クレイジー・キッチン 第四話「ケーキ」

第四話 街の洋食屋さんだけど、作りたい気分だからケーキを作ってみた


 定休日の午後三時。俺は趣味の食べ歩きを終えて店の厨房にいる。

 なぜ厨房にいるかといえば、ここが一番落ち着くからだ。友達がいないとか恋人がいないとかそういう問題ではない。そういう問題ではない。

 ひだるまキッチンの定休日は基本的に水曜日。及び俺の気が乗らない日だ。

 ビジネス街の中にあるのでそれに合わせて土日あたりに休むのが効率が良いとは思うし、実際にそう言われたこともある。

『ここらへんは食い物屋が少ないんですよ。しかも高くてマズいし……』

 などと常連客からため息交じりに語られたが、俺の知ったことではない。

 弁当屋の揚げ物が臭いのも、喫茶店のコーヒーが煮詰まっているのもサンドイッチが渇いているのも、ラーメン屋のチャーシューが小さいのも別に俺のせいではない。

 俺は平日に食べ歩きがしたいのだ。

 休日で混んでいるのも、昼時で混んでいるのも嫌だ。平日の十一時頃に入ってのんびりと、静かに食いたい。

 スケジュールが立てづらいということでカナさんからはよく文句を言われる。

『こんなんじゃあ、彼氏とデートにも行けませんよ!』

 などと抜かしていたが、どうもカナさんからは男の影というか、匂いというか、そういう物を感じないのだ。

 以前、深夜のコンビニでジャージ姿のカナさんにばったり出くわしたことがある。

 本人は、

『奇遇ですねぇ! 私はたまたま、ダイエットの為にジョギング中ですがね!』

 と、引きつった笑顔でいっていたが、サバ缶とチューハイの入ったビニール袋を下げたままいわれても説得力は皆無である。あれは完全に普段着だ。

 俺はその時、無言で頷いて帰ったものだ。あれほど人に優しくできた記憶は他にない。

 今日の食べ歩きは不作であった。四件ほどまわったが味はどれも『まぁ、普通』としか言いようのないものだった。美味くも無ければ不味くもない。明日になれば味はおろか、店の名前すら思い出せないだろう。

 よほど不味ければ話のネタにもなるだろうが、そうしたことも一切ない。普通だ。

 ああ、なんということだろう。俺は今、欲求不満の塊だ。人間の欲の基本は食う、寝る、ヤる。つまり食事とはセックスや睡眠と同じく快楽でなければならないのだ。

 腹の底からもやもやとした感情が湧き上がる。俺は飯を作るしか能のない人間だ。なればこそ、食い物のことで不満を抱いたまま一日を終えることが我慢ならなかった。

 俺は目的も無く、厨房の棚をあさってみた。泥の中に半身を突っ込んで身動きが取れないような、そんな欝々とした気分を晴らすような何かはないか、と。

「何か、何かってなんだよ。本人がよくわかっていないのに頼られても、神さまも仏さまも困るだろ……」

 やり場のない愚痴をぶつくさと吐きながら棚をあさっていると、キラリと光るものが見つかった。俺はそれを取り上げる。口の端が、自然と吊上がるのを感じた。

 きゅいんきゅいんと、俺の指の動きに合わせて高速回転するそれは、業務用のハンドミキサーだ。

 ドリルは男の浪漫で、ミキサーは洋食屋の浪漫だ。二つ合わされば多分、最強だろう。

 業務用の力強い回転は、この状況を打開しようという俺の気分にぴったりだ。

 大きめのボウルを冷やしながら牛乳を入れ、グラニュー糖をふるいにかけながら投入する。さあ、ショータイムだ。

「シャル、ウィ、ダンス! フヒィヒヒヒ!」

 俺の笑いに合わせてハンドミキサーも唸りをあげる。ああ、本当に楽しくなってきた。




「店長! 暇だから遊びに来ました! 要約するとあれですね、タダ飯を食わせろということですッ!」

 ばばぁんという効果音を付けたくなるようなカナさんのダイナミック入店。しかし俺はこの時、彼女の姿に全く気付いていなかった。きめ細かく泡立つ白い恋人に夢中であったのだ。

「ゲーッハッハ! ミキサーで激しく回転融合! 顕現せよ、生クリームッ!」

 魔王のごとき哄笑をあげる俺を、カナさんは魂が抜けたようなツラで眺めていた。

 ミキサーを低速に切り替え、仕上げに入ったところでようやく俺はカナさんの間抜けヅラに気がついた。

「あ、カナさんいたんだ」

「いたんだ、じゃあないでしょう。店長はこんな真ッ昼間からなにをやっているんですか。悪魔召喚?」

「ふ、ふ……悪魔的な美味さであることは保証するよ」

 俺は並行して焼いていたスポンジをオーブンから取り出し、冷蔵庫からフルーツを選んでまな板の上に乗せた。

「せっかくだからケーキを食っていきなよ」

「いただきます、それはいただきますとも! ……しかしですね、ケーキを作るのに馬鹿笑いをする必要性はあったのでしょうか?」

「俺が楽しい」

「そうですか……」

 カナさんも納得してくれたようなので、俺はふたたびスポンジに目を落とす。業務用オーブンで焼き上げたどでかいスポンジだ。

 横一文字にスパッと切り、切断面に生クリームをどっさり塗り付ける。色とりどりのフルーツを飾り付け、スポンジの上半分を乗せる。今度は全体を生クリームで美しく仕上げた。

