第11話
私の職業は臨床心理士。心に傷を負う人々の言葉に耳を傾け、その癒しとなるのが私の日課である。
今日も今日とて、その双眸に陰りを宿した子羊が私の前に姿を現した。
「今日はどうされましたか?」
私は積もりたての新雪のような調子で問いかけた。
「ひどく憂鬱で、気がふさいで、何をする気も起きません。以前楽しめていたことも今では苦痛です。食事は砂を噛むようだし、誰とも話したくないし、朝は全然起きられません。」
「それはお辛いですね。」
(まだ陽が昇って間もない時刻なのだが。)
目の前の人物は身振り手振りを交えて滔々と語りだし、言葉の奔流は留まるところを知らない。私は真剣な相槌を打ちつつ、穏やかに聞き流した。
「自分は本来、もっと闊達で、お喋りで、明るくて、自信があるはずなのです。こんな、暗くて無口で曖昧な人間ではありません。かつての自分を取り戻したい。」
「落ち着いて、ゆっくり解決していきましょう。」
(あなたが自分を取り戻したら、手に負えないのではないか。)
「憂鬱なんです、気持ちが下がりっぱなしなんです。どうしたらこんなに気力がマイナスになるのか、どうしてこんな生き物がいるのか、神様がいるのなら訊いてみたいくらいです。だって、生きているから生き物なんですよ。生きる気力の無い生き物なんて、存在自体が矛盾しているではありませんか。」
「そうですね。」
(それよりも、憂鬱であるあなたがこれほど熱弁をふるう矛盾について問い質したい。)
「言葉も満足に出ない今の自分が歯がゆくて。すみません、本当はもっとまともに滑らかに話せるのですが。」
「安心してください、ちゃんと伝わっていますよ。」
(こうなったら、あなたの弁舌がどこまで進化するかを検討すべきかもしれぬ。)
私はいかようにも取れる笑みを浮かべた。
今日もいい仕事ができそうだ。
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