第23話 それでも俺は殺せない

 ばあさんはリリアが魔王であることを確信している。おそらく適当な嘘をついたところで信じてはくれないだろう。

 深呼吸をして気を落ち着かせてからばあさんに尋ねる。


「……仮に魔王だったとしてどうする?兵士達を呼ぶか?それとももう一度戦うか?」


 するとばあさんは力なく首を横に振った。


「そいつが魔王である以上、たとえ兵士を何万と呼んだところで意味なんて無いだろうさ。おそらく、この国に魔王に立ち向かえるものは誰一人としていない。もうアタシに戦おうなんて気はないよ」


 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。


 でもどうしよう。

 ばあさんにリリアの正体がばれてしまった以上放っておくことはできないのだが、かといって口封じをするなんて大それたことができるわけもない。そんなことをすれば俺は人の道を大きく踏み外すことになる。魔王と関係を持ってしまっている時点ですでに百八十度くらい踏み外しているような気がしなくもないが、とりあえず今は考えないようにしよう。

 暗殺者装備をくれたばあさんには少なからず感謝している。この装備のおかげで今まで危ない橋をなんとか乗り切ってこれたといっても間違いじゃない。確率剣の方も本来の使い方とは全く別だがはったりという意味では一応役に立っているし。ともかく、お世話になった人を傷つけるなんていう選択肢はなかった。


「なぁばあさん、ここで見たことは誰にも言わないでくれないか。こいつは――リリアは別に国を滅ぼそうなんてつもりでここにきたわけじゃない。ただ、陽ノ守達を救いたいっていう俺の願いを聞いてくれようとしてるだけなんだ。それに、信じてくれないかもしれないけど、リリアはばあさんが思っているような悪い奴じゃない。本当に、ただ純粋に俺を助けようとしてくれているだけなんだよ」


 俺のその言葉を、ばあさんは鼻で笑い飛ばした。


「悪い奴じゃないだって?あんたは一体何を言ってるんだい?一体そいつの……魔王のどこを見てそんなことが言えるっていうんだい!?」


 ばあさんの突然の怒鳴り声に続けようとしていた言葉を飲み込む。感情の篭った声に否が応にも緊張が走る。


「そいつが今までどれだけの人間を殺してきたか知ってるか?十人や二十人なんてもんじゃない、それこそ何百万という人の命を奪ってきたんだ!これ以上の極悪人がいると思うか!?」


「それは……!」


 ばあさんの言葉に動揺を隠せなかった。

 魔王である以上、そして人間の敵である以上そういうこともあるだろうと漠然と思ってはいた。でもそのあまりにも圧倒的な数の多さに何も言えなくなる。 


 リリアを見る。

 さっきの俺の気持ち悪いという言葉が相当効いたらしく、泣く事に必死になっていてばあさんの言葉は耳に入っていないようだった。しくしくと涙を流すその姿を見ている限り、何百万もの人を殺したようには到底思えない。

 でも、俺はリリアのことについて何も知らなかった。どうやって生きてきたのかとか、どうして魔王になったのかとか、そういうことを一切知らない。

 俺が見ているリリアの顔はほんの一部分でしかなくて、きっとまだ見ていない顔がたくさんある。そしてそのどこかに魔王としての顔があるのかもしれない。何百万という人間をいとも簡単に殺せてしまう、魔王の顔が。


「そいつは人間の敵だ!どういう経緯でそいつと出会ったのかは知らないが、本当に悪い奴じゃないと言いたいのなら今すぐにそいつを殺して証明しとくれ!そいつさえ死ねば、アタシら人間は平和に暮らすことが出来るんだから!」


 俺は甘く考えていたのかもしれない。

 魔王と一緒にいるということ。それは人間を敵に回すということだ。今こうしてばあさんが俺に向けている敵意をこの世界に住む人全員から向けられる。学校でハブられるなんてのとは比較にならない。それこそ世界中からつまはじきにされる。それがどれほど辛いのか想像することはできなかった。


 おそらくリリアは俺が死んでくれといえば死ぬだろう。奢りと思われるかもしれないが、なんとなくそんな気がする。リリアが死ねば俺も死ぬことになるが、この世界が平和になることを思えば安い命のような気もする。むしろ能力値が低すぎる俺にしてみれば大きすぎる功績。何せ魔王を倒した勇者になれるのだから。


 拳を握り締める。そこには念のため隠し持っていた食卓用ナイフがあった。

 こんなちっぽけな俺の力でも心臓目掛けて突き刺せば絶命させることはできる。リリアは抵抗しないだろうし、むしろ自分から進んで刺されようとするかもしれない。


 そこまで考えて、俺は首を横に振った。


「確かにばあさん達からしたら最低最悪の魔王なのかもしれないけど、俺にとっては大切な命の恩人なんだ。だから誰に何を言われても俺がリリアを殺そうとすることだけは絶対にない」


「き、キヨノスケが今、我のこと命よりも大切な人って……!!」


「言ってねぇ!!言葉を都合よく並べ替えるな!!っていうかシリアスな場面なんだからちょっと黙っててくれる!?」


「だ、黙ってろって……!キヨノスケが黙ってろって言ったっ……!」


 突然会話に入ってきたかと思えばすぐにまた轟沈するリリア。そしてさっきと同じようにめそめそ泣き始める。本当に魔王なのか疑わしくなってくる挙動だった。


「本当に、どうしてお前がそんなに魔王に好かれているんだい……?」


「好かれてだけではない、愛されているのっぷ……!?」


 余計なことを言おうとするリリアの口を手で塞いだ。さすがに何度も何度も話の腰を折られては話が前に進まなすぎる。

 そんな俺達の様子を見て、ばあさんがため息をついた。


「……やめだやめだ。そんな頭の中がピンク一色で染まってるような奴を相手に真面目に怒ってると思うと馬鹿馬鹿しくなってくる」


「それは見逃してくれるってことか?」


「見逃すわけがないだろう。腐っても魔王だ。人間にとって許されていい存在じゃない」


 リリアさん腐ってるとか言われてますけど魔王としてどうなんですかという視線を込めて様子を伺うが、またさっきのようにピクリとも動かなく――いや、違ああああああああああああああああああああああああああああああああ!?


