第9話 開催! 大々御披露目の儀 中

 いざ勝負と四人が正面へ目をやったとたん、突如黒豹の体が盛大に燃え上がるや黒い炎の塊となり、弾けるように周囲へ飛び散った。拡散した黒炎は床に落下すると同時に激しく燃え盛り、黒炎の壁となって前方の視界を遮る。

 次第に火の勢いが静まって黒炎の壁が低くなるにつれ、黒炎の両端から二体の仁王像の頭が見え始め、続けてずらりと勢揃いしている百人超の黒衣、そして脇に天京を従えた最権が燃え続ける黒炎の中に現れた。

 最権が静かに口を開く。

「逃げずによくぞ私と戦う気になってくれた。礼を言おう。洒落た会場まで用意して、なかなか準備が良いではないか。わざわざ出てきた甲斐があったというものだな。早速だが、神憑の力を見せて貰うとしようか。この私を失望させてくれるなよ」

 黒衣達が一斉に刀を構え、最権と一磨達の間に漂う空気が鋭く張り詰めた。

「さっき宮殿にいた面子勢揃いじゃねぇかよ……」

 早くも弱気になり始めた一磨を押し退けるように宰が凛々しく叫ぶ。

「黑ピチ、花は渡さないよ! さっきの戦いで勝ったと思わないでね。今度はそうはいかないんだから! 悪い人は私が竹輪で引っぱたいて、やっつけて! 懲らしめる!」

 その声に呼応するように竹輪が光を放って、周囲に広がっていく光を籠手が吸収、竹輪の周囲とそれを握る宰の右腕部分だけが黄金の光に包み込まれた。

「とりあえず、私が最初に行ってさ、黒ピチの事、二、三発引っぱたいて来るよ」

「気楽に言うなよ! お前、一人で行くってのか?」 

 驚愕する一磨の前で、感触を確かめるように宰は黄金に輝く竹輪をぶんぶん降ると、

「危なくなったら古今と彌鈴ちゃんが助けに来てくれるもん。大丈夫だよ。この新しい籠手もあるしさ」

 一磨は止める間も無く最権達に向かって走り出してしまった。

「じゃあ行ってくるね!」

 陽気な声を上げて大きく手を振る宰。そんな宰を迎え撃つべく黒衣達が一斉に会場の中央へ向かって動き出す。



「流石にあの人数は無茶じゃねえのか! 一人で大丈夫なのかよ!」

 刀を振り翳し怒涛の如く押し寄せて来る黒衣の姿を見て、一磨は叫び声を上げたが、

「まだ最権さんは戦いに参加しないようです。まず問題ないでしょう。黒衣の方々も決して弱い訳では無いのですが、今の宰さんでしたら彼らに負ける事はまずありません」 

 古今は落ち着き払った様子で彌鈴と共に宰を見守っていた。

 宰を取り囲むように集結して来た大勢の黒衣が、走ってきた勢いそのままに次々と刀を振り降ろす。しかし宰が竹輪を一閃したその瞬間、宰に向けられた無数の刃が全て黒衣達の手から弾き飛ばされた。そして宰が掛け声と共に竹輪を豪快に薙ぐと、竹輪の光が集まってきた黒衣をまとめて横へ吹き飛ばし、宙に舞った黒衣達は紙風船が破裂するような乾いた音を立てて、次から次へと黒い炎に姿を変え地面へ飛び散った。

「やっぱりあなた達、不思議な力でできてたんだね! 人の気配が全然しないもんね!」

 宰が右へ左へ竹輪を薙ぎ続け、黒衣達を片っ端から黒い炎へと変えていく。

 あっという間に宰が黒衣の数を半分以上消失させた時、黒衣達が急に宰への攻撃を止め、素早く二手に分かれた。

 その直後、

「危ないっ!」

 叫び声を上げて仰け反った宰の鼻先を、鋭く尖った刀の切っ先が目にも止まらぬ速さで通り過ぎていった。横に転がって体勢を立て直すと、恐ろしく長く伸ばされた刀身が銀色の直線となって宙に浮かんでいる。

