クレイジー・キッチン 第五話「焼き鳥」

第五話 焼き鳥に合うのは……おビール様じゃ!


 焼き鳥、って気分だな─。

 俺は今、唐突に焼き鳥が作りたくなった。

 無論、ここは洋食屋であって焼き鳥などメニューに無い。それはそうとして俺の中の料理人魂が疼くのだ。

『鳥を焼け! タレを付けてジューシィに焼け!』と。

(くっ……。暴れるな、静まれ、俺の料理人魂よ!)

 数秒後、俺はあっさりと陥落した。よし、焼こう。焼かずにはいられない。

 俺は天才的な料理の腕と引き換えに二つの業を背負った。

 ひとつ、俺は俺の飯を他人に食わせたい。

 ふたつ、俺は俺の飯を自分で食いたい。

 閉店三十分前。遅い時間なのでカナさんは帰した後だ。店内には常連客がひとりだけ。歳は俺と同じくらいで三十そこそこ。名前は確か、内海邦彦といったか。いつものコロッケ定食に、もうおしまいだからとサービスに付けてやったエビフライを美味そうに食っている。

 ああ、もう辛抱たまらん。もはや今、やるかやらないかという問題ではない。いかにしてやるかだ。

 俺は無言でドアの前へと早足で向かった。

「あれ、どうしました店長?」

 その様子を訝しく思ったのか、内海さんが声をかけるが俺は答えない。これが俺の返事だとばかりにガラガラと大きな音を立ててシャッターを下ろし、鍵をかけた。

「え?」

 内海さんはまだ食っている最中である。他に出口はない。要するに監禁されたのだ。いや、正確に言えば俺がした。

「内海さん、アンタ……焼き鳥は好きかい?」

「え? あ、はい。好きですがそれが何か……?」

「そうか、そりゃあよかった! 今、ちょうど焼き鳥が作りたくなってさ。せっかくだから食っていきなよ」

 内海さんは俺と、シャッターに阻まれたドアを交互に見つめ、何か言いたそうにしていたが俺はそれを無視した。知らん、そんなこと。

 冷蔵庫に寝かせていた鶏肉を出して、一口大に切り分ける。ネギと一緒に串に刺し、醤油をベースにブレンドしたタレをからめてオーブンに投入した。

 備長炭で遠火の強火、なんて用意はできていないが、このオーブンだって大したものだ。小さな洋食屋にはそぐわぬ最新技術の塊。綿密に計算された遠赤外線効果で、ケーキだろうが焼き鳥だろうがピザだろうが、なんでもござれのパーフェクトオーブンである。

 ローンがあと三十五回。

 肉の焼ける煙、タレの焦げる匂いが漂うと、今まで憮然とした顔をしていた内海さんがぐぐっと身を乗り出した。

「ほほぅ、ほほぅ! いいですねぇ、この煙! これだけでご飯三杯はいけそうですよ!」

 同感だ。ウナギや焼き鳥はどこかに煙の存在を感じていたい。

 この匂いを嗅いで何の反応も示さないようでは困るが、内海さんにそんな心配はいらないようだ。味の分かる客とはありがたいものである。

「ひだるまキッチン特製、焼き鳥盛り合わせだ!」

 皿に焼き鳥を五本ばかり乗せ内海さんに差し出すと、テーブルに置くか置かないかといったタイミングで素早く手が伸びて、串を一本奪っていった。

 この男、最初はしぶっているくせに、最終的にはノリノリになるタイプか。焼き鳥パーティを全力で、俺以上に楽しんでいる節がある。

「美味い、美味いですよ! ぷりっぷりの鶏肉と、濃厚なタレが口の中で絡まりあっていくらでも食えそうですねぇ!」

 言いながら歯で串から肉を引っこ抜いて食う。もう一本、さらにもう一本。

 このペースならまだまだ食われそうだ。俺はオーブンに残っていたもう五本を内海さんに渡してから、次セットの作成にかかった。今度はもっと一気に焼いてもいいかもしれない。どんどんいこう。

