第2話 異世界へようこそ

 色々(主に鈴木のせいで)あったが着々と試験開始の時間は近付き、遂に十五分前を迎える。

 参考書や単語帳を見ていた学生達も今や各々鞄にそれらをしまって静かに着席していた。時折俺を見て(ユウシャ……ユウシャ……)という単語が向けられていたような気がしたが一体なんのことだろう。よくわからない。


「まぁお互い全力で頑張ろうぜ勇者!テストという名の魔王を一緒に滅ぼすんだ!」


 もはや鈴木の軽口には反応せず、俺はただ黙って正面にある時計だけを見つめた。さすがに今度騒ぎを起こせば厳重注意だけじゃすまないだろう。そもそも本来の俺はそう簡単に取り乱すような奴じゃない。さっきのはあれだ、その、ちょっと緊張してたから。そう、そうに違いない。俺は冷静なんだ。近所でもよくそう呼ばれてるから間違いない。おばあちゃんもよく俺のこと見て冷静だねぇって褒めてくれてたし、おじいちゃんなんてあんまりにも俺が冷静すぎるから持病の腰痛が治ったくらいだ。そのくらい冷静なんだよ俺は。


 試験開始十分前になると試験官がやってきて試験に対する諸注意を述べた。何時から開始だの禁止事項はどうだのとかのまぁ至って普通の内容だ。


 時間が迫るにつれて段々と教室内の緊張が高まっていくのを肌で感じる。コッチコッチと時計の針が進む音がやけに大きく聞こえていた。


 そして、遂にその時は訪れる。


「それでは、始めてください!!」


 試験官の一声と共に、俺たちは一斉に答案用紙をひっくり返し、問題を解き始めた。


 大抵はざっと全ての問題に目を通して時間配分を考えるのがセオリーなのかもしれないが、全問正解する必要のあるこの試験に関してはそういった小細工は全く意味を成さない。

 全ての問題を全力で、最速で解く。制限時間内に終わらないのであれば俺の実力はそこまでだったということだ。


 さすがに三年間をほぼ勉強に費やしてきた努力は俺を裏切らなかった。高難度の問題でも迷いなく解いていける。試験会場に鈴木がいて動揺はしたが、始まってしまえばもはや目の前の問題のことしか頭になくなる。解ける!解けるぞ!俺は全て解ける!フゥゥゥゥゥワッ!!


「……ウ!……サ……ウ!佐藤!おい!気づけ佐藤!」


 突然肩を掴まれる。見れば、鈴木が血相を変えて俺を覗き込んでいた。こいつ、試験中だって事わかってるのか!?


「な、何やってんだお前試験中だぞ!?さすがにやっていいことと悪いことが……」


「それどころじゃねぇ!周りを良く見ろって!」


「周り?一体何を言って……」


 鈴木に言われたとおり周囲を見渡してみると、そこは試験を受けていたはずの教室ではなくなっていた。どこかの城のような、豪奢な内装の部屋が広がっている。


「は?どこだよここ」


「俺にわかるわけねぇだろうが。あぁくそ、マジで意味わかんねぇ」


 いつも余裕綽々で適当な態度を崩さない鈴木が珍しく狼狽していた。

 俺と鈴木だけじゃなく、他の試験を受けていた生徒も軒並み連れてこられているようだった。みんな周囲を見渡して混乱している様子だ。中には突然のことに恐怖を感じて泣いてしまっている女子もいる。

 かくいう俺も動揺を隠せないでいる。さっきまでは間違いなく教室にいたはずなのに、気付いたら別の場所に移動しているとかそれこそ漫画で言う転移魔法みたいじゃないか。


 そこで俺は一つの可能性に思い至る。

 『異世界転移』だ。俺たちは教室にいた全員まとめて異世界に送られてしまったのではないか。

 だが、こんな混乱した中で『おい、俺たち異世界に転移しちまったんじゃねぇのか……!?』なんて言い出したらそれこそ頭のおかしい奴に認定されてしまう。何が起きているのかわからない今、変なことを言って孤立することだけは避けたい。ただでさえさっきの騒動でそう思われているかもしれないのだ。ここは黙って成り行きを見守るべきだろう。


