第8話 開催! 大々御披露目の儀 上

「痛っったぁあああ!」

 中腰の姿勢でいきなり空中に出現した一磨と宰は、くるりと半回転して真っ逆さま、頭を思いきり地面に打ち付けて二人仲良く絶叫を上げた。一磨はうずくまって頭をさすり、宰は痛みに堪えきれず毬藻を胸に抱えたままで、ごろごろ地面を転がっていく。

 一方の古今は長い髪をさらりと風になびかせながら、華麗に大地へ降り立った。

「痛てて……。おおっ、古今! 体は大丈夫なのか!? あれっ……、ここは!?」

 元気な古今の姿を見て安堵した一磨が、がばりと体を起こすと、そこは見覚えある蟹汰に襲われた林の中。首を千切れるほど激しく振って辺りを見回したが、周囲に最権達の姿は無く、あの不吉極まりない風景も、吐き気を催すほどに恐ろしい異形の壁も消え去っていた。

「ここに戻って来れたって事は……。ひょっとして俺達……、助かったのか……?」

 恐る恐る尋ねた一磨に、古今が微笑みながら首を縦に振った瞬間、

「良かったぁぁぁああ!」

 絶叫を上げて一磨は地面から飛び起き、古今の右腕に縋り付くなりその細い体を全力で前後に揺さぶった。

「おい! 何なんだよあのおっかねえ奴らはよ! 何が冥界のなんちゃらだ! 馬鹿言ってんじゃねぇ! 俺達はただ荷物を運んでただけなのに、なんでこんな事になっちまったんだ!? どうしてだよ、古今! どうしてこんな事にぃいい!」

 それを見た宰も負けじと古今にしがみ付く。胸元に抱えていた毬藻が古今の腕と宰の胸に挟み込まれて「わぐぉっ」と妙な唸り声を出した。

「黒ピチの黒い動物見た!? 凄く素早いんだよ、しかも攻撃が重いのに軽いの! 絶対勝てないじゃんあんなの! ねぇ、何者なの、あの黒ピチ! すごく悔しいよ、私生まれて初めて逃げ出してきちゃったんだけど! ねぇ、教えてよ古今! 何なのあの黒ピチィ!」

 右から左から揉みくちゃにされ、さすがの古今もその笑みを引き攣らせて二人を腕から引き剥がし、静かに答えた。

「あの方は最権栖拿と名乗られました。そのお名前は式術や八百万といった、常世の力に関する事柄にある段階以上精通する者であれば、必ず耳にした事のある名です」

「ゆ、有名な奴なのか……? あの女……」

「遥か昔の伝承から最新の噂話に至るまで、多様な場面でその名に遭遇致します。にも拘らず実際にその姿を見た、接触したという方は一人としておらず、最権栖拿という存在自体、常世の力を探求する者達が生み出した概念的、抽象的な物であると理解していたのですが……。まさか、直接お会いしてお茶を御馳走になるとは思いも寄りませんでしたよ」

「やっぱり凄い人なんだ。おっぱい凄く大きかったし、半分出ちゃってたもんね!」

「おっぱいは別に関係ないだろ……」

「そして今の世が気に入らないからと言って冥界の王を世に放ち、新しい世を始めるなどと言うその発想。世界は広い、途轍も無い方が居らっしゃるものです。しかし、それほどの方に命を狙われ、面前から逃げ出す事の出来た我々の悪運、これも中々捨てたものではありませんよ」

 古今は両脇にいる一磨と宰に目をやって、誇らしげに微笑んだ。

「仁王像は動くし、黒衣はわらわら出てくるし、執事みたいな奴は手から刀を出すし、何より、やたら陰気な場所にあったでかい目玉と指の壁だ! 最権とか言う女だけじゃなくて、取り巻きもとんでもない連中が揃ってたじゃねえかよ! しかもあの執事、くそ重い竹輪を片手で簡単に運んでいたよな、竹輪は他人に持てないんじゃなかったのか? あいつらに掛かれば何でもありなのか?」

「最権さんの宮殿に移動した時より、迦楼羅刀はその力を完全に秘匿していました。それ故、宰さん以外の方でも簡単に迦楼羅刀を持つ事ができたのです。常世に関連する存在の鑑定は占いに類似した式術を用い、その対象物が纏う常世の力を解析して評価を行うのですが、力を秘匿した迦楼羅刀を最権さんは、只の棒であると判断した事でしょうね。神憑の所持が発覚していれば、さすがの最権さんも警戒し、即座に我々の命を奪ったかもしれません。そして、お二人に面識あるもののけ登場という絶好の機に迦楼羅等が力を解放し、最権さんの式術を打ち消してくれたのです。常世の力が己の意思でこれほど人に尽してくれるとは、宰さんと迦楼羅刀が持つ縁と絆の賜です」

「竹輪が黒ぴちから逃がしてくれたんだ! ありがとうね、竹輪!」

 宰はお礼を言いながら、竹輪のでこぼこした焼き目の部分を優しく撫でた。

「そして、最権さんの力が消失した所で私があの八百万を発動させ、宮殿から無事脱出する事ができたのです」

 そう言って古今が指差した草むらには、最権の宮殿で古今が床に置いたこけしとそれより一回り小さなこけしが二体寄り添い、こちら向きで立っていた。

「あっ! あれ、こけしって言うんでしょ! 私、知ってるよ、お土産屋さんで売ってるよね!」

 宰が好奇心に駆られて走り出したとたん、二体のこけしはふわりと浮かび上がるや宙に円を描いて猛烈に回転し始め、高音の唸りを周囲に響かせた。驚いて立ち止まった宰の前でこけしは突如、打ち上げ花火のごとく凄まじい勢いで大空へ飛び立ってしまった。

