第40話 王城での戦い⑩

 立ち上がると、見上げるほど大きな王――魔獣ミノタウロスを見上げる。


 この世界に来てからずっと考えていた。俺に何が出来るのか。

 力のない俺は鈴木や陽ノ守のように能力に頼って戦うことは出来ない。かといって戦略を練って戦うには人数が足りない。俺一人で出来ることなんてたかが知れている。だから誰かに頼るしかない。


 そう思っていた。

 現実的じゃないとか、俺には能力がないとか、そんな理由を並べて、戦うことから逃げようとしていたんだ。

 死ぬのは怖い。傷つくのは嫌だ。

 そんな思いは誰にでもあるだろうが、俺はきっと人一倍その思いが強かった。それは、前の世界にいたときからそうだ。


 傷つくのが嫌だから余計なことはしない。

 傷つくのが嫌だから他人とは関わらない。

 

 ずっとそうやって自分を守ってきた。


 でも、そのせいでリリアを失った。俺のそんな心の弱さが、リリアを殺したんだ。

 後悔先に立たずなんて言葉はこれまでに飽きるほど聞いてきたし、その言葉を聞く度に俺は後悔し続けてきた。そして今もまた、それを繰り返している。


 俺は後悔することに慣れすぎていた。

 どうせこうなる運命だったんだとか、自分ならこうなっても仕方ないとか言って、自分を納得させてきた。


 でも、今は違う。

 本当に悔しいと思った時には、ただ納得するなんて出来やしないんだと、俺は始めて知った。

 怒りも、悲しみも、悔しさも、収まることなんてない。むしろどんどん大きくなっていく。

 それが本当に『後悔』するということなのだ。


「ルガオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 魔獣が叫ぶ。

 鼓膜を突き抜けてくるような激しい咆哮。思わず後ずさりしたくなるが、踏ん張って耐える。


 俺の後ろにはこんな俺を守り続けてくれた人がいる。

 その人にこれ以上格好悪いところは見せられないし、見せたくない。


「どうした、そんなに震えて。逃げたいのなら逃げても構わないのだぞ?これまでもずっとそうしてきたのだろう?なに、恥じることはない。逃げるのは賢い者のすることだ。力量差のある相手に挑むなど、ただの馬鹿のすることだからな」


「逃げるわけないだろ。だって、俺は――」


 頭の中で、リリアの声が聞こえたような気がした。


「俺は――勇者、なんだから……!!」


 その瞬間、確率剣から眩い光が溢れ出した。


 柄を掴み、ゆっくりと引き抜く。

 ガラスを指で弾いたときのような澄んだ音を発しながら、確率剣は徐々にその姿を顕にしていった。

 鞘から完全に抜けた剣からは目が眩むほどの光が溢れ出し、部屋を埋め尽くしていく。

 光が収まった後、俺の手に握られていたのは淡く輝く銀色の剣。


「その、剣は……?」


 陽ノ守の驚きの声とは逆に、魔王は実に楽しそうに笑いながら言った。


「ふふ、ふふふふふふ……!!本当にお前という奴は……!!どうして戦うたびに我を楽しませてくれるんだ……!?まさかこの土壇場で『億分の一』を引きあてるとは……!!だが、だとしても魔獣と化した王にお前が勝てるのか!?」


「グ、ウ……ウウウガアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 目潰しを喰らったのが癪に障ったのか、ミノタウロスが巨木のように太い腕が襲い掛かってくる。


 確率剣を引けたからといって勝てる見込みはない。

 相手は俺の何十倍もの巨体を持つミノタウロスだ。その攻撃を貰えば一撃でアウト。


 でも、俺の目的は物語の中に出てくる勇者のように、敵を完膚なきまでに叩きのめして完全な勝利を得ることじゃない。 


 今の俺に出来ること。それは……。


「リリアの心臓だけは……返してもらう……!!」


 ミノタウロスの豪腕が目前に迫る。

 避けられるほどの距離も時間も稼ぐことは出来ない。


 確率剣を前に出し、左手で剣の腹を抑えて攻撃を受ける体制を作る。

 この剣が本当に強い剣なら折れることはないはず。本当に強いのか、折れないかどうか、そのどちらも賭けだった。

 その結果は、俺の予想とは全く違うものになった。


 ミノタウロスの拳と確率剣が接触する。

 確率剣が折れれば即死、折れなくともまず間違いなくぶっ飛ばされる。そう覚悟していたのに、拳が俺に届くことはなかった。


 「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオオオオッ!!」


 ミノタウロスが痛みに絶叫を上げる。

 それもそのはず。確率剣はミノタウロスの拳を受け止めるどころか、真っ二つに切り裂いていたからだ。

 勢いのついた拳を自分で止めることもできず、肘までを両断されてようやく止まる。


 切れ味がいいなんてもんじゃない。まるで豆腐を包丁で切るような軽い感覚に驚きを隠せなかった。

 それは魔王も同じだったようだが、その姿はどこか歓喜に打ち震えているように見えた。


 でも、いける。この確率剣があれば俺でもこいつを倒せる……!?