 瞬間、リリアの口にあてがっていた手の平に感じたことの無いこそばゆさを感じる。見れば、リリアが興奮した様子で鼻息荒く俺の手をべろんべろんと嘗め回していた!唾液でべちゃべちゃしてきて滅っ茶苦茶気持ち悪い!

 慌てて手を離そうとするが、どういうわけか吸盤で吸い付かれたように一向に離れてくれない。リリアが吸っているせいだが、口で吸われたくらいで離れなくなる俺の筋力って……!

 っていうかせっかく人が真面目な話をしようとしてたのに一向に集中できねぇ!!


「なんなんだい本当に……」


 あきれたように呟くばあさん。そのとおりなのでもはや何も言い返すことは出来なかった。


 その時、突如として俺の背後の扉が力強くノックされる。


「この家から怒鳴りが聞こえるという通報があった!!今すぐにここを開けろ!!」


 若い男の声。その周辺からはガチャガチャという金属音が何十にも聞こえてくる。どう考えても兵士で、しかもどうやら一人二人じゃないらしい。やばいと思ったときには反射的に物陰に隠れていた。

 反応がなかったからか、その数秒後にはドアが力任せに開かれて兵士達が雪崩込んでくる。俺が隠れた場所は丁度ドアと棚の間に挟まれていたので兵士達からは完全に死角になっていたが、そもそもばあさんがそこに隠れていると指摘さえすれば速攻ばれるから全く意味がない……!


「なんだいあんたらは。ここが誰の家か確認して入ってきたんだろうね?」


 ばあさんがそう言って兵士達を睨みつける。すぐにでも俺達を突き出すと思っていたので意外だった。

 兵士達は初めのうちはばあさんの横柄な態度に怪訝そうな態度をしていたが、何かに気付くとすぐさま兵士全員で敬礼の姿勢をとる。


「た、大変失礼致しましたローライン様……!!」


 ローラインなんて格好いい名前だったのかばあさん。ていうか様付けってどういうことだ?兵士に敬礼されてるし、もしかしなくてもばあさんって滅茶苦茶偉い人?


 兵士のおそらくリーダーであろう一人が敬礼の姿勢を保ったままばあさんに言葉を投げる。


「住人からこの付近で叫び声が聞こえたとの通報があり、急ぎ駆けつけたところローライン様の家からなにやら眩い光が見えたものですから、もしやと思い……」


「そんな言い訳はどうでもいいんだよ。大人数で突然おしかけてきおって……まずは謝るのが先なんじゃないのかい」


 ばあさんがぴしゃりと言い放つと、雷に打たれたように兵士達は姿勢を正し、全員が同じタイミングで腰を折った。


「「「も、申し訳ありませんでした!!」」」


「うるさいんだよ!大きな声じゃないと聞こえないババアだとでも思ってんのかい!?」


「「「す、すみませんんんんんんんんんんんんんん!!」」」


「だからうるさいって言ってんだよこの馬鹿どもが!!」


 兵士とばあさんのやりとりはまるで芸人のコントを見ているようだった。

 

 そんな兵士達にため息をついてから、ばあさんが俺達の方に視線を寄越す。その鋭い視線に体が勝手にビクッと反応してしまった。

 ば、ばらされる……!?

 意味がないとはわかっていてもつい手で口を覆い息を殺す。リリアはといえば相変わらず俺の手を舐りまくっていた。べっちゃべちゃにふやけているのが見なくてもわかる。ほんとになんなのこの人。人じゃないけど。


 祈るような視線でばあさんを見つめ返す。

 ばらされても仕方ないとは思っている。何せ俺はさっき魔王側につくと言ったようなものなのだ。ばあさんにとってもはや俺はただの敵でしかない。

 でも、もしここで騒ぎになれば陽ノ守たちを助けにいくのに余計な時間がかかってしまうのは間違いない。もしかすると不審者が現れたことに余って城の警備も厳重にされてしまうかもしれない。ただでさえ陽ノ守たちが王城へ連れて行かれてからそれなりに時間が経っている。これ以上余計な手間をかけたくはなかった。


 視線がかち合うと、ばあさんはじっと俺を見て何かを考えていた。その口から今まさに俺がここに潜んでいるということを告げられるのではないかとはらはらしながらその時を待つ。


 ばあさんは俺から視線を外すと大きなため息をついて兵士達を見る。

 そして右手の人差し指で俺達のいる方を差した……と思うと、そのまま開かれたドアの方へと向けた。


「いつまでそこに突っ立ってるんだい。用がないんならさっさと出て行きな」


「で、ですが、怒鳴り声は……」


「あたしが何もないって言ってるんだ!それとも何かい、あんたはアタシが異変にも気付けないほど耄碌もうろくしてるとでも言いたいのかい!?」


「めめめ、滅相もございません!!大変失礼致しました!!」


 ばあさんが叫ぶと、兵士達は蜘蛛の子を散らしたようにそそくさと退散していった。

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