「飛んでっちゃったよぉぉぉぉおお!」

 宰の叫び声を後に残し、雲一つない真っ青な空に螺旋状の白い軌跡を描きながら二体のこけしがあっという間に消え去っていく。

「おい……。一体何だ……。せわしないにも程があるだろ、あのこけし……。えらい勢いで飛んでっちまったぞ……」

「ええ、あれが我々を助けてくれた八百万、夫婦こけしです。夫か嫁、どちらかのこけしを持っていれば一度だけ残されたこけしの元へ瞬時に移動する事ができます。最権さんの宮殿に連れ去られる直前、嫁こけしを茂みの中へ投げ込んでおきましたので、無事逃げ出す事に成功しました。そしてこけし達が出会った後はご覧の通り、誰にも邪魔されない所へ飛んで行ってしまうのです。三代夫婦円満が続く屋敷の大黒柱を材料に用い、国内ではとある式術師の夫婦だけが作製できる大変珍しい八百万ではありますが、命あっての物種ですからね」

「やっぱり今回も古今が助けてくれたのか。古今には助けられっぱなしだよな。本当にすまない。感謝してる」

「古今、ありがとう。古今は不思議な道具をいっぱい持っているんだね」

「いえいえ、当然の事をしたまでです。私の方こそ、最権さんにお逢いする事ができましたし、冥界の王や、貴重な事象に遭遇する事ができました。やはり、お二人の後を追ってきたのは正解でしたね」

 心底感謝している様子の一磨と宰に上品な仕草で首を振り、古今は爽やかに笑った。

「そうだ古今、毬藻ちゃんの事見てあげて! 毬藻ちゃんずっとぐったりして元気がないんだけど、大丈夫かな? お腹が空いてるのかな?」

 宰の腕の中で毬藻は小さく丸まり、苦しげな表情でふぅふぅと荒く鼻息をついている。 

「限界まで力を使い果たし、子犬と同等位の存在になっているようですが、元は強大な力を持つ純種のもののけのです。時間は掛かるでしょうが、安静にしていれば本来の力を取り戻す事でしょう。この騒ぎが収まるまで、私の葛籠の中で休んでいてもらいましょうか」

 古今は宰から、黒い毛糸玉のように柔らかい毬藻の体を慎重に受け取り、葛籠の中へそっと入れた。

「まあ、逃げ切れて何よりだ。とりあえず助かったって事で、喜んでいいんだよな」

 縋るような目で同意を求める一磨に、古今は残念ながらと首を横に振った。

「宰さんが神憑の使い手である以上、あの宮殿へ連れ去られる事はありませんが、最権さんの非常に強い思念が花へ向けられているのを感じます。追手が掛かるのは間違いありません。これほど強い思念ですから、最権さん御自身が我々の前へやって来るのではないでしょうか。そして我々は最権さんにあのような振る舞いをした訳ですから、花を奪うついでに我々の存在を消そうとするでしょうね」

「ちょっと待て! ついでに!? ついでで消されちまうのか!? あの女、自ら追って来るってよ、事態は悪化してるじゃねえか! これはもう俺達の手に負えるような事じゃない、今すぐ奉行所へ報告しよう! 世界をぶっ壊そうとしてるんだから奉行所どころか幕府が国ぐるみで俺達の事を助けてくれるに違いない! そうだ、そうに決まってる! 今すぐ奉行所に行くんだ。よしっ、みんな、町に向かって全力疾走だ!」

 一磨はついて来いとばかりに手を大きく振り上げた後、突如走り出した。たった一人で駆けていく一磨の背中に古今が声を掛ける。

「残念ですが! もし奉行所に我々の話を信じて頂けたとしても、最権さんに対応し得る力を準備する間に事は終わってしまいます。時間の猶予はありません。我々は手持ちの駒を使ってこの局面を乗り切る他ないのです。極論、花を破壊してしまえば我々はともかく世界は救われるのですが、宰さんが神憑の共振によって何の被害も無く花を破壊できた事は様々な要素が絡み合った偶然。これ程の力を秘めた品を完全な制御下で破壊する事は不可能であり、失敗すれば間近にいる我々の命が消失するのはもちろん、大和乃国、ひいては世界に何らかの影響を及ぼす可能性があります。そうなれば本末転倒です」

 事態はすでにのっぴきならない事態に突入していた事を知り、一磨は眩暈を感じてよろめきながら戻ってきた。そんな一磨を突き飛ばすように押し退け、今度は宰が騒ぎ出す。

「ええっ! また黒ぴち来るの!? もう戦うのやだよ! だっておかしいもん、あの黒い動物の攻撃。何なの、あの強さ! どんなに稽古したってあんな風には絶対ならないよ!」

「宮殿内には最権さんの力を増幅し、有利な法則が働くよう、式術が張り巡らされていました。あの強さは確かに少々狡いですよね。他の場所で一騎打ちという事であれば、式術での戦いなのですから絶対は無いですし、宰さんは神憑の使い手です。勝ち目は十分にありますよ。それに……」

