第12話 迷える森の少女

 陽ノ守の背を見送ってすぐ、俺は再び森の中へと足を進めた。鈴木がさっき殺した獣人のことがどうにも頭から離れてくれなかったからだ。


 完全に陽ノ守に嘘をついたことになり罪悪感で胸が一杯になるが、俺だけならたとえ魔物に襲われたところで危険が及ぶのは俺一人。誰に迷惑をかけることもない。それに魔物に襲われないようにするための対策も一応考えてある……というか今現在装備している防具がまさにそれだった。

 

 さすがは暗殺者装備と言ったところなのか、地面の上でも葉っぱの上でも物音一つ立たない。ばあさんは言っていなかったがどうやらこの装備には全身に静粛性を上げる特性が付与されているらしい。よほど派手な音をたてない限り見つかることはないだろう。高い金を出して買わされそうになった分、装備の質は本物だったらしい。これを勝負に勝ったからとはいえタダでくれたばあさんに感謝だ。


 迷わないように、念のためここに来る前に街で購入しておいたロープを木の枝にくくりつけて目印にしながら進む。


 まだこの異世界に来て一日と経っていないのに、なんだか久しぶりに一人きりになったような気がして寂しいようなほっとしたような妙な気持ちになる。

 ふと陽ノ守の笑顔が浮かんでぶんぶんと顔を振って追い出した。もしかしなくとも俺は陽ノ守の優しさに依存し始めているのかもしれない。

 だってしょうがないじゃない!これまでずっとボッチだったんだから!ちょっと優しくされただけでも嬉しくなっちゃうもんなの!ボッチってそういう生き物なの!


 アホなことを考えながらしばらく木々に隠れながら歩き、なんとか鈴木と合流した場所まで戻ってくる。そこにはさっき鈴木に殺されたばかりの狼型の獣人が木にもたれるようにして項垂れていた。


 一応警戒の為に食卓用ナイフ片手に恐る恐る近付いてみると、かすかに息があるのがわかった。だがもう既に虫の息のようで、襲い掛かってくる様子はない。わざと物音を立てて近付いてみると、獣人が薄っすらと目を開けた。


「ダ、レカ……イル、ノカ……?」


 答えるべきかこのまま放置すべきか迷ったが、俺は獣人から少し離れたところで言葉を返した。


「お前、言葉が話せるのか?」


「モウ、ナ、ガク……ナイ……ヒ、トツ、タノマレテ……クレ……イカ……」


 ほとんど聞き取れないような掠れた声でそう言うと、獣人はゆっくりと腕を動かして懐から何かを取り出そうとする。だが途中で力が抜けてしまったのかするりと滑ると、俺の前に転がった。

 それはロケットペンダントだった。手に持って開いてみると、仲睦まじそうに笑顔を見せる男女と、その間に満面の笑みを浮かべる少女が映った写真が入っている。どうやら家族写真のようだ。裏にはクレセント、ユリ、ダリアンという文字が並んでいた。

 でも、どうして魔物がこんなものを持っているのだろう。十中八九盗んだ装備の中に入っていたとかだろうが、そんなものを大事に持っているとは随分と律儀な魔物である。もしかして持ち主に返そうとでもしていたのか?


