大部屋の伯爵令嬢(2)
(は?)
二人にはぎょっと自分達を見るアニは見えておらず、飛び込んで来た時と同じ勢いで、今度は廊下の向こう坪庭に落ちていった。
「ざっくんなこのくそアマがぁ!」
「こっちのセリフだやっこんすべたぁ!」
(いや、私が言いたいわ何してんだあんたら)
罵り合う二人に心の中で加わりつつ、アニの眼は壊れた襖戸の骨組みを見つめた。溜息をぐっと飲み込んでまだ水の入ったままの盥を手に取る。坪庭をめちゃくちゃにしながら相変わらず取っ組み合っている二人に向けて思い切り水をぶちまける。
「っげほっげほっ!」
「なに、水!」
盥から水を狙った場所にかけるというのは、実は意外と難しい。廊下に水を垂らすことなく見事にやり切ったアニだが、上手くいったのはただの偶然である。
「誰やぁ!」
「ざけんなやっ!」
吠えながらアニを振り返った二人だったが、その姿を見てぴたりと言葉も動きも止まる。
他の令嬢達に比べれば、アニの恰好はいたって質素である。だが、民から見れば一目瞭然なのだ、彼女が貴族であるという事は。無地の内着に濃紺の帯と女袴だけなら商家の娘でも同じ程度の者はいただろう、しかしそこに綾の美しい打掛が加われば誰でも解る。
水を掛けられたからというのではない震えが二人を襲う。盥を持って立つアニの自分達を見下ろす半眼に呼吸さえ絶え絶えだ。
「ふぅ」
溜息を吐いて盥を部屋の中に置いたアニが再び廊下を向くと、呆然と朝餉の膳を持った郭女中が立ち尽くしていた。
「ありがとう。それと、庭師は今居ないのかしら? もし居るなら呼んで来て、居ないのなら代わりが務まる者を」
「はい、畏まりました」
膳を受け取り、言いつけて、立ち去る姿を見送ってから膳を衝立の奥に置きに行く。戻ってくると、濡れたままの二人がそろそろ寒さも加わってだろうか、震えながら額づいていた。
裾を捌いて廊下に座り、努めて落ち着いた声が出るよう心がけながら話しかける。
「頭は冷めましたか?」
「っへぁい!」
「はぁっ!」
「頭を上げて自分達の後ろを御覧なさい」
二人は、恐々と頭を上げて、そろりと上目遣いにアニの顔色を確認し、相変わらずの半眼を見止め、互いに目線で非難し合いながら後ろを振り返る。
自分達が暴れた結果荒れた坪庭が目に入る。先ほど庭師を頼んでいた事は理解しているため、庭を荒らした事を咎められているのだと考える。再び慌ててその事を謝罪するが、小さな溜息が聞こえてきた。
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