 古今はそう言って葛籠から、繭のように布を幾重にも巻きつけた楕円形の物体を取り出した。

「最権さんの登場で後回しになってしまいましたが、お忘れですか? 私はこれをお渡しする為に、宰さんの後を追って来たのですよ」

 古今が布の端を引っぱると手の上で駒のように物体がくるくる回って包みが解け、そこから、色鮮やかな桜色の手鞠を三つ繋げたような、大変可愛らしい右手用の籠手が現れた。

 籠手には美しい桜色の下地に見事な糸の編み込みで、宰の着物と揃いの桜吹雪が描かれていたが、取り付けられている鉄鋼部までもが桜の花びらの形状で、銀色と桜色の花弁が籠手の上で舞う非常に凝った意匠をしていた。さらに、肘下の部分には草を食む小鹿の姿が描かれており、籠手の可愛らしさが倍増している。

 一瞬で籠手に魅入ってしまった宰は、地面を転がるようにして古今の足元へ駆け寄り、奪い取るように古今から籠手を受け取った。

「ぎゃぁぁ! 何この籠手! すごく可愛い! これ私にくれるの!? 嘘でしょ! 本当に!? うわぁ! めちゃくちゃ可愛い! 着けてみてもいい!?」

「もちろんです、宰さんの為に作製した籠手なのですから。可愛いだけでなく、これを装着する事で迦楼羅刀の力を吸収して拡散、爆発を阻止する事ができるのです。とはいえ、人の技が神憑を完全に制御する事など不可能。神憑が究極まで己が力を解放した場合、止める術はありませんのでご了承下さい。そしてなんと、丸洗いが可能なんです! この工程が一番苦労致しました。水で洗っても日干ししても、式術的、物理的に劣化しない最高級の加工を施してあります」

「やったぁぁぁああ! ありがとう古今! すっごく大切にするね!」

「宰さんの髪の毛を生地に織り込む事で籠手自体が神憑との縁を有しています。籠手を用いれば誰にでも迦楼羅刀を持つ事ができてしまいますので、盗難には十分注意してくださいね」

 古今の注意説明もそこそこに、さっそく宰が籠手の上部より手を差し込んでみると、寸分の狂いも無くぴったり。羽毛のように柔らかな質感が肘下から先をしっかり包み込んで、指先は何の支障も無く自在に動かす事ができる。籠手の可愛らしい外観も宰の雰囲気に良く似合っていた。

 宰は大興奮で「ほほほう! ほほほう!」と奇声をあげながら竹輪をぶんぶん振り回し、一人でそこら中を飛び跳ねた。

「お名前も刺繍しようかと思ったんですが、好みの問題ですからね。一応宰さんの希望を聞いてからの方がいいと思いまして、名入れはどう致しますか?」

「入れる! 入れる! この空いてる所に大きく平仮名で『つかさ』って入れて。そうしたら私の籠手ってすぐ分かるよね! どこかに忘れてきても誰かが見つけてくれるよね!」

「ええ、心の優しい方ならきっと届け出てくれますよ。店に戻ったら何色の刺繍にするか、字体はどのような物にするか皆で一緒に考えましょう」

「ほほほう! 早く黒ぴち来ないかな! 私がこの籠手使ってやっつけちゃうんだ! 今度こそ負けないんだから!」

 新しい装備を手に入れ、すっかり最権より強くなった気でいる宰に、

「籠手をつけたぐらいでそんなに変わるか? また最権に一撃くらって、不貞腐れちまうんじゃねぇの?」

 心労で荒み、二日酔いの朝を迎えたおっさんの如き表情で一磨が水を差す。

「さっきはね、黒ぴちがずるしてたんだって! 私分かるんだもん。この籠手つけて竹輪を使えば、私、絶対負けないもん!」

 宰は、きぃと食い縛った歯を見せて一磨を威嚇、そんな宰をなだめながら古今は葛籠を手元へ引き寄せた。

「それでは一磨さんが安心できるように、ここで私も秘密兵器を出しましょうかね」

「古今の秘密兵器!? おおっ、神器か? それとも冥界のなんちゃらみてぇな、最権を倒せるとんでもない代物か!? とにかく助かるってんなら何でもいい、宜しく頼む!」

「そろそろ起きて下さい。出番ですよ」

 古今がこんこんと葛籠を軽く小突いたとたん、葛籠の蓋が勢いよく外れ、びっくり箱さながらに黒い影が中から飛び出してきた。黒い影は空中でくるりと見事な宙返りを決めて地面に着地、背を向けた姿勢から鋭く体を捩じって一磨達の方へ振り返る。

