手習い処(4)
「では、そちらの一番前の貴方」
「はいっ」
「こちらに」
「え、あ、はい」
アニに手で示されて、恐る恐るアニの文机の前に出てきた右端の娘は、訳が分からないためだろう慌てた様子で額づいた。
すっと立ち上がって娘の肩に手を置き、身を起こさせる。
「ごめんなさい。言葉が足りませんでしたね。どうぞ楽にして、名前を訊きたかっただけだから」
「へ、なまえ…」
「ええ」
「あ…ハチです。八ばんめにうまれたので」
「そう」
席に戻り、紙にハチと書く。
「上が、ハ。下がチ。この二つでハチ。貴方の名前よ。明日からはまず自分の名を練習しますから、これを持って来て下さい」
書いた紙を娘に向け、文字を指し示して解説した。
「………これが、ハチ」
嬉しそうに紙を受け取る娘に釘を刺す。
「墨が乾くまでは触れないようにね、指に着いてしまうから」
「はい!」
娘が席に戻ると、周りがざわつきながら取り囲んだ。が、アニが次はと声を出すと、一気にしーんと静まり返った。
「隣の貴方」
「はいっ!」
最初の娘の左にアニが視線をやると、嬉しさで慌てた娘が文机に足をぶつけながら前に出てきた。
「そんなに焦らないで大丈夫ですよ。お名前は?」
「ノリです!」
「ノリ、さんね。上がノで、下がリよ。はい」
「ありがとうごぜえます!」
賜り物を押し頂くように紙を受け取られ、そんなに大層なものではないと思いつつも、楽しそうな気分に水を差すこともないかと口には出さない。
呼ぶ前にもう自分の番だと思ったのだろう。視線が合っただけで、ナエがそそくさと文机の前に出てきた。同じように名前を書いて、指し示し、紙を渡す。
「はい」
「ありがとうごぜぇます!」
一番前が左端までいくと、二番目は左端から呼んでいく。
そうして交互に進んでいき、一番後に辿り着く。文字を教えてもらえないのかと質問してきた娘が前に来る。
「私は自分の名前くらい書けます」
さっと裾を捌くきびきびとした動作で座った彼女は、背筋をすっと伸ばし真っ直ぐにアニを見つめた。
「解ります。名前を教えていただけますか?」
「ツキエです」
「はい」
アニは紙の右上に小さくツキエ様と書く。
「カナは全て書けますか?」
「カナも数も初段は全て書けます」
「解りました。ではツキエ様は二段からですね」
名前を書いた紙に二段からと書き込む。紙は渡さず席に戻るよう促した。彼女が戻るのを見てイチが入れ替わるように前に出てくる。
「イチです」
「はい」
知っているとは返さず、新しい紙の右上に小さくイチ様と書く。
「カナは全て書けますか?」
「あ、いえ、私は自分と弟の名前くらいしか」
「解りました」
一段からと書き込み、席に戻るよう促すが、自分も名前を書いた紙が欲しいと言われたので、イチと書いた紙を渡す。
イチと同じように、その隣の娘も入れ違うようにアニの文机の前に来た。
「ナーニャです。あの、私も、名前を紙に書いていただいてもいいですか」
「解りました。カナは全て書けますか?」
「いえその、すべてっていうのはちょっと、じしんないです」
「解りました」
名前を書いた紙を渡し、戻るよう促す。入れ違いで最後の娘が来るまでの間に、イチ様一段からと書いた紙を作る。
(あら?)
近付いてきた所で視界に入った娘の所作が美しかったので、目で追うと、品の有るゆったりとした所作で裾を捌いて座り、一礼した。
「フランナと申します」
「はい」
「手習いは、二段まで終えております」
「解りました」
フランナ様三段からと紙に書き、戻るよう促す。
もうすぐ昼餉だろうから、と場を締めた。
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