 黒衣達が撤退していく中、刀身は右手を前に突き出して身構えた天京の手の平へ、吸い込まれるように縮んでいった。

「出たな召使い、その刀ずるいんだよ! 伸びたり縮んだりしてさ! 言っとくけど、それ剣術じゃないからね、凄いのは召使いじゃなくて、刀の方だからね! お友達はその刀の事なんて言ってるの? 絶対みんな陰で、ずるいよって、召使いの悪口言ってるよ!」

「減らず口も、すぐに利けなくなるはずだ。最権様の手を煩わすまでも無く。私がその首を掻っ切ってやる」

 その言葉と同時、伸びる刀が今度は薙ぐ軌道で宰の真横から斬り掛かってきた。宰は竹輪を垂直に立てて刀を受け止めると、金属音を辺りに響かせながら刀に沿って竹輪を滑らせ、天京に向かって走り出す。

 しかしもう一方の刀が顔面を狙って飛び道具のように鋭く伸びて来た。宰は竹床に突き立てた竹輪を支点に、天京の二本の刀の間を間一髪ですり抜けたが、直後刀は二本とも縮み、その後は矢を射るように、宰に向かって二本の刀は目にも止まらぬ直線的な伸縮を幾度も繰り返した。

「だからずるいんだってこの刀! ちょっと動かないでよね! 近付いたら、刀の長さも関係無くなるんだからね! 思い切り引っ叩くから覚悟してよね!」

 竹輪で弾き返しても即座に伸びて来る天京の刀、その攻撃を全て受けつつ、宰は僅かずつではあるが、じりじりと距離を詰めていく。

 そして首を伸ばし、後方で宰と天京の戦いを眺めている最権に向かっても、宰は叫んだ。

「召使いを倒したら、次は黑ピチの番だよ! さっきみたいにはいかないんだからね、そこで待っててよね、すぐ行くから! 激しく動くから、その服止めた方がいいよ。絶対おっぱい全部でちゃうよ。いまだって半分出てるんだからさ、着替えた方が良いと思うよ!」

「あいつすげぇな……」

 敵陣にたった一人で乗り込み、鬼神の如き強さで黒衣達を粉砕、さらに天京の連続攻撃を神業のような竹輪捌きで躱しながらも、まだ悪態をつく余裕のある宰の姿に、一磨は感動すら覚えた。

「宰さんなら大丈夫です。なにせ神憑の使い手なのですから。それでは宰さんが頑張っていらっしゃる間に、こちらも準備を進めましょうか」

 古今はそう言って葛籠を開けると、何やらおめでたい紅白の太い注連縄をするすると引っ張り出し始めた。注連縄には長い杭のような物が幾つも結び付いており、地面に突き立てられる構造になっている。注連縄の後には小さな人形を葛籠から二体取り出し、そのうち一体を彌鈴に手渡した。

「誉さんには、先程会場を使用する許可を頂いておいたのです。相手は最権さんですから、これ位の優位性は頂かないと流石に勝負になりませんからね」

「会場の許可も何も、菊華陶磁器の奴らがここで戦えって言ったんだぞ」

「いえ、場所としてではなく道具として使用させて頂く許可です。この会場の外壁は途轍もない式術の力を練り込んだ磁器で造られていましたので、その力を利用させて頂きます。何せ一級の式術陶芸家が、これ以上無い熱意で仕上げた作品ですからね、期待できますよ」

 そう言って古今は注連縄に付いた杭を床へ次々手際良く打ち込み始めた。紅白の注連縄を張った、大人二人が縦に並んで寝そべる事ができるほどの円が作りだされ、古今は彌鈴と共に二拍一礼した後に円の中へ神妙な面持ちで先程の人形を置いた。よく見ればその人形は古今と彌鈴にそっくりで、二人をそのまま三頭身に縮めた可愛らしい姿をしている。

