149話 一筆


「宰相代理殿、断って起きますがあれはヒドラなどという生易しものものでもありませんし、何度も言うがワシの配下などでもありませんぞ」


 義清の言葉にシュタインベックは、なおも額に青筋を立てて反論する。


「首が3つある生き物がヒドラでなくてなんだと言うのだっ!!しかも背に貴様の配下の小娘が乗っているのだぞ。あの小娘があのヒドラを操り王宮を破壊しているではないか。これは貴様の責任だぞ!!」


「首が3つあるからといってヒドラとは限りません。あれはヒドラよりもっと上位な存在であり竜であるがゆえに息吹ブレスを吐くのです。ヒドラはせいぜい噛みつくか相手を石化させるのが関の山でしょう」


「あの怪物が竜だったら何だというのだ?化け物であることに変わりあるまい!!」


「竜ならば対話が可能ですな。竜同士対決をご存じないか?あの対決で吐く息吹は竜の言葉のようなものですぞ。竜の対決とは言い争いであり、息吹1つ1つに多くの意味がこもっているのですよ」


「この1000年竜などここいらでは見とらん!!おとぎ話しの中の存在だ。義清公、貴様の国は一体全体どうなっているのだっ!!ある日突然に現れた壺から竜が飛び出し、街を破壊するような野蛮極まりない土地だとでも言うのか!?」


「いえいえ、こんなことが日常茶飯事に起きるわけではありませんぞ。不吉な壺でここまでの騒ぎになることはありません。むしろこれは災いの壺の範囲でして……」


「待て!!あのおかしな壺には種類があるのか?」


「最初にワシがお聞きした、壺の入り口が黄色くなかったかと聞いたのがそれですな。壺の入り口が黒ければ不吉な壺、黄色ければ災いの壺ですぞ。両方とも壺の色は茶色なので入り口の色で見分けるしかありませんな」


「貴様の治める土地ではそういう壺がゴロゴロ転がっているのか?」


「いえいえ、不吉な壺ですら偶に出くわすくらいで、災いの壺となると稀なことですぞ」


「とんでもない土地が王国の中にできてしまった……いや、まだ嫌疑ははれていないぞ。あの小娘が竜の背中に乗っている理由を聞いていないぞ」


シュタインベックはこれからの王国の行く末を思って頭を抱えたが、すぐに現実に戻ってきて義清に尋ねる。


「ベアトリスは竜と会話できる娘でしてな、まあ、詳細は省きますが竜と対話して何かしたのでしょう」


 義清はそう言ったが頭では別のことを考えていた。

シュタインベックはこの土地で竜を1000年は見ていないという。

前の世界では偶にではあるが竜を見ることがあった。


 竜を討伐する騎士は夢物語ではなく、現実にある話で体験記に近いものだった。

それがこの世界では見たこともないという。

前の世界では田舎に暮らしていれば村落の天高くを竜が飛ぶくらい、珍しい話ではなかった。


(やはり、何かおかしいぞ。そもそもワシはなぜ今まで世界が交わっていることに疑問を持たなかったのだ?恐らく細部を見れば今までにもおかしな点はあったはず。ワシ単独ではなくワシらみんながおかしい。何かの術式の中にでもいるのか?)