「店長ってケーキ作りもできたんですね」

「そりゃあな。だってほら、俺は洋食屋だから」

「答えになってないですよ」

「洋食屋がケーキを作ってはいけないという法律は無いぞ」

「そういうのは、普段から法を順守している人間の台詞です」

 初めは呆れ顔で俺の手元を見ていたカナさんだが、ケーキの作成が進むにつれ、次第にその眼が怪しい光を帯びてきた。

 まずい、あれは完全に獲物を狙う野獣の目だ。ヘタをすれば俺の手ごと噛まれかねない。

「カナさん待って。もうちょっとでできあがるから。ステイ、ステイ」

 唸るカナさんをなだめ、背に走る悪寒に耐えながら俺はケーキを作り続けた。どうして俺は猛獣の檻の中でケーキを作るがごとき真似をしているのか、疑問に思わぬでもない。




「よし、完成だ! ひだるまキッチン特性、でっかいショートケーキ!」

 俺は巨大ケーキから一人分を切り出して、カナさんに差し出した。

「でっかい、ショートケーキ……?」

「言いたいことはわかるが、何もいわないでくれ。ミドルケーキとかいわれても訳が分からんだろう。ついでに言うと、ショートケーキのショートとは、原料として使われていた植物油脂のショートニングが語源だという説がある。短いとか小さいケーキといった意味ではない」

「はえぇ、さすが店長、料理のこととなると博識ですねぇ。常識とか乙女心とかはさっぱりわからないくせに」

「生きていくうえで必要のない知識は忘れることにしているものでな」

「必要なんですよ! むしろ最重要項目ですよ! 義務教育の時間、なにやっていたんですかあなたはッ!?」

「ノートにえっちな小説を書いていたような気がする」

「あ、はい……、もういいです。……とにかくいただきますね」

 なんやかんやと言いながら、カナさんは鋭角二等辺三角形のショートケーキをフォークで削り、口に運んだ。瞬間、まるでスイッチが切り替わるようにカナさんの表情がぱっと輝いた。

 よし、と俺は心の中で快哉を叫ぶ。俺はこの食いしん坊ガールの人格はともかく、舌だけは信頼している。

「うん、これは美味い! ケーキ自体がしっかりと自己主張しながらも甘すぎない、上品な大人の味! 銀座の一等地あたりに店を構えていてもおかしくない逸品ですよこいつは! とてもビジネス街の端っこの、ちょっとアレな店主が作ったとは信じられませんね!」

 調理学校時代、『厨房の錬金術師』と呼ばれた俺には造作もないことだ。喜んでもらえたのは嬉しいがもっと素直に褒めてほしい。なんだい、ちょっとアレって。

「ところで店長、ひとつお聞きしたいのですがねぇ……」

「んん?」

 カナさんが突如、凶悪な笑みを浮かべてにじり寄って来た。これは明らかに女の子がしちゃいけない顔だ。カモを見つけた麻薬の売人のほうがまだマシなツラをしている。

「残ったケーキ、全て私が食うということでよろしいですか?」

「よろしくないよ」

 食欲魔人と化した女子大生を放っておいて、俺はお持ち帰り用の箱を取り出し、ケーキを切り分け始めた。一片が細長すぎるので、さらに分割して箱に入れる。

「これ、カナさんも片っ端から箱に詰めてくれ」

「持ち帰りですか? 詰めるのは構いませんが、明日になったら固くなっていますよ」

「わかっているさ。ふ、ふ……」

 こいつは商売の為に作ったわけではない。いわば、つまらない一日への、俺からの復讐といったところか。




 見覚えのある女子高生二人が、店の前で足を止めた。

「肉まんだ! 今、猛烈に肉まんという気分だよ薫さん! またここに寄って行かない?」

 背の低い、元気な少女。菊池彩さんが高らかに宣言する。だが、相棒でグラマラスな美女の花咲薫さんは眼鏡の位置を直してから静かに首を振った。

「それが、今日はひだるまキッチンの定休日なんですよ」

「えぇ……」

 菊池さんが目を細めて店の扉を凝視する。そこには確かに、定休日と書かれた札が下がっていた。『おぅふ……』と呟いて菊池さんが肩を落とす。

「何で水曜日?」

「聞くところによると、購読している漫画雑誌の発売日だからとかなんとか……」

「うん、商売舐めきっているね、あのオッサン」

 角煮ごろごろ、味濃いめの肉まんに未練を残しつつ、二人組が踵を返そうとしたところで、俺はドアを開けて隙間から顔をのぞかせた。さながら、ホラー映画のピエロのように。

「うぉわッ!」

 びくりと身を震わせる花咲さんと菊池さん。彼女らに落ち着く暇も与えず、俺は隙間から顔を出して語りかけた。

「はぁい君たちぃ、ケーキは好きかい……?」

「え? は、はい。ケーキは好きですがそれがなにか……?」

 なんとか衝撃から立ち直り、気丈に答える花咲さん。彼女の答えに満足し、俺はにっこり微笑んだ。もっとも、彼女たちからすれば契約を終えた悪魔にしか見えなかったかもしれないが。