 両手を注連縄の円に翳して古今は何やら唱え始め、彌鈴は葛籠から大量の御札を取り出して、せっせと懐にしまい込んでいる。

 そんな中、阿形と吽形が戦っている宰と天京の頭上を大きく跳び超え、轟音と共に着地、左右から挟み込むようにこちらへ走って来た。

「来たぞ、来たぞ、来たぞ! こっちにもよぉおおお! でかいのが来たぞぉおお!」

 憤怒の表情で接近して来る仁王像の迫力に一磨は怯え、尻餅をついて後ずさる。

「我々の相手はあの仁王像達と言う訳ですね。さぁ、彌鈴、準備はいいですか?」

 葛籠を手早く背負った古今が彌鈴に声を掛けると、彌鈴はすっと立ち上がって小さく頷いた。

「では一磨さん。私共行って参ります」

「ちょっと、俺は一人ぼっちで留守番か! 俺の事忘れないでくれよ! 俺はここに居るからな、何かあったら助けてくれよ!」

「大丈夫ですよ。全員無事で任務終了。それが最優先事項ですから」

 必死で叫んだ一磨に古今は優しく微笑むと、右から接近して来る阿形へ、彌鈴は左から来る吽形に向かってそれぞれ歩き始めた。

 冗談のような体格差に怯む事無く進んでいく二人、目の前に仁王像が立ちはだかった所で立ち止まると、石でできたその巨大な姿を静かに見上げた。

 一瞬の沈黙。

 そして突如、阿形が古今へ落岩の如き大きな拳を、吽形は彌鈴を踏み潰さんと頭上から容赦の無い蹴りを、凄まじい速度で繰り出した。当たれば一撃で木端微塵になるであろう恐ろしい攻撃だったが、ほぼ同時に会場の床を突き破って餅のように柔らかな純白の塊が二人の足元から飛び出し、その攻撃を見事に受け止めた。

 初撃を防がれた仁王像達はすぐに次の攻撃へ移ったが、白い塊は柔らかくも鋭く流動、次々繰り出される仁王像の攻撃を完璧に防いでいく。

「何だ! あの真っ白い奴はよ……」

 一磨の目の前にある、古今が杭を打ち付けて作った注連縄の円。その周囲が発光して井戸のような形状を作り、古今と彌鈴を守った物と同じ白い物体が床から湧き上がって井戸の内部を満たしている。

 古今と彌鈴の人形が白い物体の表面に浮かんで、ゆらゆらと揺れていた。

「さっき古今が言ってた、会場の外壁に使ってる磁器を利用するってのは、この白い餅みたいな奴の事か……? 磁器を自在に操るって訳か……。こりゃ、勝てるかもしれねぇぞ!」

 阿形から距離を取った古今は素早い動作で葛籠を開けると、その中から抱え大筒と正方形の木箱を取り出した。大筒は巷で見る無骨な鍛鉄の黒色とは異なり、鮮やかな純白に染められており、古今は木箱を開けると、弾を取り出してその大筒に装填、磁器の塊と格闘を続けて阿形に向かって狙いを定めた。

 引き金を引くと同時に盛大な音が響き渡って、大筒から煙が上がる。そして砲身から凄まじい勢いで山吹色の光が飛び出した。光の先端には何やら動物の姿が形作られており、頭に鹿のような角を持った子豚のようにずんぐりむっくりした見た事もない動物。

 丸っこいその動物が角を突き立てるように阿形の胸元へ直撃すると、ふぃいいんと、嬉しそうな鳴き声が響き渡り、阿形の胴体にぽっかりと大きな穴が開いた。

 そのまま阿形は大の字になって前方に倒れ込む。

「子麒麟砲です。子供とはいえ端獣ですからね。あなたのような式術で作られた方には効果絶大ですよ」

 一方、彌鈴は御札を一枚宙に放り投げて式術を発動させると、巻き起こした猛烈な旋風に乗って吽形の周囲を飛び回り、紙吹雪の如く御札を大量にばら撒き始めた。

 吽形の頭上に到達した彌鈴が、ぱちんと大きく柏手を打ったその瞬間、宙を舞っていた御札がキラキラと輝き出して透明な膜となり、吽形を頭から足元まで包み込んだ。そして広げていた手をぐっと握り締める動作をすると、膜の中で舞っていた残りの御札が一斉に大爆発を起こし、吽形の姿が炎に包まれた。

