蛇足

それを聞いた彼女は、ほう、と一つ溜息を落として彼に向き直る。

切り揃えられた濡烏ぬれがらすの髪が風に弄ばれて、彼女の憂いに満ちた顔に落ちかかる。

底なしの淵のように深く黒い目は怒りとも哀しみともつかないかげりがさしている。


「……それは、普遍な一般的考えかしら。それとも、貴方個人としての考えかしら」


その意図を察し、彼女の肩越しにライ麦畑の惨状を見ていた彼は、己を向こう側に固定する楔――彼女に目を向け、ふっと優しく笑った。


「前者だとも。お前を選んだ時点で、私はうにお前と永い流離さすらいを共にする覚悟はしているよ」


それを聞いた彼女は、その美貌をふわりと綻ばせ、彼女の年の頃を考えれば華やぎに欠ける留袖を揺らし、彼の腕に己の手を絡めた。

それはまるで未だ恋をしているようなあどけなさのある少女の表情だった。


「そうよね、そうだわ。貴方、最初は智の為とはいえ、私を楔として、三々九度を交わした仲ですもの」

「はは、幾ら何でも、私も其処迄飽き性ではないさ」


そう言って彼は空いている方の手で、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でる。

彼女はとても嬉しそうに微笑む。

それから、三度、ライ麦畑に視線を向けた。

本来、彼女は向こう側の存在で、彼の楔となっている以上、彼もまた既に向こう側の存在だった。

であればこそ、このライ麦畑の向こう側で起きている惨状も、二人にははっきりと見えていた。

ライ麦畑に散らばる一人の女――ルサールカのばらばらに解体された肢体。それが元の通りに繋がっていれば、とても美しく蠱惑的な美人であった事が容易に想像できた。

ライ麦の合い間に、ころりと転がったその長い髪を広げた首には、何処か恍惚として笑みが乗っている。


「行きましょうか。彼女に見せつけるわけにもいかないし」

「ああ、そうだな」


向こう側に軸を置く客人まれびとの夫婦はそうして、ライ麦畑を後にした。

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