「実に美味いのですが、ちょっと味が濃い目ですかねぇ……?」

 意味ありげに、内海さんがちらちらと視線を送ってくる。おっさんの流し目に興味は無いので早々に要求を叶えてやることにした。

「わかっているさ。アンタの欲しいのは……こいつだろう?」

 俺は内海さんに見せつけるように、炊飯器を開けて見せた。残った茶碗数杯分の白米がまるで炊き立てのように優しい湯気を昇らせた。

 時間が経っても米が固くなりにくい、こいつも業務用の最新型だ。科学の進歩バンザイ。哀しくなるので値段は聞かないでほしい。

 ご飯をよそってやると、内海さんはさらにニヤリと笑ってみせた。

「流石は店長! 美味い焼き鳥、白い飯! 後はあれがあれば完璧なんですけどねぇ……」

「ふふん、あれとな?」

「いじわるしないでくださいよ。言うなればそう、麦ジュース。泡の出るあれですよ……んっふふ」

 三十代の男二人が、半分照明を切った部屋でにやにやと笑いあう。

 彼の要求を図々しいとは思わない。むしろ味の分かる男だと褒めておこうか。俺だってここで、本日のメニューは以上ですと言われたら怒るだろう。誰だってそうする。

 冷蔵庫の奥、さらに奥をかき分けビールを探す。

 内海さんが立ち上がり、

『ああ、そんな所にあったのか』

 といった顔をしていた。酒の隠し場所を見られたのは失敗だったかと、微かな後悔を抱いたが時すでに遅し、だ。もう後戻りはできない。

 ……おかしい、いくら探しても見当たらない。大きめの冷蔵庫といっても、大捜索しなければならない広さではないのだ。要するに、ここに無ければありませんということだ。

 そういえばこの前、飲んだまま補充をしていなかった気がしないでもない。

「すまんな内海さん、ビールないわ。ワインでいいかい?」

 言い終わるや否や、頭頂部に衝撃が走る。

「ぐぅえ!」

「いいわけあるかぁーッ!」

 内海さんの手刀が俺の頭部にめり込んだのだ! もだえる俺を見下ろして、内海さんはさらにヒートアップ。

「ご飯、焼き鳥とくれば後はビールです! 法律でそう決まっているんです! 日本国憲法にもそう明記されています! 『全ての国民は白米及び焼き鳥にビールを付ける権利を有する』と!」

 無茶苦茶である。だが、彼がこの場面でビールを求めること、それ自体は正しい。

 俺は殴られたことに恨みなど一片も抱かず、彼の正論がスッと胸に入っていくようであった。

 素直に頭を下げて、謝罪した。

「すまない内海さん。アンタの言うとおりだ。ここは……ビールだな!」

「店長……ッ! あなたなら、わかってくれると信じていました!」

 どちらが先に手を差し出したかは覚えていない。ただ、固い握手を交わしたことだけは確かだ。

「さあ、一緒にビールを買いに行こう!」

「ふ、ふ……今日はとことん、飲みますよ!」

 戸棚の中には鶏肉に合う赤ワインもあったような気がしたが、話がややこしくなりそうなのでそれは黙っていることにした。




 俺たちはコンビニへやって来た。何故かと問われれば何と答えるべきであろうか?

 ビールを買うため? 悪くない、半分正解だ。俺たちの胸に宿る熱を表現するにはまだ足りない。言うなればそう、今日というこの日を後悔のないものにするためだ。

「いらっしゃいま……せ?」

 軽快な電子音と共に俺たちが入店すると、店員の姉ちゃんの顔が引きつった。

 テンション限界突破で肩を組みながら現れた男二人。シェフとサラリーマンのご機嫌エントリーだ。そりゃあ固まるのも無理はない。

「ややっ、内海氏! 前方に酒コーナーを発見しましたぞ!」

「でかした日野氏! ビールじゃ! おビール様が降臨なされたぞ!」

 内海さんは買い物カゴをバシッと力強く取り出すと、酒売り場でカゴに恨みでもあるのかとばかりにどんどん詰め込んでいく。

「ああー……冷えてる、ビール冷えてますねぇ、うっほほ。まるで結婚十年目の夫婦仲のように!」

「そんな苦そうなのは止めてくれ」

 俺は店内を回り、もう何でもいいから串に刺せそうなものを物色していた。ソーセージ、野菜類、チョコレート……いや、さすがにこれはどうなんだ。そう思いつつもカゴに放り込んでしまうあたり俺も相当おかしくなっていたらしい。