 しばらくしてゆっくりと床に降りてきた彌鈴が、再び柏手を打つと光の膜は消え、中から黒焦げになった吽形の姿が現れた。吽形はぴくりとも動かない。

 彌鈴は振り返る事もなく、古今の元に歩み寄った。そして二人が互いの勝利を称えるように、手を叩き合わせる。

「………」

 古今と彌鈴の余りにも圧倒的かつ驚異的な式術の目の当たりにした一磨は絶句、これからは二人に敬語を使って話すべきなのでは、と思うほどに驚愕した。

 最権が怪しげな笑みを浮かべて、ぱちぱちと疎らに手を叩き始めた。緩慢な動作とは裏腹に最権の目は古今と彌鈴の姿を興味深げにしっかりと見つめている。

「素晴らしい。貴様達の力が並みでない事はその所作で分かる。私も手ぶらでは申し訳ないと思い、手土産を持参してきたのだが、無駄にならずに済みそうだ。是非とも受け取って欲しい」

 最権がその言葉を言い終えると同時、古今と彌鈴が揃って素早く空を見上げた。一磨もその動きにつられて空を見上げたが、つい先ほどまで空を覆っていた黒雲と恐ろしげな巨大な門は跡形も無く消え去っており、晴れ渡った青空が広がっているのみ。しかし、しばらく青空を見ているうちに、何やら黒い点が一つ、ぽつんと浮かんでいる事に気付いた。

「おい……。あれ……何だ? 気のせいじゃねえよな、だんだん大きくなってるよな……」

 空に浮かぶ星ほどの大きさだった黒い点は次第に大きさを増し、太陽の半分ほどの大きさになった。どうやら何か途轍もない大きさをした物体がこの会場目がけて、落下してきているらしい。

「彌鈴! 後の事を考える必要はありません、全力で行きますよ!」

 鋭い叫び声を上げて、古今と彌鈴が一磨の元へ戻ってきた。注連縄が作る円に向かって古今は手を翳し、彌鈴はその後ろに並んで古今の腰へ手を添えた。

「何だ! 何だ、どうしたんだ? まさか、空から降ってくるあの黒い奴が最権の攻撃なのか!?」

「こちらに花がある以上、最権さんは余り無茶をする事ができない。勝機はそこにあると踏んでいたのですが、完全に甘かったですね。まさかあれほどとは……」

「あれほどって、どれほどだよ、分からねぇよ! 具体的に教えてくれよ!」

「あの黒い塊は、最権さんの周囲にある黒炎、それを途轍も無い量集結させた物です。この場所に落下すれば、我々は勿論の事、会場も跡形無く消え去ります。神憑級の式力ですね。さすがに、菊華さんの結界でもあのような式力の前では無力です」 

 それを聞いた一磨は血相を変えて最権に向かって叫んだ。

「あんた、花がここにあるの忘れているのか? あんな物落下させたら、花も消し飛んじまうじゃねえか! 花欲しいんだろうがよ!」

「安心するがいい、あの黒炎の塊は常世の魂を避けるように変質させてある。花は全くの無傷で残るだろう。ただ、この会場にいる者達は我々とあの神憑使いの娘以外、骨一つ残らず燃え尽きるだろうな。なかなか手の込んだ良い手土産であろう。さぁ、どうする?」

 心底楽しそうに笑いながら、最権が踊るような仕草で手を振ると、それに合わせて周囲の黒炎が一磨達を挑発するように揺れ動いた。

「正直、駆け引きには私も若干の自身があったのですが、これほど圧倒的な力の前では小細工など何の役にも立ちませんよ、さすがは最権さん。私、目の覚める思いです。目覚めたそばからこの後、永遠の眠りに就かされるかもしれませんがね。ははっ……」

「笑えねぇよ、馬鹿野郎! 大丈夫だよな! あの黒炎、防げるんだよな!」

「余りにも式力の規模が大きいので、正確に力を測る事ができません。持てる力を全てぶつけて、大丈夫かどうかは結果次第。私と彌鈴、菊華さんの陶磁器の力が及ばなければ、会場ごとこの周辺が吹き飛びます。やれるだけやってみますよ」

「やれるだけって……」

 一磨が顔面蒼白で宰に向かい大声を出す。

「宰! 最権が会場ごと破壊しようとしてるぞ! 早い所、そいつをぶっ倒して最権を止めてくれ!」

「私だって、早く黑ピチの所行きたいんだけど、召使いがずるいんだもん! 刀伸ばしたり縮めたりしてさぁ! 最悪だよ! こんな刀使ってる人、絶対友達少ないよ! 女の子子にも持てないよ! 全然前に進めないんだよ!」 