 きっちり揃った前髪を揺らし、両手を真っ直ぐ伸ばした万歳の姿勢で現れたのは、古今の店にいたおかっぱの少女、彌鈴だった。

「こいつかよッ!」

 最後の望みが儚く消え去ってしまい、絶望した一磨が思いきり後方にのけぞる。

「ああっ、彌鈴ちゃんだ! 来てくれたんだね!」

 大喜びの宰に彌鈴はぎゅっと抱き付いて挨拶した後、露骨にがっかりした様子の一磨に走り寄るや、おもむろにその尻を蹴り始めた。

「痛てっ! 痛いって! おいっやめろ、すげぇ痛ぇ! やめろ! やめっ、やめっ……て下さい。怒ってるのか!? 悪かった、頼むからやめてくれ!」

「彌鈴も一磨さんと宰さんに会えて、大変喜んでいるみたいですね」

「この姿を見て、どうやったらその感想に行き付くんだ!? 俺の蹴られっぷりを見ろよ!」

 思わず悪態をついた一磨だったが、戸々舞に襲われた際、彌鈴に貰った御札のおかげで命拾いした事を思い出した。慌てて姿勢を正し、彌鈴に向かって真摯に頭を下げた。

「失礼な事言って悪かった……、彌鈴。お前のくれた御札凄かったよ。あの御札のおかげで俺は助かったんだ。本当、ありがとうな。この借りは必ず返すからよ」

 倒れた一磨を追撃しようと走り寄った彌鈴は、一磨の真面目な態度に驚いて固まり、頬を赤く染めて古今の背後へ逃げ込んでいく。

「御札が喜んで貰えて良かったですね、彌鈴。それでは一仕事して貰いますよ、我々と一緒に頑張りましょう」

 彌鈴は古今の着物にしがみ付いて顔をうずめたまま、もじもじと恥ずかしそうに頷いた。

「とにかく菊華さんにお会いして、この花が一体どのような品であるのか説明して頂き、現在の状況を伝えましょう。それが何よりの最優先事項です。一磨さん、届け先の地図はお持ちですか?」

 一磨が懐から地図を取り出すと、古今は慣れた仕草で彌鈴と周囲の地理を確認。それが済むと彌鈴は葛籠を開け、中から大きな飾り紐が四辺に付いた分厚い座布団を取り出して草むらの上に置いた。

「彌鈴特製、空飛ぶ式術座布団です。これで菊華さんの元へ参りましょう。西洋では絨毯や竹箒が空を飛ぶらしいのですが、大和の景色に似合うのは、やはり座布団ですよ。さぁ、乗って下さい。あ、脱いだ履物はこの袋へどうぞ」

 座布団は大振りな物とは言え四人が座れるほどの大きさは無く、押しくら饅頭のように四人詰め合って立ち乗りする事になった。たっぷり入った綿が災いして不安定極まりなく、一磨の平衡感覚では僅かな衝撃で縁から滑り落ちそうになる。

「小さすぎるっ! 四人乗るのはちょっと無理があるんじゃねえか!? 空飛ぶんだろ、この座布団。絶対落ちるに決まってるじゃねぇかよ!」

「大丈夫だよ、くっ付いてれば全然平気だって、一磨さっきから文句ばっかり言ってるよ!」

 どうしても一人で立つ事ができない一磨は、宰の肩に手を置かせて貰う事にした。 

「それでは彌鈴、安全運転で参りましょうか」

 古今の声掛けで、ふっと一つ息を吐いた彌鈴が真剣な表情で両手を天にかざすと、その小さな手が眩い光を放ち始めた。狭い座布団上で器用に体をかがめて中腰になり、手の光を座布団へ押し込めるように縁をぐっと握り締めると同時、座布団が淡い緑色の発光に包み込まれて浮かび上がり、そのまま猛烈な速度で急上昇を開始した。

「凄い! 凄い! あっという間に高い所に上がってきた!」

 興奮した宰は身を乗り出して辺りの景色を眺めようとしたが、その際、振った尻が一磨の脇腹を直撃、あっけなく一磨の体は座布団からぽんと放り出された。

「馬鹿やろおおぉぉぉぉ………、言ってるそばからじゃねぇかぁぁぁ……」

 遠ざかっていく叫び声と共に、一磨が見る見る地表へ落下していく。

 即座に直滑降へ移行した見事な彌鈴の座布団捌きのおかげで、地面へ激突する寸前、一磨は無事拾い上げられた。古今にしがみ付かせて貰いつつ、宰と激しく口喧嘩する一磨だったが、景色の一望できる高さにまで座布団が浮上した瞬間、大声を張り上げていた二人は同時に息を呑んだ。

「これは、これは……。地図の必要はなかったようですね」

 高い山々や深い森に囲まれた草原の真ん中に、異様な存在感を放つ純白の巨大な建造物が鎮座している。空飛ぶ座布団で真っ直ぐに近寄っていくと、それは要塞を思わせる堅固な造りをした余りにも巨大な磁器製の丸鉢だった。

 城壁のごとく聳え立つ縁には、筋雲の流れる大空と草木が覆い繁る大地、そして縦横無尽に飛び回る幾匹もの龍が、磁器による実物大の立体装飾で表現されており、まるで幻想の世界をそのまま純白に固めたような、異様なまでに手の掛けられた壮大な造形に丸鉢の周囲は覆い尽くされていた。

 鉢の上面は光で満たされているが如く、眩く輝き、内側は見る事ができない。

「ちょっと凄くないあの建物! 蛇みたいな大きい生き物が飛んでるよ、すごく綺麗! 白くてぴっかぴか!」

「これはちょっとやりすぎだろ……。もう磁器の域超えてるよな……。にしても、これが特設会場なのか? やたらと手の込んだでかい水瓶じゃねぇか、どこに菊華の連中が待ってるんだよ……」