「ア……テ、イル……ツ、タエ……イ……?」


 ぱくぱくと何かを伝えようとしているがもはや声になっていない。最後の力を振り絞ったのか、言い切ると獣人はぴくりとも動かなくなった。

 事切れた獣人を見て、なんだか胸に後味の悪いものが残るのを感じていた。

 もしかしたらこいつは本当は心優しい魔物で、死に際にこのロケットを家族のところに返してほしいと願った、なんて体のいい妄想をしてしまったからだろうか。

 ロケットを懐にしまうと、俺はその場を後にした。


 ―――


 戻ろうかとも思ったが、俺はそのまま森の奥へと向かった。


 どうにも胸騒ぎが収まらない。

 それは森の奥へと入っていくにつれて――というよりも、あちこちに転がっている獣人たちの死体を見るたびにより一層強くなっていった。


 近くで鈴木達が戦っているらしく、あちこちから聞こえてくる爆発音やら剣戟の音が大きくなる。

 もしかすると陽ノ守も近くにいるかもしれない。嘘をついて来た手前、鉢合わせするのだけは避けたい。息を殺してより慎重に進む。


 途中何体かの獣人とすれ違ったが、俺達を探しているというよりかはむしろ見つからないようにこそこそと逃げ回っているように見えた。

 鈴木達のあれだけ圧倒的な力を見せられれば嫌でも怯えてしまうだろうが、それにしたって動きに統率も何も取られていない。まるでただ闇雲に森の中を走り回っているだけのように見える。


 さらに奥へと進むと、一際開けた場所に出た。

 そこだけ木が全く生えておらず、空からの陽光が円状に降り注いでいる。さっきまで聞こえていたはずの戦闘音も聞こえなくなり、まるで森の中とは別の神聖な場所に転移してしまったかのようだ。


 広場に近付いていくと、丁度円の中心に誰かが倒れているのに気付く。魔物かもしれないとも思ったが、けむくじゃらでもないし尻尾も生えていない。どうやら人間のようだが油断は出来ない。


 一応念には念を入れてすぐに森に飛び込めるくらいの距離で様子を伺う。駆け寄った瞬間腹を切り裂かれるなんてのはさすがに情けなさ過ぎる。

 辺りに血が飛び散っているわけでもないし傷もないようなので死んではいないようだ。


 もしかしたら魔物の罠かもしれない。さっき森で見かけた魔物の知能からしてそんなことは考えそうもないが、人間に擬態できる魔物という線もありうる

 というかそもそもこんな森の奥深くに人が寝ているというのも考えてみればちょっとおかしい。連れ去られてきたという線もなくはないが、殺されるリスクを鑑みると迂闊に近付くことも憚られる。かといって本当に人間だったら見つけた以上見捨ててはいけない。


 もう少しだけ様子を見て、やばいと思ったらすぐに逃げよう。静粛性のあるこの装備なら気付かれずにこの場所を離れられる。

 そう方針を決めると、手頃な小さい木の実を拾って投げる。

 投げてすぐに足音を立てないようにその場から離れた。前に物が当たった角度などから投げた場所が特定できるという話を見たことがあったからだ。

 足を狙ったつもりだったが勢いあまって額にジャストヒットしてしまう。だが、その甲斐あって小さく声をあげると体を起こした。


 その姿を見て俺は息を呑む。

 絹のような細い糸を束ねた金髪に、白磁のような白い肌。フリルの多く付いた可愛らしい純白のワンピースは肌と相まってまるで融けているようにも見える。目をゆっくりと開くと、真紅の瞳がルビーのように輝いた。

 まるで漫画の中で見たお姫様のような美しい姿をした少女がそこにいた。


 攫われてきましたと言われれば証拠もなしに信じてしまいそうなほど綺麗だが、息を殺して少女の出方を伺う。

 どうやら眠っていただけらしく、拘束もされていないようなので人質という線は薄そうだ。とするとこんな危険な場所に一人でいる理由はなんだ?


 少しでも妙な動きをすればすぐに逃げよう。

 情けない話だが、少女が魔物だった場合俺では適わない。最悪の最悪、確率剣ラッキー・スターを使えばどうにかなる可能性もあるが、千分の一をあてにするのは本当に追い詰められた時だけにしたい。


 少女は大きな欠伸をひとつすると、まるで俺がそこに隠れているのがわかっているかのように視線をこちらに向け、どこか尊大な口調で言った。


「そこにいるのは誰だ?どうやってこの領域に入り込んだ?」


 ま、まじで!?どうしてわかった!?