 悪態をつきながら天京の刃を弾き続ける宰。先程よりは天京に接近しているものの、その進み具合では、黒炎の落下にとても間に合いそうもない。

 とうとう黒炎の塊は太陽の半分くらいの大きさとなり、塊の表面で燃え盛る黒炎の様子が、会場からでも確認できるまでに接近していた。

「それではいきますよ、彌鈴!」

 古今が声を上げると同時、注連縄で括った円の中から天に向かい、莫大な量の柔らかく変質した磁器が噴き出すように溢れ出した。磁器は地面からそびえ立つ高い柱のような形状を取った後、まるで生き物のように左右に揺れながら各部を微細に変化させていく。

 そして最権の黒炎に対抗すべく、菊華の磁器を素地にして古今と彌鈴の式術により最後の切り札が完成した。

 それは磁器より生み出されし、天を突くほどに巨大な純白の右腕だった。

「何だこれは……。やたらと馬鹿でかい腕じゃねぇか……」

 呆気に取られた一磨の前で、その巨大な右腕は感触を確かめるかのように、手の平を数回開閉した後、親指と中指を曲げて輪を作り、中指に力を溜め込むような動作に入った。

「ひょっとしてだけどよ……。まさか、これ……。でこぴんか……?」

「ええ、これで黒炎の塊を弾き返します」

「ちょっと待て、でこぴんでっ!? 本気か!? でこぴんであの馬鹿でかい塊を弾き返すってのか!? ふざけてるのか?」

「会場の外壁に練り込まれた菊華さんの磁器の力を基礎として拝借、でこぴんには私と彌鈴の式力を全て注ぎ込みます、力量だけなら問題ないと思いますが、結果はやってみなければ分かりません」

 磁器でできた純白の巨大な逞しい腕、その先端に作り出された、途轍もない力が込められているのであろう見事なでこぴん。緊迫した状況の中で、悪い冗談としか思えなかったが、古今と彌鈴の真剣な表情を見て、本気なのだと一磨は理解した。

 その光景を見た最権が、両手を前に翳して手の平から黒炎を放った。放たれた黒炎が二匹の蛇のように床を這って進み、倒れている阿形と、黒焦げになった吽形の体にそれぞれするりと入り込む。すると阿形も吽形も息を吹き返したように動き出し、おもむろに屈み込むなり渾身の力を込めて大地を蹴り、空へ向かって勢いよく跳び上がった。

「おい! あの仁王像復活しちまったぞ! それで一体……何をしようってんだ……?」

 二体の仁王像は落下してくる黒炎の塊へ向かって一直線に上昇、ぐんぐん空を登って行き、そのまま黒炎の塊に頭から飛び込んだ。

 一瞬の間があった後、塊が渦巻くように表面の黒炎を激しくうねらせながら大きく揺れ動く。巨大な生き物が身を捩って悶え苦しむがごとく、塊は様々な歪んだ形を取った後、あろう事か二つに分離してしまった。

「増えちまったぞ! おい、大丈夫なのか!? 二つも弾き返せるのか!?」

 上空で起こった異変を指差して一磨は大騒ぎをし、

「これは、参りましたね……」

 古今は額から汗を流し、次の手を打つ事ができずに固まってしまった。

 動いたのは彌鈴だった。

 彌鈴は古今の背後を離れて脇に置いてあった葛籠に飛び付くと、中から空飛ぶ座布団を取り出して、転がるようにその上に飛び乗った。

「彌鈴! どこに行こうってんだよ!」

 一磨の声に振り返る事なく、彌鈴が座布団に乗って大空へ舞い上がる。そして、二つに分離した黒炎の片側に向かって、一直線に突き進んでいった。

 接近するにつれ激しさを増す熱気に怯む事無く、彌鈴は座布団の速度を上げ続けた。式術で防御壁を張っているにもかかわらず、座布団の先端は燃え始め、焼け付くような熱気が露出している彌鈴の顔や腕を襲い、着物の中にまで入り込んでくる。それでも彌鈴は歯を食い縛って座布団にしがみ付き、黒炎へと立ち向かった。