「あの光は水では無く結界のようです。壁面に内部へと続く入り口が見えますね。彌鈴、あの発光している壁の前に降りてください」

 上空から丸鉢に向かって彌鈴の座布団が下降し、地面に降り立って丸鉢の縁を見上げると、頭上には覆い被さるように縁から迫り出す見事な磁器でできた大木の造形があり、その上にはとんでもない大きさをした磁器の龍が身を躍らせて宙を跋扈している。

 その迫力に宰も一磨も口をあんぐり開けたままぐるりと辺りを見回して感動の溜息をついた。

「これ菊華さん達が作ったんだよね……。綺麗で大きいし、何だか本物みたい……」

「しかもよ、こんなでかい物が、丸鉢の周り全部にあるんだろ……。菊華陶磁器ってのはやっぱり凄ぇ団体なんだな……」

「では参りましょうか」

 彌鈴が葛籠に座布団を納め終えるのを待って古今が言う。

「参るったってどこにだ? 壁が光ってるだけで入口なんてどこにもないぞ」

「この光こそが入口なのです。さぁ、急ぎましょう」

 事態を把握できていない一磨の背中を古今が押し、彌鈴が宰の手を引いて四人が光の中へと足を踏み入れると、強大な力が四人を包み込んで、強引に前へ前へと引っ張っていった。

「おおおっ、おい、これ身動き取れないぞ! 大丈夫なのかよ!」

「すごい、すごい、川に流されてるみたいだよ! 楽しいね、きゃっほぅ!」

 光の中を加速しつつ相当な距離を移動した後、四人は勢い良く光の世界から外へ放り投げ出された。

 そして次の瞬間、地鳴りかと思うほどの凄まじい大歓声が響き渡り、目の前に広がったのは、闘牛場の如く高い壁で円形に仕切られた果てしなく広大な空間だった。床も壁も全て飴色に美しく輝く木材で作られており、壁の後方には見渡す限り会場を取り囲むようにびっしりと、数千はあるであろう信じ難い数の御座敷が雛壇状に設置されていた。華やかな装飾の施された御座敷には、それぞれに沢山の料理や飲み物の並ぶ酒席が用意されて、そこに座っている綺羅びやかに着飾った凄まじい数の人々が酒や料理を片手に身を乗り出し、一磨達へ熱狂的な声援を送っているのだった。

「おい、おい、何だこの場所は! そして何だこいつらは! 俺達を出迎えてるのか!?」

「人がすごいいっぱいいるよ! みんな菊華の人? わーい、花持って来たよぉ!」

 一磨は会場にいる人の数に圧倒され、宰は声援へ向かって元気良く手を振っていたが、突如、会場の反対側から雄叫びのような野太い声が上がった。続けて木をへし折るような荒々しい音が会場に響く。

 何事だと慌てて一磨が正面を向くと、御座敷の一区画が抉り取られたように陥没しており、その部分がそっくりそまま、異様な速度でこちらに接近して来るのが見えた。

「待て、待て、待て! あんな馬鹿でかいもんが、ど偉い速度で近付いて来るぞ!」 

「あれっ! あのおっきなやつ、人が運んでるよ! 凄いね、あの人凄い力持ちだね!」

 抉り取られた巨大な御座敷の塊を、恐ろしく体格の良い男が憤怒の表情で肩の上へ担ぎ上げ、人が発しているとは思えぬ野太い雄叫びを上げながら走っている。

 大男は、白髪と白髭を顔から放射状に長く伸ばした、白い獅子もしくは白いひまわりの如き奇抜な外観をしており、異変に気付いた会場の人々が次第に歓声を止めて沈黙していったので、そのおかしな大男の雄叫びだけが会場にこだまし始めた。

「逃げろぉぉお! 最権が襲ってきたぞぉぉぉお!」

 菊華陶磁器の会場へ最権の追手がすでに侵入、待ち伏せを受けたと判断し、一磨は悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。しかし振り返った背後には高い壁があるばかりで、会場へ入って来た光の通路がどこにも見当たらない。一磨が恐怖の余りひぃひぃ言いながら出口を探しているうちに、御座敷を担いだ大男は目前まで迫ってきた。

 間近から見上げる御座敷の塊は、綺羅びやかに着飾った人々や様々な料理や飲み物の乗った卓が階段状にぎっしりと並び、実物大の雛飾りを思わせる豪華さがあったが、何より目を引いたのは御座敷を担ぎ上げている屈強な大男の姿。諸肌を脱いで露わになった上半身は鍛え抜かれ、浅黒い肌が筋肉で岩のように逞しく盛り上がっている。

 大男が御座敷の塊を放り投げるようにして乱暴に床へ落下させると、御座敷にいた人々は投げ出されないよう悲鳴を上げて畳や壁へ懸命にしがみ付いた。そして大男は意味不明な叫び声を上げながら猛然と宰へ近寄り、太い両腕で宰の体を左右から力任せに掴むや、高々と頭上へ掲げた。

「宰ぁぁああああ!」

 宰が大男に頭から齧られてしまうと思った一磨は恐怖も忘れ、宰を助けようと無我夢中で前に走り出した。

 しかし、

「ありがとうぉぉぉおおお!、良くぞっ! 良くぞ、やってくれたぁッ!」

 喜んでいるのか、怒っているのか良く分からない皴くちゃの顔で、大男は宰の体を掲げたままくるくる回り、五周ほど回った所で静かに宰を地面へ降ろした。そして今度は呆然と立ち尽くしている一磨の体を軽々と抱え上げ、猛烈に回し始める。

