第3話 みやきょう

 彼女とは同い年だ。今年、同じ部署30名構成の職場に、同級生が5人も集まった。野球選手のイチローさんの背番号と同じ年齢だから「イチローズ」。3月にイチロー氏は現役を引退した。奇しくもこの時に顔を揃えた面々なので、このネーミングはぴったりなのかもしれない。来年は52歳になるが、それでもイチローズで行こう!

 さて、このイチローズに、「みやきょう」こと、「本宮 京(もとみや きょう)」という人物がいる。長い黒髪に黒い瞳が印象的な女性である。常に謙虚で腰が低い。研究部門の主任を任されていて、実践で社員を引っ張っている。担当した研修員たちのことを広く深く理解し、丁寧に声をかけながら鍛え上げている。その手腕の見事さは同級生として刺激にも憧れにもなる。私と違って、物腰も柔らかく常に同僚への配慮を忘れない。ストレスや愚痴をどう処理しているのかと訊ねたくなる。

 この「みやきょう」のお薬なところとは…。その涙もろさにある。彼女はきっと、想像力や感受性がものすごく豊かなのだろう。私たちのそれを遥かに超えるセンサーを持っているのだと思う。

 例えばである、こんな場面で目にいっぱい涙が溜まっているのである。見るとポロポロと涙がこぼれ、必死に拭っていることもある。

 イチローズの一人が、いつも早い時刻に出勤してコーヒーを準備してくれていた。私もみやきょうも自然と彼女のもとに集まって挨拶を交わし世間話に火を灯す。時事ネタだったり業務の確認だったりする。案外というか朝一から結構真面目な話題が出て、真面目な会話を繰り広げる。口では毒を吐きつつ、根は真面目なのがこの集団なのだ。ある日、イチローズ末っ子のみほちゃんが、家族の話をした。お母様が病気になられていて、家族会議をしなければならないという話題だった。「もう十分生きたから、下手に手術などしないで寿命をまっとうする」というご本人の意向を、みほちゃんは、気丈に明るく会話の再現で教えてくれた。高齢になった両親の健康状態が心配の一つになってきたこと、娘として言わなくてはいけないこと、しなくてはならないことが出てくるよねなどと話しながら、ふと、みやきょうを見ると、もう目を拭っている。早い!この十数秒の会話の中で、あなたは、何を思い、何を感じ、どこまで感情を高ぶらせてその涙を流しているの?みほちゃんの健気さに震えたの?お母様に思いを寄せたの?里中家の動揺が見えたの?あなたのあまりのピュアさの表出に、私は自分の無感覚さや鈍さを思い知らされるよ。


 またある時は、何がきっかけだったか忘れたが、正月に家族が集まって馬鹿な動画を撮った話になった。私が娘たちとアルゴリズム体操にチャレンジした動画を隣席の同僚に見せていたら、「おもしろーい」となって、みやきょうも画面を覗いてくれた。単に、4人が間違いながら笑いながら体操をしている様を見て、「いやぁ、いい!いい家族」と言ってみやきょうは泣いた。人を泣かすつもりで作った動画ではないし、そんな意図があって見せたものでもないのに、みやきょうの涙腺は決壊した。なぜ?なぜなの?みやきょう、あなたの感情のダムは、親を思う娘だったり仲睦まじい親子だったり精一杯生きる姿だったりにその擁壁を下げられてしまうの?あなたの感情移入のスピードと幅広さに私は少し面食らっているよ。あなたの涙を目に自分の腹黒さや冷酷さを露わにさせられている。

 謙遜しながら、「年取ったら涙腺が緩んでさぁ」なんて言いながら、いや、みやきょう、あなたの涙腺は年齢のせいで緩いんじゃないよね。その感受性の豊かさ、人の気持ちに寄り添う優しさ、見えない努力や心情をはかろうとする広く寛大な心に私は心が洗われているよ。

 出会ってまだ半年なのに、同い年にこんなに純な女子がいるのかと思っている。みやきょうは、生まれて50年、どんな子どもとして育ち、どんな青春を過ごし、どんな道を歩いて来たのだろう。ピュアだけどとてもしっかりしていて、穏やかだけどきちんとしていて、自分を律しつつ全体には柔らかいその所作は、どうやって身に付いたの?

 住んでいるマンションの理事になったと言ってドキドキしているあなたの、住民をまとめる手腕も見たい気がしている。

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