第六話:手習い処(1)
誰に見咎められることもなく、ただそこにある、影のように大人しくしていよう。
そう心で思った日から、早五日。
系統の違いはあれど、押し並べて美しい二十人の娘達を前に、アニは相変わらずの半眼で座っていた。
所は、アニの部屋の真隣にあたる、同じ十六畳敷の部屋である。
横に四、縦に五、と並んだそれぞれの娘の前には文机と道具箱に、文字を練習する為などに使う質の低い紙が置かれていた。相対する形で座るアニの文机には、加えて手習い用の書物と朱墨。
そう、今、アニは二十人の娘達に手習いを教授するべく座っている。
(どうしたものか)
時を遡ること四日前。
襖戸の一件の夕方。
無事、元通りとはいかないまでも坪庭を修復したユーリと、何故か廊下でお茶を一緒に飲んでいた時だ。件の二人がやってきて、頭を下げた。揃って質素な木綿の藍縞の着物姿、黒が基調の菱紋帯を締めているのがナエ、同じく花紋帯を締めているのがイチ、そう名乗った。
「今後気を付けるようにね」
彼女達は郭女中を通じて、自分達がやったことが死刑になりかねない行状だということ、それを治めようとユーリとアニが動いたことを知っていた。ユーリの言葉にも涙を浮かべて深々と額づいた。
この時、アニとしては二人の感謝はユーリにのみ向いているものと考えていた。自分は水をぶかっけ説教をしただけである。必要なことをしたと認識され、恨まれてはいないだろうと察したが、それだけだと思っていた。
三日後、再び額づかれるまでは。
「あの、今何と?」
「お願いです!」
「あた、わ、たくし達にぎょうぎさほうを教えてくださいませ!」
襖戸を開け放し、六畳部分で相対して、二人の真剣な顔にアニはしばし考える。
一昨日から始まった伯爵以下の貴族令嬢達による行儀見習い講座についてはアニの耳にも入って来ている。伯爵以下の貴族令嬢とは言いつつ実質民の行儀見習いをみているのは男爵令嬢達だけ、更にはその行儀見習いには参加に条件が有り、読み書きができ礼服を所有している事、となっているらしい。
これは、違法な方法で集められた娘達と一部市井の民を完全に締め出す事となった。
昨日、ユーリが庭を見に来るついでにお茶と茶菓子を持参の上で愚痴っていったので、間違いない。その時は、何とか手を打つと話していたのだが、おそらく実際に動く前に締め出された側が動いたという状況だろう。
締め出した側の思惑は察せられるし、それは締め出された側にはおよそなんの落ち度も関わりも無い事だ。アニとしても大いに同情の念は込み上げるが、勝手に行儀見習い講座を開くわけにもいかない。
「………解りました。クプリコン様に、取りなしましょう」
どういう訳か自分達と同じ区画にいて、侯爵令嬢がお茶を飲みにやってくる仲の伯爵令嬢。彼女達が動くに当たってまず声をかける相手としては、不正解ではないだろう。ユーリの方にも動く気があることだし、突き上げが有ったという事を伝えれば、対応、少なくとも説明はすぐに行われるだろう。
そう考えての発言だったのだが、二人は何故か首を横に振った。
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