「うわぁ、何だ! 止めろ! 危ねぇって!」

 大男はひとしきり一磨を回した後、同じように彌鈴、古今と順番に回していった。

「なんなんだこいつは! 敵じゃねえのか!? 何を一人で大暴れしてんだよ!」

 状況が呑み込めず混乱している一磨達の元へ、床に放り投げられた座敷の塊から菊華の人々が次々と駆け寄ってきたが、

「初代! 少々落ち着いて下さいませ!」

 その中には茜色の見事な着物に身を包んだ、息を呑むほどに美しい菊華陶磁器五代目当主、菊華菫の姿もあった。

「いやいやいや、『果報が寝て待てるものか、このど阿呆』自身の名言をこの局面において実践なさるとは、流石は初代、粋ですなぁ!」

 そして豪快に笑いながら菫の横で激しく手を叩いているのは、整えた長い口髭をぴんと天に向けた老紳士、四代目当主の菊華嵐。

 周囲に集まってきた菊華陶磁器の面々は老若男女様々であったが、全員が菫や嵐に負けず劣らずの只ならぬ威厳と風格を持っており、交わしている会話から察するに、大男の運んできた御座敷にはどうやら菊華陶磁器の幹部達が集まっていたようだった。

「初代!? 初代だと……、敵かと思ったじゃねぇか! なんで身内の人間が会場ぶっ壊してこっちに突っ込んでくるんだよ!」

 敬語を忘れるほど気が動転している一磨に、大男が興奮冷めやらぬ口調で答えた。

「会場の奥で待つ段取りだったのだがな、待ち切れんかった! 儂だけ来るのも申し訳ないから私の近くにいた者達も一緒に連れてきたのだ! ちょっと荒っぽかったか?」

「ちょっとどころじゃねぇだろ! ていうか、あんた、初代って言う割には嵐さんより若いよな。どういう事だ?」

「中々嬉しい事を言ってくれるではないか。ではここで自己紹介をさせて頂こう。儂が菊華陶磁器初代当主、菊華陶磁器を創設した菊華誉である。こう見えて、儂は今年で齢百二十九才になる」

「ひゃく……!」

 その年齢を聞いて一磨は絶句した。近くでみると白髪と白髭にぐるりと覆われた大男の顔には、深い皺が刻み込まれているものの、どう見ても五十代より上には見えず、その屈強な体格から溢れ出す生気は老人という言葉からあまりにも遠く感じられた。

「誉さんはおじいちゃんなのに、すごく元気だね! 長生きしてて偉いよ!」

 宰が馴れ馴れしく誉の背中をぺしぺし叩くと、

「御嬢さんのように可愛らしい女性にそう言われると照れてしまうな。百年以上生き続けている甲斐があるという物だ」

 誉も笑いながら宰の背中を叩き返していたが、急に険しい表情になって声を上げた。

「もののふの者達よ、花はどこにあるのかね! 花を我々に見せてくれ! 菊華陶磁器百年の思いが込められた、菊華陶磁器の夢! 菊華陶磁器の希望! 菊華陶磁器の成果を!」

「ご安心下さい。こちらに御座います」

 古今が風呂敷に包まれた花を恭しく差し出すと、誉は分厚い手を限界まで広げてその包みを慎重に受け取り、風呂敷を解いた。

「よくぞ……。よくぞ無事に運んできてくた……、待っていたぞ!」

 眩い輝きを放つ花の姿を見て感動の声を上げた後、誉は天へ突き上げるような仕草で花を頭上高く掲げ、広大な会場の隅々にまで響き渡る大声で叫んだ。

「菊華工房全ての同志達よ、今ここに陶磁器界の至宝、菊華陶器式術花が到着した!」

 観客席を埋め尽くしている全ての人々がその声に反応し、文字通り、会場が揺れるほどの大歓声が響き渡った。誉は花を掲げているのとは反対の腕で一磨達四人を力強く抱き寄せると、激しい頬擦りで心から感謝の意を示す。

「ありがとうもののふの方々、本当にありがとう! 人より少しだけ長生きしてきたが、これ程の感動は初めてだ!」

 感極まった誉の顔は原型を留めていないほどに萎み、その目からは大粒の涙が溢れている。菫や嵐、周囲の幹部達も互いに肩を抱き合ったり、力強く拳を握ったりと、思い思い各々感情を爆発させて号泣していた。

「その花についてのご説明を我々にして頂けますでしょうか?」

 古今の言葉に誉は力強く頷き、涙を腕で拭った後、静かに語り始めた。

「優れた作品に対し『魂の込められた』という言葉を用いる事がある。しかし、それは概念的な表現でしかない。私は陶磁器への愛を以って究極にまで己が技巧を洗練した先に、本当の意味で魂の込もった作品を現世へ誕生させる事ができると考えた。命の尊さや素晴らしさを形状や色彩を用いた比喩表現でなく、磁器に宿りし命そのものの存在を以って直接、表現できると考えた。人々は不可能だと即断し、私の考えを嘲笑った。今思えば当然の事だ、絶対に成し遂げると誓った私でさえ、数えきれぬ失敗の中で希望と若さを失い、その行為が馬鹿げた事なのではないかと己を疑った時が幾度もあったのだからな」

