第37話 王城での戦い⑦
あたたかい。
何かはわからないが、人肌の温もりというか、そんなものが俺の体を包み込んでいるような感覚がある。
誰かと抱き合った記憶なんて、それこそ遠い昔、まだ俺が幼稚園制だった頃に両親に抱っこをしてもらったものくらいしかないはずなのだが、今感じているこの感覚はそんな懐かしい情景を思い出させるくらいには鮮烈だった。
このあたたかさをずっと感じていたい。
別に親の愛に飢えているとか、そういうことじゃない。
例えるなら寒い冬の日の朝、布団から出られないような感じだろうか。出ればすぐに冷えてしまうことがわかっているからこそ抜け出すことが出来ない。
でも、俺の体がそれを許してはくれなかった。俺の幼い願望を戒めるように、ゆっくりと目が開いていく。
起き抜けのはっきりしないぼやけた視界の中に一際大きな顔が映り込んでいた。
誰かはすぐにはわからない。それでもどうしてか懐かしいという感情が俺の心の中に広がっていった。
俺が起きたことに気付くと、一文字に閉じていたはずの口がゆっくりと笑みの形を作る。
ぽたりぽたりと落ちてくる雫は、どうやら涙のようであった。
「佐藤さん……?わかりますか……?私のこと、わかりますか……?」
大した時間は経っていないはずなのに、なんだかとても懐かしいように感じる。
だが、その優しい声音を忘れるわけもない。
「陽ノ、守……?」
「はいっ……!わたし、陽ノ守ですっ……!」
そう言うなり陽ノ守は俺の体に覆いかぶさり、強く抱きしめてくる。さっきまで感じていたあたたかさを思い出し、その理由がなんだったのかを理解した。
「でもどうして陽ノ守が……?確か死んだはずじゃ……」
陽ノ守は呪縛の強力な力に耐え切れずに死んだと王は言った。鈴木も目の前で陽ノ守が死ぬところを見たと言っている。二人がかりで嘘をついているなんてことはないだろう。
それに断片的にしか覚えていないが俺はさっき何かに心臓を貫かれて倒れてしまったはず。実は心臓を貫かれても死なない体だったんです!みたいな反則設定が俺にあるわけもない。ていうかそんなのがあったらこんな苦労してない。
それら二つから導き出される結論は一つしかないだろう。
「なるほど、俺は天国に召されたわけだな……?」
「違いますよ!……でも、私達が今いるここは、ある意味では地獄よりも酷いところかもしれません」
そう言うと、後ろを振り返る陽ノ守。
陽ノ守が見つめる先に視線をやって、俺はその言葉の意味を理解した。いや理解せざるを得なかったといったほうが正しいかもしれない。
王が倒れていた。
グラードも、そして鈴木や他の召喚組たちもみんな地に伏せている。ピクリとも動かず、生きているのか死んでいるのかはわからない。ただ辺りに散らばる血溜まりが、少なくとも彼等が危険な状況にあることを物語っていた。
そして、その血溜まりの中心。
黒い何かが立っていた。
何かはわからない。見たこともない。あれがどういう存在なのか、目には見えているはずなのにどうしても理解することができない。でも黒いものがそこに立っているという事実だけは確かに存在している。
目のようなものがこちらを向くなり、体が勝手に震え出していた。
「説明は後です。今すぐにここから逃げましょう」
俺の手を取って立ち上がろうとする陽ノ守だったが、俺は動くことが出来ないでいた。
「リリアは……?リリアはどこにいったんだ……?」
倒れている王達の周りを確認して見るが、黄金色の髪を持つ少女の姿だけ見当たらない。
リリアを置いて逃げることなんて出来ない。さっきだって瀕死の重傷を負っているのにも関わらず、俺なんかのために魔法を使い続けてくれたんだ。きっとまだ俺のことを心配し続けてくれているはず。お前のおかげで助かったって言って、早く安心させてやりたい。それから俺のことなんか構ってないで早く自分の傷を治せって怒ってやらなきゃならない。