 そうこう考えているうちに、鈴木が泣いている女子に駆け寄りながら皆に聞こえるように大声で言った。


「とりあえず落ち着こうぜみんな!意味わかんねぇと思ってるだろうし俺もわかってねぇけど、とにかく一人じゃねぇことだけは確かだ!大人たちだって馬鹿じゃねぇ、突然こんだけの人数がいなくなったらすぐに探しに来るに決まってる!そうだろ!」


 さすがはスクールカースト最上位の鈴木。いくら普段はちゃらんぽらんでも、こんな時ですら先頭に立って発言できるその度胸は天敵ながら認めざるを得ない。

 そして鈴木の言葉に安心感を得たのか、みんなも落ち着きを多少取り戻し、泣いていた女子もどこかほっとしたような顔で頷いていた。鈴木を見るその顔がどこか赤らんでいるのはきっと気のせいなんかじゃないだろう。これだからイケメンは……。

 だが、鈴木の言葉では納得しない学生も当然いる。


「落ち着けったって落ち着けるわけないだろうが!!俺たち、もしかしたら集団誘拐に巻き込まれたかもしれないんだぞ!?最悪こ、殺されることだって……!!」


 殺されるかもしれないという言葉は不安を煽るには十分すぎる言葉だった。状況が全くわかっていない今、鈴木の言葉とさっきの言葉、どちらに引き寄せられるかといわれれば明らかに後者だろう。それを証明するように、どよめきが次第に大きくなっていく。


『嫌だ、殺されたくない!!』

『ゆ、誘拐なんて、あたしに限ってそんなこと……!?』

『おいどうなってんだよ!?どっきりとかじゃねぇのかよ!?』


「待てって!!今は騒いでる場合じゃないんだって!!」


 こうなってしまったらもう鈴木の言葉ではどうにもならない。鈴木が目に見えてため息をついた、その時だった。


「勇者諸君、ようこそ我が国へ。お前たちがここにくるのを心待ちにしておったぞ」


 声のした方を見てみると、いつの間に現れたのか頭に王冠を載せ長い白髭をたっぷりと蓄えた老人が正面に立っていた。そしてじいさんの後ろには数十人の槍やら弓やらを持った兵士達が控えている。


「誰だあんた!!あんたが俺達をこんなところに連れて張本人なのか!?」


 鈴木が先頭に立って声をあげると、じいさんは偉そうに答えた。


「余はダラリス帝国国王、ダラリス・バール・クレミントン十五世。今、この国は悪しき魔王によって支配されようとしておる。魔王を打ち滅ぼし、この国を救うため、異世界からお前達を召喚した。突然のことで混乱しているとは思うが、どうかその力を貸してほしい」


 おいおいまじか。まじで異世界転移なのか。頬をつねってみるも痛みは感じるのでどうやら夢ではないらしい。


「魔王?異世界?突然何言ってんだくそじじい!意味わかんねーよ!大体なんで俺たちがそんなことを……!!」


 勝気そうな一人の男子がそう声をあげる。

 するとどこからともなくヒュッと風切り音がして、声をあげた男子の頬につぅと一筋血が流れた。頬を掠めたそれが鋭利に尖った鉄の矢であることを知るや否や、男子は腰を抜かして地面に尻餅を付く。


「ひ、ひぃっ!」


 動揺したのは男子一人だけではない。全員が全員、恐怖に息を呑む。


「国王様に向かって不敬は許さぬ!次に似たような口を利けばその脳天を打ち抜いてくれよう!」


「やめい!!」


 国王が一喝すると、弓兵はすぐに引き下がった。国王はごほんと咳払いをしてから安心させるように穏やかな笑みを俺たちに向けてくる。


「部下の非礼を詫びよう。我等はお前達を殺す気など毛頭ない。ただ、救ってほしいだけなのじゃ。召喚された人間は特別な力を持っていると言い伝えられておる。その特別な力を持って、民を苦しめる魔王を倒し、我等を救ってはくれまいか。どうか、頼む」