 胸に手を当て悲痛な表情を浮かべる誉の姿に、いつしか一磨達を始め会場にいる全ての人々が真剣な眼差しを誉に向けていた。

「しかし、その度に私は己を奮い立たせ孤独に戦い続けた。月日は去り、季節が幾度変わり行くとも諦める事なく夢を追い続けていたある日、ふと私は気付いたのだ。苦闘であったはずの日々がいつの間にやら、希望に満ち溢れた温かな物へ変わっていた事にな」

 誉は顔を上げると上体を大きく反らし、会場全体をぐるりと見回した。

「私は一人では無くなっていた。私の夢に賛同して共に歩んでくれる、これほどまでに多くの素晴らしき仲間達に巡り逢う事ができたのだ。そして私の夢は菊華陶磁器の夢へと姿を変え、我々は如何なる困難をも乗り越えて進み続けた。そして五代目当主に菫を迎えた菊華陶磁器創設百年という記念すべきこの年。ついに我々は菊華陶磁器の宿望、生命の美を体現する究極の陶磁器『菊華陶器式術花』を完成するに至ったのだ。花は菊華植樹鉢の儀によってこの地、丸鉢型特設会場へと植栽されて成長を続ける。生命の美を直接体現するその姿は世界中の人々に感動を与え、夢を追い求める行為の素晴らしさを説くだろう。そして大願を成就した我ら菊華陶磁器はこの儀式を以って解散、二十名の窯頭を当主に個々の新たな工房を立ち上げ、世に船出する事となる!」

 誉は筋肉隆々の逞しい体を限界まで小さく丸めた後、弾けるように全身を大きく開いて会場中に凄まじい大声を響き渡らせた。

「それでは始めよう! 只今より菊華陶磁器終幕祝典、菊華陶器花御披露目の儀をここに開催!」

 その声と同時に広大な円形の空間を囲っていた何百枚もの高い壁が一斉に跳ね上がり、壁の裏側より無数の通路が出現、客席の一角に控えていた楽団が陽気な演奏を響かせる中、通路から目が痛くなるほど派手な着物に身を包んだ大勢の人々が列をなして踊りながら出てきた。まるで色を付けた水が丸鉢の底へ流れ込むように、活気溢れるど派手な踊り手達の列が広大な円の中央へ集結していく。

 一方、誉が担いできた座敷の残骸はすでに十人ほどの屈強な男達によって手際よく解体、撤去が済んでおり、一仕事終えた表情で誉も幹部達と共に観客席へ移動しようとしていた。

 一磨達も客席への案内を受けたが、工房で見た御披露目の儀を一層盛大にした式典がすでに始められている事を知り、誉に向かって大声で叫ぶ。

「ちょっと、待て待てって! 踊ってる場合じゃねぇんだって! 今、その花は大変な事になってるんだぞ! 儀式を止めろ! とんでもない奴がここにやって来る!」

「そうだよ! 黒ぴちがここに来るの! 花が盗られちゃうかもしれないの! やっつける準備したほうがいいよ。お祭りは今やっちゃ駄目! 後でやりな!」

 誉は困惑の表情を浮かべたものの、余りにも必死になって中止を訴える二人の只ならぬ様子を感じ取り、両手を振りながら会場中に野太い声を響かせた。

「大披露目の儀、一旦中止だ! 全員、開始合図待機状態へと戻ってくれ! そうだ、今すぐに戻ってくれ! 申し訳ない! 問題が発生した!」

 演奏が止んで、丸盆の底で踊っていた人々が出てきた時と全く逆の手順で通路へ戻り終えると蓋をするように壁が一斉に閉じた。そして広大な丸盆の底が何事も無かったかのようにしんと静まり返る。

「どうしたと言うのだもののふ達。君達だから許すけれども、始まった公演を止めると言うのは少々無粋が過ぎるぞ。しかしまぁ、その気持ちは分かる。座席の事だろう? 安心するがいい、席ならちゃんと用意してある。勿論、最前列にだ!」

「席なんてどうでもいいっ! この花は最権っていうとんでもない奴に狙われてるんだ。あんたもその名前聞いた事あるんじゃねえのか!? この花が持つ常世の生命、その力を使って冥界の王を呼び出してよ、大和どころか、世界を無茶苦茶にしようと企んでるんだ! 俺達はこの花のおかげで、あんたらの工房出た後から何度も危険な目に遭わされてる!」

「黒ぴちはね、すごく強いんだよ、おっぱいはおっきいし、石像は動くし、召使いみたいな人もいてね、菊華さん達の大切な花を奪い取りに来ちゃうんだよ!」

 二人の説明は早口かつ大雑把なだったが、緊急事態である事は伝わったらしく、誉は眉間に皺を寄せて何事かを考え始めた。

「菊華陶磁器を旗揚げして以来、過剰とも言える程、厳重に花の情報は秘匿してきた。にも拘らず花の存在を知る者……、となれば、そのような悪事を遂行する力を持っていても不思議ではないが……」

