第39話 王城での戦い⑨

「まったく難儀なことだな。愛という感情はこれほどまでに魔王という存在を弱くさせてしまう。だからこそ我はこの半身を切り離したのだ。魔王に弱点などあってはならないからな」


 心臓を抉り取られた瞬間、リリアの体を覆っていた黒い靄のような者は空中に胡散し、元の姿に戻る。

 いや、厳密には元の姿ではなかった。黄金の髪は真白な白髪に変わり、綺麗だった真紅の瞳も色が抜けたように灰色になっていた。

 そしてすべての力が抜けたようにうつ伏せに倒れ込む。


「駄目です佐藤さん!!危険です!!」


 陽ノ守の声が聞こえたような気がしたが、その時には既に駆け出していた。

 魔王の存在はもう目に入っていない。俺の目に映っているのは倒れているリリアの姿だけだ。

 どうしてか魔王はただ見ているだけで攻撃してはこなかったが、今はそんなことすらどうでもよかった。


「リリア!!」


 リリアの元にたどり着くと、体を抱き起こす。その体はまるで何も入っていないかのように軽い。微かに息はあるが、風前の灯だった。


「…………キヨ……ノスケ……?」


 力なくふらふらと彷徨う手を強く握り締める。

 目も見えていないのか、定まらない視線は俺を探してあちこちを彷徨う。


「ここだ、俺はここだぞ……?」


 声をあげると、リリアはこちらに顔を向けて微笑んだ。


「あぁ……そこに、いたんだな……?よかった……無事で……」


「なんで、お前は……そんなに……」


 とりとめのない感情は言葉にならず、何の意味もない声だけが出て行く。

 言いたいことはたくさんあったはずなのに、怒ってやらなきゃいけないと思っていたはずなのに、その掠れた声を聞いただけで何も言えなくなってしまう。


 でも、言葉にしなくてもリリアには伝わったようで、申し訳無さそうに眉根をひそめた。


「悪かったな……。ただ、我にとって一番恐ろしかったのは……お前が傷つくことだったんだ……許してほしい……」


「助けられておいて、許すも何もないだろ……?」


「ふふ……やっぱりお前は優しいな……。こんな我の為に、泣いてくれるのだから……」


 力なく伸ばされたリリアの手が俺の頬に添えられると、いつの間にか流れていた涙を拭ってくれる。ひんやりとした手の平が心地よかった。


「ずっと……ひとりぼっちだった。上も下もわからない真っ暗な闇の中で、生きることも、死ぬことも出来ぬまま……。そんな時だ、お前が我の前に現れたのは……」


 リリアの小さな手が、俺の頬に触れ、首に触れ、肩に触れ……そして手に添えられる。


「それだけじゃない。あの黒い剣士に襲われたとき、お前は自らの命を顧みずに我を救ってくれた……」


「それは……」


 違うと言おうとした言葉を、リリアが遮った。


「違うぞキヨノスケ。お前は確かに我を救ってくれたんだ。ずっと一人だと思っていた我の心を、救い出してくれたんだ。嬉しかった、本当に……お前のことを心の底から好きになってしまうくらい、嬉しかったんだ……」


 俺はリリアに好きになってもらえるような人間じゃない。

 だって、俺はただリリアの強さに……好意に甘えていただけなんだから。


 あの森で初めてリリアに好きだと言われたとき、本当にリリアのことを想うのであれば断るべきだった。

 でも俺はそれをしなかった。ただ流されるままに受け入れてしまった。

 そこに打算的な感情があったのは否定できない。


 俺は弱い。だからこそ力がほしかった。陽ノ守や鈴木、その他の連中にも負けないような力が。


 だから俺はリリアを利用しようとした。

 魔王であるリリアの力で守ってもらおうと、そう考えてしまったんだ。


 だって俺には何もできないから。


 そんな俺に、リリアから向けられる純粋な好意を受け入れるなんてことが出来るわけがない。受け入れる資格なんてない。


「俺は……」


 言い訳にもならないような言葉を口にしようとしたその時、リリアの手が俺の手を力強く握った。

 そしてその先は言わなくてもいいとでも言うかのように首を振る。

 