 国王の願いに一人として首を横に振るものはいなかった。振れなかったといったほうがいいかもしれない。

 なんせ、王様の背後では数人の弓兵たちが弓矢を番えて明らかに俺たちを狙っていたからだ。そしてきっと王様もそれをわかっていて言っているのだろう。ここで拒否でもしようものならあの矢が頭に突き刺さることだろう。さっきのパフォーマンスは俺達の心の中に撃たれるかもしれないという恐怖心を植えつけるには十分だったということか。なかなかやるじゃないの。


「あの、待ってください!」


 そんな中、一人の女子が声をあげる。

 艶やかなストレートの黒髪にパッチリした瞳、花形の髪留めがチャームポイントな美少女だった。制服から見て俺の学校とは別の学校だろう。名前がわからないのでとりあえず花子と呼ぶことにする。

 花子は恐れることなく王様を真っ直ぐに見つめて言った。


「元の世界に帰していただくことは出来ないのでしょうか?私にはまだ幼い妹と弟がいて、帰ってご飯を作ってあげなきゃいけないんです」


「もちろん帰すことは可能だ。こちらが召喚した手前、引きとめることも出来ない」


「じゃあ……!!」


 花子に花のような笑顔が咲くが、それも国王の次の言葉ですぐに散ってしまう。


「だが魔王を倒してからでなければ不可能だ。なぜならば、異世界へと繋がる門を開くには莫大な魔力がいる。我等が貯蔵していた魔力ではお前達を呼び出すことしか出来なかった。帰るための魔力となれば、それこそ魔王を倒して得られるようなものでなければとても足りない」


「つまり、その魔王って奴を倒さないと帰れないってことかよ……!?」


 鈴木がそう言うと国王は頷いた。

 一般的に魔王といったらラスボスみたいなもの。子供の頃にゲームを遊んだことがある人ならそれが一筋縄で倒せる敵でないことはわかるだろう。

 一気にお葬式ムードが漂う。


「わかりました。私、やります。その魔王って人を倒します」


 そう答えたのは花子だった。


「おい本気か!?」


 鈴木が問うと、花子は決意を宿らせた瞳で頷く。


「それしか帰る方法がないというのなら、今はそれをやる他ありません。帰れないわけじゃないってわかっただけまだよかったと思うしかないです。頑張ればどうにかできるってことなんですから」


 花子の前向きな言葉に皆が黙り込む。


 確かに花子の言うとおりだ。ここでまごついていたところで何も変わらない。こうなってしまった以上、そしてどうにかする方法が明示されている以上、もはや前に進む以外に俺たちにできることは無い。

 

 俺はふぅと一つ息をついて立ち上がる。花子と一瞬目が合った。

 確かに困惑していないことはない。異世界転生ものの漫画や小説は飽きるほど読んできたが、実際にそれが自分の身に降りかかるとは思っても見なかったからだ。

 でも、そういう意味で言えば俺は誰よりも異世界のことについて熟知している自信がある。この一連の流れもテンプレといえばテンプレだ。ほぼ通過儀礼といっても過言じゃない。

 とすれば、今のこの空気もあと一押しでもすれば「よぉしやってやろうじゃねぇか」という流れになる。一人が声をあげて、さらにもう一人が同調すれば流れは一気に傾くはず。本来それは俺のような日陰者の役目ではないが、ここは一つ異世界を誰よりも知る者として背中を押すくらいはしなければならないだろう。

 意気揚々と俺は口を開こうとした。


「た「確かにお前の言うとおりだ。ここでグダグダしてたってどうにもならねぇ。どうだ皆、いっちょ魔王とやらをぶっ倒してさっさとこんなところからおさらばしようじゃねぇか!!」


 鈴木ぃ……貴様ぁ……!!

 まんま俺が言おうとしていた台詞を鈴木が口にしていた。そして予想通り魔王を倒す流れが完成する。


『確かに二人の言うとおりかもしれないな』

『やってやろうじゃんかよぉ!』

『魔王なんて簡単にぶっ倒してやるんだから!』


 開いていた口を閉じ、中途半端にあげようとしていた拳をゆっくりと下げて、俺は静かに席に着くことしかできなかった。

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