 いや、まだ見つかっていると決め付けるのは早い。両手で口と鼻を塞いで息を殺す。なんだかわからないが嫌な予感が全身を駆け巡り、逃げなきゃまずいと脳が警鐘を鳴らしている。

 だが、少女がこっちに注目している時に動けば居場所を知らせるようなもの。体を縮こまらせて天に祈る。

 だが次の瞬間、少女が決定的な言葉を放つ!


 「聞こえなかったのか?そこの暗殺者装備のお前のことだ。もう一度聞くぞ。お前は誰で、どうやってここに入り込んだ?事と次第によっては今ここで血祭りにあげる」


 ば、ばれとるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!?

 しかも血祭りに上げるとかなんか物騒な言葉吐いてるんだけど!?外見と声に全く似合ってないんですけど!?声優間違えてない!?

 周囲に俺以外の気配はないしそもそもこんなところで暗殺者装備を身につけている奴なんて俺以外にいるわけがない。


 逃げようか迷ったが、逃げたところで足の遅い俺が逃げられる保証はない。場所がばれているので追いつかれるのがオチだ。


 右手に食卓用ナイフを握り締め覚悟を決める。事と次第によってはと言っていることからしてもすぐに殺されるようなことはない……はず。こうなったら上手く取り入って見逃してもらうしか俺に残された道はない。我ながら情けねぇ……!


 だが、木の陰から身を晒そうと前に出ようとしたその瞬間、俺の目の前を黒い何かが物凄い速度で通り過ぎていった。

 ガチィン!と刃物と刃物がぶつかるような音がそのすぐ後に聞こえ、凄まじい突風が広場に巻き起こる!


 腕で風を凌ぎながら様子を伺うと、頭からつま先まで余すところなく真っ黒な防具を装備した剣士が少女に向かって剣を振り下ろしていた。

 身の丈ほどの剣を軽々と振るう黒い剣士の力は見ただけでもそれがどれほど高いレベルにあるのか伝わってくる。さっき見せた瞬間移動のような攻撃も、普通の人間であれば受け止めることどころか目で追うことすら出来ないだろう。俺達の中で最高の能力値を持つ鈴木ですらあの剣士には適わないかもしれない。


 だが、問題なのはそれをものともせずに片手で防いでいる少女のほうだ。

 見たところ特別な装備は何もつけていない。真っ白なワンピースを着たお嬢様みたいな少女が生身で攻撃を受け止めている。その様子を見て身震いした。

 あれだけの攻撃を受けて平然としているアレは間違いなく人間じゃない。魔物だ……!


 両者の力は拮抗しているようで、ギリギリと刃を擦り合わせたような嫌な音が響く。

 緊張感が漂う中、少女がどこか楽しそうな声で言った。


「結界が解けた瞬間に飛び込んでくるその思い切りの良さは褒めてやろう。だが生憎その程度の攻撃では我を倒すことはできないぞ?」


「………………」


 黒い剣士は答えず、跳躍して少女から距離をとる。

 すぐに剣の切っ先を少女に向けると瞬く間に剣が光に包まれ、両手で抱えられないほどの大きさの火球が目にも留まらぬ速さで少女目掛けて発射された。


 避ける暇もない。

 剣士が作り出した火球は少女に直撃し、轟音を響かせながら周囲を熱風に包み込んだ。離れているはずの俺でさえ火傷しそうなほどの熱量。陽ノ守が前に作り出したものよりもずっと強い。となれば当たったら骨すら残らないはず。

 だが少女は何ごともなかったかのように平然としていた。


「なるほど、近接攻撃、遠距離攻撃共に一級品だな。寝起きの運動には丁度いい」


 そう言うと、少女を取り巻く空気が張り詰めたものに変わる。黒い剣士がそれを見て剣を構え直す。

 一触即発の戦いが、今目の前で繰り広げられようとしていた。


 これ、逃げるチャンスなんじゃない?

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