 目前に迫った燃え盛る黒炎がうねりを上げて彌鈴を座布団ごと呑み込もうとした瞬間、彌鈴は鋭く横に回転するや、縁を思い切り蹴り、水に飛び込むような姿勢で脱出。

 その直後、黒炎の塊に接触した座布団が激しい光を放った。彌鈴に式術を込められた座布団は炎上しながらも、打ち付けた杭のようにびたりと宙に止まって動かず、巨大な黒炎の塊を足止めする事に成功した。

 しかし、片方の塊は容赦なく一磨達に向かって落下を続けている。

「駄目だ! 落下しちまうぞ!」

 絶望的な一磨の叫び声が響く中、上空から彌鈴が凄まじい勢いで戻ってきた。床を滑るように着地した彌鈴は激しく鼻息を吹き出しながら、古今の後ろへ回ってその背中へ両手を添える。

「彌鈴、本当にいい仕事をしました! それでは行きますよ!」

 磁器の腕がぐっと伸び上がったかと思うと、黒炎の塊の横へと回り込み、古今と彌鈴の式力を込めた渾身のでこぴんを、落下直前の黒炎の塊に直撃させた。

 凄まじい衝撃波と共に弾けた黒炎が会場全体に降り注ぎ、黒炎の塊が猛烈に回転しながら空へと弾き飛ばされていく。飛んで行った塊は彌鈴の足止めしたもう一方の塊に激突、玉突きのごとく二股の軌道を描いて、塊は黒炎をばら撒いて分散しながら見事二つとも空へと押し返された。

 衝撃音と黒炎に怯え、目を閉じてしゃがみ込んでいた一磨が、恐る恐る目を開いて空を見上げると、そこには次第に遠ざかって小さくなる二つの塊の影があった。

「やったぞ! 助かった! 良くやったな二人共!」

 大喜びで古今と彌鈴に駆け寄ろうとする一磨だったが、目に飛び込んできた光景に絶句してよろめき、その場に力無く座り込んでしまった。

「おい……、嘘だろ……、おい! 何でだよ! 何でお前達そんな事になってんだよ!」

 会場は塊が振り撒いた大量の黒炎であらゆる場所が燃えていたが、一磨の周辺にだけは黒炎が全く無く、前方には一磨を守る為の壁となった、立ったままの姿で黒炎に包まれる古今と彌鈴の変り果てた姿があった。

「何で、俺を庇ってお前達が燃えちまってんだ……。俺なんて役に立たねえって言ってたじゃねえかよ! 何でそんな奴を庇うんだよ、馬鹿野郎!」

 二人の火を消そうと駆け寄る一磨だったが、黒炎は意思があるかのように、近寄った一磨に向かって大きく燃え上がった。熱気に怯んだ一磨が転んで尻餅をつくと、再び、ぱちぱちと力の無い拍手の音が聞こえてくる。

「素晴らしい。よもや黒炎同士を激突させて凌ぐとは、思いも寄らなかったぞ。面白い。ここまでやるとは本当に良い逸材だ」

 最権が愉快そうな表情で手を叩いている。

「面白いだと……ふざけるんじゃねぇぞ、お前のせいで古今と彌鈴は……」

「その二人は大健闘したようだが、次はどうするのだ? 今度はお前の番だ」

「おれの番だと……」

 最権が空を指差した。

 一磨が空を見上げると、飛んで行った塊の二つの影のうち、一つがその大きさを増し始めている。どうやら黒炎の塊は再び会場に向かって落下してきているようだった。

「式術を使えないようだが、どうやって凌ぐんだ?」

 最権は楽しくて仕方ないといった様子で、残忍な笑顔を浮かべた。

 今までは目の前の恐怖に怯え、逃げる事しか頭に浮かばなかった一磨だったが、自分の身が危険になっている事よりも、自分に最権と渡り合う力の無い事が悔しかった。自分の為に犠牲となった古今と彌鈴、そして今も天京と戦っている宰の役に立てない自分の不甲斐無さが許せず、拳を大地に思いきり叩き付ける。