「あいつは俺の命の恩人なんだ。逃げるなら一緒に連れてかなきゃ。金髪で目立つからすぐに見つかるはずだ。こんなときに何言ってんだって思うかもしれないけど、でも頼む陽ノ守、一緒に探してくれ」
俺の言葉を聞いた陽ノ守は目を伏せ、そしてゆっくりと黒い何かを指差した。
「佐藤さんが言う金髪の子が、あの黒い何かです」
「何、言ってるんだ……?あれはリリアなんかじゃ……」
陽ノ守が俺の肩を強く掴み、真っ直ぐに見つめてくる。その目は、まるで気をしっかり持てと言っているかのように真剣なものだった。
「私がここに来た時、あれは美しい女の子の形をしていました。でもすぐに黒い靄のようなものに包まれて、今のあの形になった。王や鈴木くん達が立ち向かいましたが、何かの恐ろしい魔法でやられてしまったんです。動けもせずに、一瞬で。あれは私達がどうにかできる存在じゃありません。ここにいては佐藤さんの命も危ないんです。わかってください。あれはもう佐藤さんの知る女の子ではないんです」
「まさか……」
時折垣間見せるリリアの魔王の力の巨大さは少なからず知っているつもりだった。それが人類を滅ぼしうる力である事も。
でもあれが発している力はリリアの持つものとはまるで違う。魔王の力が暴走したとか、そんな簡単な言葉で片付けられるほど単純なものじゃない。悪意が寄り集まって具現化したような、そんな恐ろしさを感じる。
その時、黒い何がもぞもぞと動いた。
「縺ォ縺偵※縺ォ縺偵※縺ォ縺偵※縺ォ縺偵※縺ォ縺偵※」
言葉にならない音のようなものが頭の中に響く。
脳を直接くすぐられているかのような感覚に、頭蓋骨を開けてかきむしりたくなる衝動に駆られる。
気がつけば爪が食い込むほどに強い力で頭を掴んでしまっていた。
「佐藤さん!?」
「あっ……?」
その声に正気を取り戻す。
陽ノ守には黒い何かの声は聞こえていないようだった。
俺だけに聞こえる声。
きっとリリアが俺に何かを伝えようとしているに違いない。どうしてかそう感じた。それなのに何を言おうとしているのかが全くわからない。理解できない。
なんだリリア。お前は俺に何を伝えようとしてる……?
ゆっくりとこちらに向かって進み出したリリアの体に、光り輝く一本の槍が突き刺さった。刺さった箇所からどす黒い血のようなものが噴き出し、床を真っ黒に染める。
雷の槍、『
「化け物……めが……。まがい物の、分際で……っ」
息も絶え絶えと言った様子だったが、生きていた王が再び左手をリリアに向け
だがリリアは避けるどころか避ける意志さえ見せない。
二本目の
それでもリリアの足は止まらない。明確な目的を持って俺のいる方へと歩いてきている。
その様子を見た陽ノ守は焦ったように言った。
「逃げます」
そして陽ノ守は動けない俺の体を無理やり担ぐ。
「ま、待ってくれ!!あいつは俺に何かを伝えようとしてるんだ!!」
「あれからは意志も、思考も、何も感じられない。ただの、化け物です。私はあなたを守る。そのためなら後でなんと言われようとも構いません。力づくでも連れて行きます」
「リリア!!リリアッ!!」
陽ノ守の力に抗うほどの力を俺は持っていなかった。ただ名前を呼ぶことしか出来ず、どれだけじたばたもがいてもびくともしない様は情けないの一言に尽きた。
「え……?」
陽ノ守が駆け出そうとした時、はたとその足が止まる。
困惑したような声と共に、ふっと力が抜けたのがわかった。俺を抱えていたはずの腕は力なく降ろされ、俺の体は重力に従ってそのまま地面に落ちる。
すぐに起き上がり、陽ノ守の視線の先を追う。
そして目を疑った。
こめかみから生える暗黒色の雄々しい巻き角。背中から生える八つの巨大な黒羽。金色に輝く絹のように滑らかな髪を持つ少女が、俺達の目の前に浮かんでいた。
真紅の瞳で俺を射抜きながら、少女はどこか尊大な口調で言葉で言った。
「人間ごときが気安く我の名を呼ぶでない。殺すぞ」
見間違えるわけもない。
リリアがそこにいた。
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