 二つに割れた腕に向かってさらに確率剣を振るうと、完全に切断された腕はズシンと重い音を立てながら地面に落ち黒い灰となって胡散した。


 片腕を失ったミノタウロスは怒り狂ったように絶叫を響かせる。だが多少なりとも知性は残っているのか、同じような攻撃を繰り返すようなことはしてこなかった。


 ミノタウロスの長い口がガパッと上下に開き、そこから火炎が放射される。

 物理攻撃は防げても、魔法による攻撃は防ぎようがない。急いでその場から離れるも、広範囲にわたる火炎から逃れることは不可能だった。


防御障壁泡ディフェンドバブル!!」


 その声と共に俺の周囲を泡のようなものが包み込み、ミノタウロスの豪炎をことごとく弾き返す。泡は熱すらも防いでくれるようで、熱さも一切感じなかった。


「サポートは私がします!!だから安心して向かっていってください!!」


 陽ノ守の叫びに頷いて返し、俺は再度ミノタウロスへと向かっていく。


 心臓がある胸部は俺の遥か上。鈴木や陽ノ守ならまだしも、どれだけジャンプしたところで届くわけもない。

 だから、狙うのは足だ。あれだけの巨体を支えている足を失えば立っていることなど出来るわけがない。まるで何百年も生きた大樹のように太い足だが、この確率剣ならば斬れないことはないはずだ。 


 狙いがわかったのか、足を大きく振り上げて踏み潰そうとする。


龍頭炎の竜巻ドラゴヘッド・フレイム・トルネイド!!」


 浮いた足を陽ノ守の魔法が打ち抜き、ダメージはないものの着地点が大きくずれる。

 その隙に確率剣で一気に足首を切断すると、絶叫を上げながらミノタウロスが大きくよろめいた。

 すかさず陽ノ守の追い龍頭炎の竜巻ドラゴヘッド・フレイム・トルネイドが顔に命中し、体制を崩したミノタウロスは重い体を支えることが出来ず仰向けに倒れこんだ。


 チャンスは今しかない。


 巨体をなんとかよじのぼり、胸部まで走り抜ける。


 だが、そこには先客の姿があった。


「国王様を……やらせはしない……!!」


 そこにいたのは、王直属騎士団の長、グラードであった。

 兜の半分が割れ、鎧も無事なところは見当たらない。だがその鋭い目だけはいまだ死んではいないようだった。


「お前は王が何をしてきたのか知ってたんだろ!?なんでそんな最低の奴をかばう!?」


「国王様は私の命の恩人……!!命をお救いする理由はただそれだけで十分……!!」


「恩人……!?」


 動揺した隙に、一瞬で距離を詰められる。


「たとえどれほどその剣が鋭かろうと、扱う本人にその技量がなければただの宝の持ち腐れだっ……!!千刃剣……!!」


 無数の刃が襲い掛かってくる。

 天乃瀬と戦っていたときに見せたものよりも数倍手数が多い。おそらくこれがグラードの本気の攻撃なのだろう。

 確率剣を構えたところでその全てを防ぎきることは出来ない。グラードの言うとおり、それらに全て対処できるほどの力を俺が持っていないからだ。いくら確率剣が強くとも、使う本人が強くなるわけじゃない。確率剣の弱点は、俺自身だった。


 グラードに構っている時間はない。

 それにミノタウロスもいつまでも悠長に寝転がっていてはくれないだろう。

 玉砕覚悟で突っ込むしか方法はない。


 そう覚悟した、その時だった。


「……!!」


 グラードが突然後ろに跳び退って距離を取ったかと思うと、グラードが立っていた場所に勢いよく特大剣が突き刺さった。ミノタウロスの肉にずぶりと沈み込み、血の飛沫を吹き上げる。


 そして剣の後に続き、何かが俺の目の前に降り立つ。

 振り返った男は、忌々しそうに俺を見つめると小さく舌打ちした。


「鈴木……!?」


「……うるせぇよ。別にお前を助けにきたわけじゃねぇ。陽ノ守に頼まれたからきてやっただけだ……。あいつの相手はしてやるから、さっさとこの化けもんを殺してこい……」


 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返し、酷くしんどそうに言う鈴木。

 陽ノ守に回復してもらったのかもしれないが、それ以上に精神的な苦痛が勝っているのだろう。


「勇者筆頭……!!」


「てめぇもうるせぇよ……。俺を誰だと思ってんだよ、あぁ……?俺は……俺はなぁ……!」


 鈴木が特大剣を構えるより早く、グラードの千刃剣が襲い掛かる。

 だが鈴木は力任せに特大剣を振り回すとグラードの攻撃を全て弾き、さらにそのまま剣の腹でグラードを思い切り吹き飛ばした。


「さっさと行けよ……。くそ……なんで……なんでお前なんかが……」


 ぶつぶつと何事か恨み言を呟きながら、鈴木は吹き飛んでいったグラードの後を追っていった。

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