 シュタインベックはなおも義清の前で何か怒鳴っているが、責任がどうの貴族の資格がどうのと、どうでもいい話をしている。

この事態を打開しようとする案は少しも出てこないので義清は聞いてもいなかった。


「アルター、匂い袋はどれくらいある?」


 義清はシュタインベックを無視してアルターに尋ねた。


「それほど多くはありません。黒母衣衆の全員に行き渡らせるくらいです」


 匂い袋とは、竜が嫌う匂いを集めた物を袋に入れて竜を近づかせないようにする袋である。

遠い昔にまだ人と竜が会話できた時代には竜に危険を知らせ、匂い袋のある方に近づかせないようにするものだった。

どちらかといえば竜のためを思って人が作るものだったのだ。


 いつしかその思いは失われれ、今では竜を寄せ付けないようにするものとなってしまった。

竜と人の住む世界が別れてしまったのだ。


当然、義清たちもベアトリスでさえも匂い袋がかつてどう使われていたのかを知らない。


「よし、アルター、お前は黒母衣衆を率いて下で騒いでいるバカどもを黙らせろ。多少手荒にしてもかまわん」


 義清はヴェアヴォルフ族とボア族が、近衛師団と争っていることの鎮圧をアルターに命じた。

この場合の義清のいう多少とは、死者が少し出るくらいならかまわないと言う意味だ。


「ワシはベアトリスの方に行く。急げよ、あの竜は下のバカどもの元へ行こうとしているように見える」


「は、承知しました。竜の到達前に騒ぎを鎮めるのが役目ですな。しからば、時がもったいないゆえこれにて」


 そう言うとアルターは、さっそく配下を率いて王宮の下で争っている一団の元へと向かった。


「おい、聞いているのか義清公!!貴様この責任どうとるつもりかっ!!」


自分が無視されていることに腹を立てたシュタインベックが大声で義清を怒鳴る。


「いやいや、宰相代理殿、まことに申し訳ございませんが見ての通り事態は非常に複雑でして。宰相代理殿にもこの騒動の収束のためご尽力いただきたく存じます」


義清は揉み手でシュタインベックにすり寄りながら語りかけた。


「なんだと、なぜ私がなにかしなければならないのだ?」


「盛大な晩餐会が今や怒号が飛び交う場へと変わろうとしております。こうなれば騒動を鎮められるのは宰相代理殿をおいて他におられますまい……いやいや、バカ騒ぎを鎮めるのはワシのような田舎貴族の役目。宰相代理殿には一筆書いて頂きたいだけのことでして」


 迫って来る義清の背の、夜の闇が濃くなったかと思わず思ってしまうくらいシュタインベックは義清に不気味さを感じた。


「私に何を望むのだ。田舎貴族め」


 しかし、そこは腐っても宰相代理殿のシュタインベック、ラビンス王国を動かしているのは事実上この男なのだ。


 不気味な義清に怯みつつも、やせ我慢で毅然と義清に答えた。


「ワシの配下が竜を抑え込みますので、その間に近衛師団の邪魔が入らないようにしたいのです。ついては宰相代理殿のお力で和解の斡旋をしてもらいたく存じます」


 やせ我慢とはいえ怯むことなく自分に答えたシュタインベックに、義清は関心しつつ和解の斡旋の一筆をお願いした。

宰相代理殿のシュタインベックのサインと花押があれば、近衛師団も一時的とはいえ戦闘を停止するだろうと義清は考えたのだ。


 どの道竜を見たことない近衛師団が竜を見れば戦闘どころではなくなるだろうが、義清は保険をかけたのだ。


 何よりここでシュタインベックに恩を売ることができる。

シュタインベックは大禍国と近衛師団の争いを和解させ、竜を鎮めることに尽力したことになる。

なにせ一筆書くことで、この一連の騒動で名前が表に出るのはシュタインベックただ一人なのだから。


 シュタインベックは突然のハプニングにも関わらず晩餐会を滞りなく終わらせたという実績を積むことができ、王宮内外に自分の力を見せびらかすことができるのだ。


「よかろう、一筆書いてやる。騒動の始末は貴様がつけるのだぞ」


「ありがたく存じます」


義清はシュタインベックと宰相執務室へと向かった。

シュタインベックの後から廊下を進みながら義清は思った。


(しめしめ、竜の騒動にまぎれてワシのところと近衛師団が揉めたことは、お咎めを受けそうにないな。うまいことどさくさに紛れられそうだわい。……そういえば)


義清はふと足を止めた。


(そもそも、なぜあのバカどもは近衛師団と揉めたのだ?)


義清はエカテリーナとラインハルトにゼノビアの顔を思いうかべた。


「何をしている義清公!!執務室はこっちだ」


シュタインベックの言葉に我に返った義清は、慌てて後を追った。

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