「畜生……。俺には何もできねえのか、畜生……」

 再び、黒炎の塊が会場に接近し、息もできないほどの熱気に会場が包まれたその時。

「よっこいよぉおお!」

 地面に突っ伏した一磨の頭上から金色の光が差し、陽気な掛け声が響く。

「お前、間に合ったのか!」

 宰の竹輪から溢れ出す金の光が鞘に沿って太く伸び、巨大な刀のような形状となって落下してくる黒炎の塊を受け止めていた。

「大丈夫。古今と彌鈴ちゃんの気配はちゃんと感じるよ。炎の中で元気にしてる! 燃えないように動かないでいるだけだから、一磨も泣いたら駄目だよ!」

「本当か!」

 喜びの声と顔を上げる一磨だったが、宰の姿を見て絶句した。

「お前……、斬られてるじゃねえか……」

 宰の着物には血に滲んでおり、ざっくりと斬られた肩からは深く痛々しい傷が露出していた。

「急いだら、ちょっと召使いにやられちゃった。でも大丈夫だよ! 召使いは引っ叩いたら動かなくなったし、私がこの大きな火の玉跳ね返して、その後、黑ピチやっつけるから全然大丈夫!」

 しかし、宰の表情に余裕は無く、受け止めている黒炎の塊は少しずつではあるが確実に会場へ落下してきていた。

 何もしてやれない自分の不甲斐なさと最権への怒りが、一磨の心の中で嵐のように渦巻き一磨を責め立てた。悔しさの余り、絶叫しそうになる一磨だったが、しかし、宰の籠手から放たれる眩い黄金の光が目にはいった瞬間、ある一つの考えが一磨の脳裏に閃いた。

「宰! 籠手を外して神器の力を全部出すんだ! 毬藻を倒した時の力なら、この黒炎もはね返せるんじゃねぇか!?」

「でも籠手が無かったら、また爆発しちゃうよ! 黑ピチじゃなくて、私が菊華陶磁器の人達とか、みんなの事吹き飛ばしちゃうもん!」

 涙声になって叫ぶ宰に一磨は落ち着き払った声で答えた。

「大丈夫だ、俺が命に代えても竹輪は爆発させない。絶対に約束する。とにかくお前は金色の鳥を呼び出して、あの黒ピチ女を引っぱたいて来い。思いっきりな!」

 一磨らしからぬ頼もしい発言に自分の耳を疑って、宰が振り返ると、力強い眼差しで頷く一磨の顔がそこにあった。それを見て、弱気になっていた宰の心が急速に元気を取り戻す。

「分かった! 竹輪が本気出したらね、こんな火の玉、簡単に弾き飛ばせる。黑ピチだってやっつけられる。菊華さん守って、みんな無事に帰って、古今と彌鈴ちゃんと一緒に黑ピチ倒したお祝いしようね!」

 宰が右手を竹輪から離して真っ直ぐ横に伸ばすと、籠手の紐がするするとひとりでに解け始めた。ゆっくりと横に移動した籠手が宰の手から外れて落下、一磨はそれをしっかりと受け止める。

 その瞬間、黄金の光が弾けるように竹輪から溢れ出し、竹輪の鞘が空高くすっ飛んで行った。光と共に爆風のように強烈な旋風が巻き起こって周囲の黒炎が掻き消え、古今と彌鈴を覆っていた黒炎も消失、一磨の体は後方へ勢いよく吹き飛ばされた。

「うおわっ!」

 ごろごろ転がる体を必死に止めて一磨が顔を上げると、黄金の光でできた巨大な鳥が出現しており、その中に宰の体が浮かんでいるのが見えた。その直後、空から落下してきた竹輪の鞘が勢い良く一磨の目の前に突き刺ささり、あやうく脳天を貫かれる所だった一磨は絶叫して仰け反った。

 以前出現した時とは異なり、巨大な金色の鳥が次第に小さくなっていき、宰と同じくらいの大きさとなって同化した。宰は全身に黄金の光を纏い、その背中からは金色の翼が生えている。

「何だか、毬藻ちゃんと戦った時よりも、強くなってるかもしれない。いい感じだよ! じゃあ一磨行ってくるね!」

 晴れやかな顔で叫ぶ宰の姿に、

「ああ! 行って来い!」

 一磨は笑いながら答えた。

 自信に満ちた足取りで最権に向かって歩いていく宰、会場を覆い尽くす黒炎の中央で黒衣を従えた最権と宰の目が合う。

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