 俺はお持ち帰り用の箱を二つ渡し、素早く店に引っ込んで扉を閉めた。後に残されたものは、ケーキを持って放心する少女二人。

「なに、これ……?」

「さぁ……?」




「と、このようにだ。店の前で『なんだ今日は休みかよ』といったツラをした客にケーキを渡すのだ。簡単だろう?」

 ぐっと胸を張って語る俺だが、どうもカナさんにはこの崇高な理念を解することはできなかったようだ。完全に、馬鹿を見る様な目で俺を見ている。

「何をやっているんですかアナタは……。理由を話してくれませんかね。意味が分からないので一から十まで!」

 説明すればこいつは理解してくれるだろうか?

 ……無理だな、時間の無駄だ。俺にはケーキの味が落ちる前に配りきるという使命がある。

「後でな、後」

「あとぉッ!?」

 カナさんは素っ頓狂な声をあげるが、俺の耳には入っていない。ドアの外に人の気配を感じそちらに集中しているのだ。

 待ってろ客人。今、美味しいケーキをくれてやる。

 気配は二つ。俺はお持ち帰り用の箱を二つ掴んで立ち上がった。




「どぉぉぉして店が閉まっているんスかぁ!? 舌がもう、トンカツを食べる準備をしていたんスよぉ!」

「知らねぇって……」

 この世の終わりのごとく嘆く金髪の青年。そしてその様子を冷たく見下ろす緑髪の青年。

 髪をこまめに金に染め直すのが面倒なのか、頭頂部は黒い地毛が見え始めている。緑の男に至っては顎の先まで垂れた髪のほぼ半分が黒だ。

 以前、飯が出てくる順番がどうのとかでカナさんと揉めていた連中だ。もっとも、俺の芸術を理解する舌を持っているようなので、今となってはわだかまりなどはない。味がわかりさえすれば他人の人格など、どうでもよろしい。

 ばん、と大きな音を立てて扉を開けて颯爽と登場する俺。虚を突かれ、目を丸くした二人組の注目を浴びる。

「お前ら……甘いものは好きか?」

「は? いや、どちらかと言えば甘いものはあまり……」

「そうか、ならば今日が甘いもの好きになった記念日ということだな、うん。いやぁ良かった良かった」

 俺はお持ち帰り箱を二つ押し付け、店に入ってぴしゃりとドアを閉める。

 後に残されたものは、真顔で立ちすくむ男二人であった。




 こうして俺は店の前で立ち止まった奴を捕まえ、あるいは店の中に引きずり込み、ケーキを渡していった。

 やっているうちに段々と楽しくなってきて、配り終えるころにはどうして自分が不機嫌だったのか思い出せないほどだった。

 俺は奥のカウンター席に腰かけ、大きく伸びをしながら時計を見る。今頃みんな、美味い美味いといってケーキを食べているだろうか。

 手間と材料費を考えれば、とてもじゃないが商売にはならない。それでも、洋食屋という職業から離れて、ただ純粋な料理人になりたくなるときがある。

 できればもう、布団に潜り込んで酒でも飲んで寝てしまいたい気分なのだが、どうもそうはいかないらしい。

「それで、どうしてこうなったのか説明していただきましょうか。下手をすれば警察沙汰になって手が後ろに回る案件ですよ」

 カナさんが眉間にしわを寄せて詰め寄ってくる。

 なるほど、俺の行動は他者からすれば不審人物丸出しだったかもしれない。どの行為がどんな罪に問われるか詳しい所はわからないが、有無を言わさず口を押えて店に引きずり込むのはちょいとやりすぎだったか。反省。

 彼女にも心配をかけてしまったようだ。ここは一切のごまかしを交えず、己の正直なところを語るべきだろう。それでこそ誠意ある対応というものだ。

 俺は軽く咳払いをして、精一杯の笑顔を浮かべた。

「むしゃくしゃしてやった。今は反省している」

 言い終わった瞬間、カナさんの手が俺の顔をがしりと鷲づかみにして、視界が塞がれた。

 後頭部に壁が迫り、そのまま激突!

「ぐへぁッ!」

 カラカラとドアベルが鳴る音が、どこか遠くで聞こえる。壁に頭をめり込ませた俺を置いてカナさんは帰ってしまったようだ。

 自分に、そして他人に正直であることは美徳である。それが理解を得られるかはまったくの別問題だが。

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