第2話 殺戮少女

 赤い少女は何も話さない。

 仮面から覗く金色の瞳は、この状況に驚いているのか、大きく見開いていた。

 それが却って、赤い少女の発する威圧感を強めた。彼女の魔性めいた視線を直視出来なくなった俺は、ふと、そいつの足元を見た。

アスファルトに転がるのは、肉塊と成り果てた見知らぬ一般人たちと、よく知った少女の顔があった。

 数時間前に目にした、学校指定のメイド服のコスプレ然とした女子制服を着たまま、両脚部と胴体部、両腕部、そして頸部の左に、それぞれざっくりと斬り込みが入った少女の身体。

 それは紛れもなく、楓だった。

 あの傷の深さ、素人でも分かる。あれでは助からない。

 あんな鶏の血抜きのような手口では、身体に残る血液なんかないだろう。

 頭の中で、熱いものが破裂したような気がした。

「おい、紅猫……!」

 俺は赤い少女にゆっくり近付く。

 溢れ出す怒りの感情を目の前の殺人鬼にぶつける。

 距離はおよそ五メートル。

 赤い少女は直立不動で、何も答えない。

 俺はさらに近付く。

「この死体の山は、お前の仕業か?」

 赤い少女は直立不動で、こくりと俺の問いに一度頷く。

 さらにもう一歩近付く。

 ニュースで報道された他の現場も、目の前に広がる光景のような凄惨さだったに違いない。

「その足元の女の子も、お前がやったんだな?」

 赤い少女は、半歩横に足を広げ、さらにこくりと頷いた。こちらを警戒している。

 俺はさらに近付く。

「そうか……お前が……」

 目の前の人殺しは、俺の彼女を殺した。

 その事実が、この場の恐怖よりも紅猫への憤怒を凌駕させた。

 次の瞬間、俺は身体を赤い少女の懐に素早く潜り込ませると――。

「――許さねぇっ!」

 渾身の力を込めて、赤い少女の顎を拳で突き上げた。

 不意を突かれた赤い少女は、そのままアスファルトに後頭部を強打し、地面に伏した。よもや一般人が徒手空拳で襲ってくるとは思っていなかったようで、俺自身も拍子抜けするほどキレイに顎を砕いたのだ。

 こんな所で長年培ったボクシングのスキルが役立つとは思いもよらなかった。

 相手は俺と同じくらいの歳の少女。体格差は歴然だ。力押しすれば、殺人鬼といえども取り押さえられるはず!

 それに楓は俺をヒーローだと言ってくれた。だったら、ヒーロー(楓の彼氏)は、目の前の悪を決して許さない!

 さて、渾身の一撃を見舞って微動だしない赤い少女に、俺はそぅっと近付いた。さっきの一撃で仮面がはがれていたので、素顔を確認しようと近付く。

「……失神してるみたいだな。案外たいしたことなかったな……?」

 安堵で胸を撫で下ろした、その時だった。

 腹部に強烈な激痛が走った。

 突然、俺の胴体に何かが突き刺さってきたのだ。

「な――、何だよ、これ?」

 俺は痛みで閉じた両目を何とかこじ開け、自分の腹部を目視した。

 ――異様な光景だった。

 赤い少女周辺の地面に滴っている血の池から、一本の赤い槍がバネ仕掛けのように飛び出し、俺の腹を貫いていたからだ。

 俺の口の中が、逆流してきた血の味で占拠される。堪らず喀血した。吐いても吐いても全く止まらなかった。腹部だけではなく、次第に全身に痛みが走り出した。

 今まで経験したことなかった激痛に、俺はとうとう絶叫してしまった。

「ああああっ!? うっぐぁっ!? ぎゃああああああ!?」

「……迂闊だったわ」

 鈴の音のような綺麗な声が、寝ている少女から聞こえる。そいつはむくっと上半身を起き上げると、首を左右に入念に回し始めた。

 少女の金色の瞳が、品定めをするかのように俺の全身を嘗め回した。

 街頭が、少女の端正な顔立ちを暗闇の中で照らした。まるで精気の感じられないマネキン人形のようだ。

「いいパンチですわね。本当、素人とは思えません。いいえ、素人ではもったいない、というべきですわね。でも、それでわたしに勝てるとでも思ったのかしら?」  少女は、俺から槍を一思いに引き抜いた。

 俺の腹からおびただしい量の鮮血が吹き出た。身体に刺さった槍が血栓代わりになっていたのだ。抜かれた瞬間、俺の身体から一気に血液が流れ出してゆく。急激な失血により、そのまま俺は前のめりに倒れ込んだ。

 ……形勢逆転。しかも、圧倒的不利な状況且つ絶体絶命。

 文句の一つでも言ってやりたいが、意識が朦朧として、悔しいが俺は言い返すことが出来なかった。

「悪く思わないで。貴方がここに来たのがいけないのですよ。目撃者を消すのは、殺人行為の鉄則ですもの」

 こいつ、自分から呼んでおいて、随分な言い様だ。

 そう思いながらも、俺の体の熱が指先から抜けていく。

 ……俺は、ここで、死ぬ、のか?

 赤い少女は、俺の頭を踏み付けると、非情な死刑宣告を告げた。

「貴方ほどの実力なら、わたしの下で飼ってあげたいですが、その子と縁があるみたいですし、下手に生かしておくわけにはいかないですわね。ごきげんよう、貴方はこのまま、自分の不運を呪いながら死になさい」

 少女は、槍の穂先を夜空へ振り上げた。

 ブンッ、と闇を赤い切先が切り裂く。

 俺の目の前には、焦点の合っていない楓の顔があった。

(楓、悪い。もう駄目みたいだ。あっちで待っててくれよな?)

 やけに時間がゆっくりと進むように感じた。

 あとコンマ一秒で、俺の心臓が貫かれると覚悟を決めた、その時だった。

 ――遠くから、しかも、急速に音が近付いてくる。

 これは、救急車……?

 壊れかけた俺の目でも、すぐ十数メートル先に、赤いランプを点灯させた救急車を確認できる。

 赤い少女は途端に狼狽し始めた。

「くっ……、いつの間にこんな近くまで? 貴方、命拾いしたわね。長生きしたかったら、今日のことは忘れなさい。そうすれば、せいぜい慎ましく生きてゆけるわ。私は、あなたをずっと見ているわよ」

 槍の矛先を俺の頭から逸らすと、少女は一跳びで夜の闇へ紛れて、何処かへ飛んで行ってしまった。

 その直後、救急車がこちらへやってくる。

 俺は、楓の顔へ手を伸ばす。

 冷たくなった楓の頬を撫でる。瞳孔が開いたままの両目のまぶたを閉じた。

「じゃあな。また、あの世で」

 俺の視界は、その直後に真っ暗になった。


(第3話に続く)

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