クレイジー・キッチン 第三話「コロッケ」(2)
第三話 人に優しくするのって難しくね?
「ありがとうございましたーッ」
元気な声に見送られ紳士が店を出ると、カナさんはすぐに振り返り、
「いやぁ、絵になる紳士でしたねぇ」
と、いった。
出て行ったばかりの客の噂話などあまりマナーがよろしくはないが、語りたくなる気持ちは理解できたので、俺も乗ることにした。
「あんなふうに歳を重ねることができるのならば、ジジイになるのも悪くないって思うよ」
「なれますか、店長が? 上品な紳士に?」
「無理だな」
「即答ですか」
あの紳士を立派であるとか、上品であると褒め称えることと、俺がそうなれるかはまったくの別問題だ。
「俺の理想とする老後はな、孫とゲームをやって本気を出して泣かせるような、近所で評判のクソジジイだ」
「最低ですね。でもわからないでもないです。楽しそうだし、店長らしいし」
「だろう?」
さて、それでは調子に乗った俺の頭を手加減抜きでぶっ叩く婆さんは一体誰になるのだろうか? 想像の空白に彼女の顔を当てはめようとするが、どうにもうまくいかない。
彼女と共に生きること、彼女と共に老いること。それは俺自身が手放し、あり得ないものになったことだ。
……いかんいかん、どうも今日はことあるごとにこんなことばかりを考えてしまう。
俺は冷蔵庫から下ごしらえを終えた、後は揚げるのを待つばかりのコロッケを五つばかり取り出し、油に沈めた。
コロッケが俺を慰めてくれているわけでもないだろうが、しゅわわっといい音を立てて、俺は洋食屋なのだと思い出させてくれた。そうだ、これこそ俺の積み上げてきたものだ。
「あれ店長、お客さんもいないのにコロッケ作ってどうしたんですか。揚げたて主義は返上ですか?」
あり得ん。何を言っているんだこのアマは。俺の料理に対する情熱、特にコロッケやトンカツ等の揚げ物は俺の美学だ。
一度みっちり教育してやる必要があるが、今日の俺は紳士なので勘弁してやろう。
湧き上がる怒りを飲み込み、できる限り優しい笑顔を浮かべた。つもりだったのだが、逃げ回る獲物を追い詰めた殺人犯のような顔にしかならなかったようだ。
じり、とカナさんが後退する。
「もうお客さんもあまり来ないだろうから、カナさん先にあがっちゃっていいよ。コロッケをいくつか入れておいたから夕食にしてくれ」
といってお持ち帰り用の箱に入れたコロッケを差し出すと、カナさんはさらに不審の目を向け、薄い胸元を隠しながらドアの付近まで後退した。
「わ、私の若い身体が目当てですか……ッ!?」
「そんなわけあるか!」
なんてこった。善意がうまく伝わらない。
「いらないならいいよ。このコロッケは俺の晩飯にするから……」
箱を引き寄せ、適当な皿に乗せようかと考えていると、横から細い手が伸びて箱をかっさらっていった。
「へ、へ……いけませんよ店長。それとこれとは話が別です」
カナさんが小悪党のようなセリフを吐いて、コロッケの熱を感じるように持ち帰り用の箱を抱きかかえた。
「カナさん」
「はい」
「疑ってごめんなさいは?」
「ご、ごめんなさい……」
カナさんの引きつった顔が『テメェが紳士だなんて言い出しても信じられるかボケェ!』という感情を過不足なく表していた。普段の俺はどう見られているのだろうか。
ああ、まったく心外だ。
ゲヘヘとおよそ乙女にふさわしからぬ含み笑いを漏らし、コロッケを抱えたカナさんが店を出てから三十分が経った。
客は来ない。珍しい、こんな日もあるものだな。
もういいや、少しばかり早いが店を閉めてしまおう。
残った食材を使い、好きなものを好きなように食うのだ。ちょいと行儀は悪いが、ソファーに寝っ転がって音楽をかけ酒でも飲みながら。そしてそのまま眠ってしまおう。下ごしらえやらなにやらは明日の朝だ、それでいい。
さぁ、楽しくなってきた。俺は鼻唄まじりに包丁をくるくると回しながら冷蔵庫を覗き込んだ。その時である。
カラカラとドアベルが鳴り、そこに立つのは二人の男。
「よ、大将。やってる?」
「あ、どうも。いらっしゃい……」
妙なタイミングで客が来てしまった。閉店にはまだ時間があり、看板もしまっていないのだからそりゃあ来るよな。
それはそうとして俺は首を傾げた。何かがおかしい。
嫌な予感がして、俺は錆びついた機械のようにぎこちなく首を回した。ガラス窓を見る。鈍色の雨は、止んでいた。
待て、ちょっと待て。なぜ雨が止んでいる? おい、かみなり様。何を一人でスッキリしていやがるんだ。お前ナニしやがった!?
気持ちの整理もつかないうちにカラカラと音を立てて、さらに客が入る。
「ひ、ひらっしゃいませぇ」
上手く声が出ない。この展開はマズい、マズすぎる。雨が降っていれば皆、ぶつくさ言いながら傘をさして帰るのだろうが、止んでいれば近場の仕事帰りのサラリーマンたちが、ちょいと飯でも食っていくかと寄ってくるはめに……?
「おっと、まだトン定残っているじゃあないか」
客が食券を指に挟んで得意げにひらひらと振ってみせる。
この店のトンカツ定食は人気商品であり、夜遅くまで残っていることはまずない。利益だってあまりない、看板というか客寄せ的な意味合いもある一品だ。寿司屋のトロみたいなものである。
俺が! 自分で! 食おうと思っていたんですけどね!
睨み付けても男は注文を変えるつもりなどさらさらないようで、俺は調理に入った。
クソッ、こんな時でも俺の手は美味いものを作ろうとしていやがる! そんな自分の性分がつくづく恨めしい。
調理中にもう一人、ご来店だ。
(だあああああッ!)
さらにもう一人。さらに! さらに客が!
悲鳴を上げる暇もなく、客席はいっぱいになってしまった。ああ、俺の優雅なディナータイムは虚しく崩れ去ったのだ!
エビフライも、トンカツも、オムライスも!
俺が食おうと楽しみにしていたもの全てが目の前で客の胃袋に吸い込まれてゆく。楽しみにしていた未来を、俺自身でひとつひとつ潰しているようなものだ。
最後に入った客が、にこやかに語りかけてきた。
「何かお薦めはあるかい?」
「薦められねぇものなんかねぇよ! 好きなもん勝手に選べ!!」
人に優しくすることはいいことだ。だが、そうあり続けることは意外に難しい。
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