事の邪魔にならないためだろう、きっちりと撫で付けた群青の髪を頭の後ろで一つに包んでいる。動作はきびきびとして、あまり柔らかさを感じさせない体躯は筋肉質な猫科の動物を思わせる。
「机も配置替えなどしますか?」
「はい。このようにしたいのです」
昨夜の内に作っておいた配置図を示す。紙を受け取ったレンは、では自分がやってしまいましょう、と重ねられた文机をひょいと一人で四つも持ち上げ、てきぱきと並べていった。手を出してはむしろ邪魔をしそうだと思い、アニは教本を確認する作業に移った。
アニが道具と教本を確認し終え、レンが並べてくれた机に置いて行こうとしたところ、廊下側の机を並べ終えた彼女が近付いて来て、手に持っていた道具箱を取りつつ告げた。
「お嬢様に、お客様がお見えの様です。フィエラ・プリシラ・ディンナ伯爵家ご令嬢と共に参った女中です」
「まぁ…では、少し、お願いします」
「お任せ下さい」
レンの言葉に道具の準備を任せて、自室へ向かう。
廊下に出ると、閉めておいた襖戸に向かって、膝立ちで控えめな呼びかけをしている女性が居た。刺繍はないが質の良い綾の打掛を羽織った姿は、確かに女中なのだろうが、彼女自身も貴族身分であることを窺わせた。
貴族令嬢であればお付が居て当然。襖戸の直ぐに控えていて、こうして声をかければ答えてくれるだろう、そう思っていたのに一向に返事が無くて困ったのだろう。段々と声が大きくなっていく。まぁ、それでも大声と言うほどではないのだが。
「あの!」
「今その部屋には誰も居りません」
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