「お前は我に幸せな時間をくれた。短かかったが、我にとっては今までで一番幸せな時間だった……。だから……だから、キヨノスケ。もう何も出来ないなんて言うな。お前には誰かを救うことの出来る力がある。我を救ってくれたように、その手でこの先もっと多くの人を救うことが出来るんだ。だから、胸を張れ。自信を持て。だって、お前は……」


「……リリア?」


 すっと、リリアから力が抜ける

 かろうじて開いていた瞳も、ゆっくりと閉じられていく。


「リリア?リリア!?駄目だ、まだ話してないことがあるんだ……!お礼だって全然言えてない……!だから死ぬな!死なないでくれ!」


 必死に呼び止める俺の声に笑顔を浮かべながら、リリアは小さな声で呟くように言った。


「お前は、我にとって……たった一人の、勇者なんだから……」


 リリアの手が地面に落ちる。


「リリア?リリア!?おい、リリア!?」


 どれだけ呼びかけても、その手がもう一度持ち上がることはなかった。


 後ろからそれを見ていた魔王が声をかけてくる。


「別れは済んだか?愛などというくだらない感情など持たなければこんな無様な死に様を晒すこともなかっただろうに。半身とはいえ、実に恥ずかしいことだ」


「……恥ずかしい?何が、恥ずかしいんだよ」


 リリアの体をそっと地面に置き、魔王を睨みつける。


「滑稽以外のなんだというのだ?お前は我が半身を心底から好いているわけではなかったのだろう?そんな人間の為に自らを守るための力を使い、そして死んだ。これが笑わずにいられるか」


 拳を握り締める。爪が手の平に食い込んで血が滲んだ。


「怒ったか?ふふ、だがお前のような奴が怒ったところで何が出来る。何も出来なかったからこそ、我が半身は死んだのではないか。無能は無能らしく、そこでおとなしく指をくわえて見ているがいい」


 そう言うと、魔王はダラリス王の首を無造作に掴み宙に浮かせる。


「ぐ……かはっ……!!」


「一国とは言え、人間共の頂から見る景色はさぞ気分が良かったろう。だがその景色ももう見飽きたのではないか?」


「なに、を……?」


「お前は召喚した勇者共を半魔に変え、その力をもって人間共を支配しようとした。だがそれは我の望んだことではない。我は、人間と人間が争い、諍い、そして殺しあう、醜い姿が見たかったのだ。だからお前に人間を憎むよう仕向け、生きて帰らせた。半端者が人間を蹂躙する姿など、面白くもなんともない。弱い人間が争うからこそ面白いのだろう?」


「わ、わかっ、た……もう半魔は作らない……だから……」


 王の言葉に、魔王は首を振る。


「言い方が悪かったな。半魔を作る作らないはこの際どうでもよい。一番の問題は、お前が半魔に使ったのが我が暇つぶしとなるはずであった勇者であるという一点のみ。我の唯一の楽しみを奪った罪、簡単に償えると思うなよ?」


「や、やめ……がああああああああああああああああああああああああっ!!」


 魔王の背中の八つの黒羽が鋭く尖ったかと思うと、次の瞬間には王の左胸を貫いていた。

 羽が穿ってできた大きな穴に、魔王が持っていたリリアの心臓を埋め込む。


 変化はすぐに起きた。


「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 

 獣のような叫び声を上げると、暴れまわるように体を痙攣させる。

 心臓が埋め込まれた胸部から真っ黒な靄が湧き出て王の体を包み込むと、ズグンズグンと脈動しながらその体が徐々に巨大化していく。


 黒い靄が消えると、そこにいたのは見上げるほどに巨大なミノタウロスの化け物だった。


「あっはっはっはっはっは!さんざんっぱら人間を半魔にしてきたというのに、自らは完全な魔物になってしまうとはな!魔王の心臓を埋め込まれたからとはいえ、なんと意志の弱いことか!その体たらくで本当に勇者だったのか?」


 一頻り笑うと、魔王は俺を見下ろす。


「さぁ、すべてのお膳立ては済ませてやったぞ佐藤清之介。こ奴はもう人間ではない、ただの理性を失った魔獣だ。人間でないならお前は存分に戦うことが出来るのだろう?お前にできるのなら倒してみるがいい。我が半身を見殺しにした、そのちっぽけな力でできるのならな!」

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