「くっ、ください! ビールを! ブヒヒヒヒッルをッ!! いえね、好きなんですよ、ビール……。んっふ」

 息を荒くしてレジへと向かった内海さん。目を丸くしながらも手を止めずバーコードを読み取る店員さんはまさにプロの鏡であった。

 入店時と同じように、ご機嫌で出ていく俺たち。

「あ、ありがとうございましたぁ……」

 動揺しても仕事を忘れぬ彼女に一杯奢ってやりたいような気分であったが、勤務中に見知らぬおっさんズにビールを渡されたって困るだろう。

 俺は心の中で『姉さん、仕事頑張れよ!』と、励ますだけに留めておいた。




 店に戻って、テーブルの上に戦利品をどさりと乗せる。焼き鳥があり、ご飯があり、ビールがある。もはや俺たちを止める理由は何もない。

 俺と内海さんは顔を見合わせ、笑った。

「さぁて……やるかいのぅ!」

「いただきますッ!」

「ゲーッハッハ!」

「ウハハハハーッ!」

 ビールを呷り、焼き鳥その他もろもろを貪り食いながら俺たちはバカ話に花を咲かせていた。

「ねぇ店長。例えば、例えばぁ……ですよ?」

「なんでぃ、内海さん」

「純粋な幼女に、輝く瞳で『赤ちゃんはどこから来るの?』って言われたら、何て答えるのが正解なんですかねぇ?」

「それは、どうしたもんかな。お前の親父とお袋がベッドのなかでいんぐりもんぐり、とかじゃダメだろうか」

「……いかんでしょ」

「……ダメかぁ」

 この酔っぱらいが投げかけた問題は意外に難しく、俺は真剣に考え込んだ。世の性教育のなんたる難しさよ。正しい知識は必要だが、露骨に示せばいいという問題ではない。

 かといって相手が子供だからと適当なことをいってお茶を濁すのもあまり良いことではない。正面から真面目に向き合うつもりのない大人など、子供から信用されるわけがないのだ。自分が子供を見ている時、子供もまた自分を評価している。それを考えれば、コウノトリだのキャベツ畑だのと言えるはずもない。

「ほうら、おじちゃんが教えてあげよう。ボロン。……とか、どうよ?」

「さすが店長。このクソ野郎という感想しか出てきませんよ」

 盛大にダメ出しされてしまった。どうやら俺もかなり酔いが回っているようだ。考え方がかなり怪しくなってきている。

「ときに内海さん、俺もひとつ思いついたことがあるんだがね」

「んん? 拝聴しましょう」

「『ウサギとカメ』は、いやらしいな!」

「はい?」

「ウサギ! ウサギといえばバニーだ。これはいやらしい。おじさんも大好きさ」

「確かに。僕も大好きです」

「そしてカメ! これはもう、問答無用でいやらしいだろう。存在そのものが卑猥に過ぎる。内海さんの先っちょにだって付いているだろう?」

「心当たりがひとつだけあります。まあ、ふたつあっても困りますが」

「そんなウサギとカメが二人きりでイクとかイカないとか。これはもう、正真正銘のポルノ解禁だよ!」

「なるほど!」

 俺と内海さんは満足げに頷きあい、同時にビールを飲み干した。……が、しばらくすると内海さんは何ごとか考えているようで首を捻っていた。

「カメは先にイって、ウサギは寝てしまったわけですが……」

「オゥ……童話って残酷だ」

 などと深刻に言ってから顔を見合わせる。そして、お互いにゲラゲラと笑い出した。なんで俺たちゃこんな馬鹿話をしているのかと。酔っぱらいに話の流れなどというものは大して重要ではない。飲んで騒げりゃそれでいい。

 焼く、食べる、飲む。焼く、焼く、食べる飲む食べる飲む。

 テンションのおかしい男たちの、米と肉と酒の狂宴が始まり、夜は更けていった……。




 目に染みる様な蒼さが空いっぱいに広がるさわやかな朝。雀の歌に見送られながら小柄な女性が軽やかな足取りでひだるまキッチンのドアを開ける。

「おはようございます! 早速ですが朝飯を食わせてください!」

 さわやかさの欠片も無いカナさんの宣言。しかし、その声に応える者はいなかった。

 灯りの点いていない、酒と油の匂い漂う店内を首を捻りながら進む。すると、彼女は何かに躓いた。

 それはネクタイを鉢巻のように巻いた男であり、その奥に倒れているのは上半身裸で、おでこに『鶏肉』と書いた俺であった。

「て、店長ぉーッ!?」

 カナさんの叫びがどこか遠いものに聞こえる。

 大人になると、冒険をすることが難しくなってくる。店内は死屍累々といった有様ではあるが、俺は激しい頭痛と共に、かすかな満足感を抱いていた。

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