「世界を破滅させるなんて、信じられないかもしれないが、俺はこの目で見たんだ。あれはもう普通の相手じゃないぞ。すぐに何か対策を取った方がいい」

 急かす一磨を前にして、未だ熟考を続ける誉がふと空を見上げた。そして感心したように、ほうほうと呟き、幾度も小さく頷く。

「本心を言えば、外部の者が花の存在を知っているという事を、俄かに信じるのは難しかった。しかし、百聞は一見にしかずという言葉、あれは実に的を射ているな。どうやら君達の言っている事は真実らしい、事態は急を要するようだ」

 誉の視線の先で、いつの間にやら墨を混ぜ込んだような黒く分厚い雲が会場の上空を覆い尽くし、蠢きながら不気味に流動している。異変に気付いた人々のざわめきが会場を包み込んだ直後、途轍もなく巨大な長方形の物体が黒雲の中よりぬうと姿を現した。

 黒雲に特大の筆で一文字を書き付けた如く、会場上空に真っ黒な極太の直線が何かの冗談のように、唐突に浮かんでいる。

「なんだよありぁ! 棒か? 何で棒が空に浮かんでるんだよ!」

「羊羹だ! あれ胡麻羊羹だよね! おっきくない? 食べきれないよ!」

 一磨と宰は大声を上げ、会場もどよめいていたが、降下を続けていた黒い直線、その上部が雲の中より露出し始めた。

 直線の上に繋がっていた物、それは尋常でない大きさを持った観音開きの扉だった。その巨大さと漆黒の色合い故、ただでさえ異様な雰囲気を扉は醸し出していたが、扉には苦悶を浮かべた人間の姿や翼を持った異形の生物など全面に怪しげな装飾が施されており、これから起こる出来事の不穏さを物語っているようだった。

 僅かずつ扉は降下し、雲の中よりその姿を露わにしていく。

「おい、あの馬鹿でかい扉は……。ひょっとして……」

 怯えながら尋ねた一磨に古今が嬉しそうな表情で頷く。

「ええ、勿論最権さんでしょう。空に浮かんでいるのは門と呼ばれる式術を用いた物品移動手段なのですが、人が通れる大きさの物でも相当に貴重な品。いやいや、我々とは住む世界が違いますね。あれほどまでに巨大な物でしたら、如何なる力をも運ぶ事ができるでしょう。どうやら最権さんは、本気の御様子」

「来たな! 黒ぴち!」

 宰は気合十分、早くも竹輪を黄金に輝かせてぶんぶん振り回し始めた。

「あれが最権だよ! 見ろよ、おかしいだろ、あのでかくて恐ろしげな扉! 説明いらないよな、露骨に悪そうだろ!」

 空に出現した扉を指差しながら、一磨が誉に向かって大声を上げる。

「確かにこれは危機以外の何物でもないな。しかし安心して欲しい。この大御披露目の儀は菊華式術盆栽の儀も兼ねている。儀式が終わって花が根付けば、会場の力と相まって絶対の防御を為す事ができる。如何なる悪徒が襲って来ようとも、この花に手出しはできん。早速、菊華陶磁器終幕祝典、菊華大御披露目の儀、開催してもよろしいか?」

「いいけどよ……。最権達はすぐそこまで来てるんだ。すぐに終わるんだよな」

 緊張した面持ちで空を眺めながら質問する一磨に誉は答えた。

「問題はそこだ。儀式には若干の時間が掛かってしまう。大御披露目の儀は三日間を予定しているのだが、間に合うだろうか。少々不安ではあるな……」

「間に合わねぇよ! 三日って長すぎるだろ! 少々どころの不安じゃねぇ! すぐそこに来てるのに、どうして間に合うと思ったんだよ!」

「やはり駄目か……。今回の御披露目の儀は菊華陶磁器、最初にして最後の大舞台なのでな、八十年ぶりに私が企画と演出を担当させて貰ったのだ。なんとか中止は避けたかったのだが……、無念……」

「あんな物が出現してるのに、三日間何も起こらなかったら、逆に不安になるぞ!」

「しかし、さすがは我らの至宝菊華磁器式術花だ。私が用意した御披露目の儀では満足できず、自らで最高の御披露目の儀を用意するとは。確かに、菊華陶磁器有終の美を飾るに相応しい、さしずめ、大々御披露目の儀と言った所ではあるな!」

 誉は一磨の毒舌も空に浮かぶ恐ろしげな門も全く気にしていない様子で、笑い声すら上げ始めた。

「さっきから余裕だけどよ、何か対策があるって事でいいんだよな」

「悪の手から花と菊華陶磁器、ひいては世界を守る為、命を懸けてもののふ達が戦う。これこそ、菊華陶器式術花が自ら用意した大々御披露目の犠であったのだ」

 誉はそう言うと、宰の前に跪き、熱意ある表情で顔を上げた。

「御嬢さん、私は武術に疎い者であるが、貴方の持つ力と腰に下げているその武器が如何に素晴らしい物であるかは十分に理解できる。どうか我々菊華陶磁器と、菊華磁器式術花を守る為に戦って頂けないだろうか?」

「もちろんだよ! 私が黒ピチをやっつけてあげるよ!」

 誉の申し出に宰が快く即答すると同時、

「言い訳ねえだろ、馬鹿野郎!」

 一磨の拳骨が脳天を直撃、宰は悲鳴を上げた。

「痛いっ! ちょっと何するの?」

「安請け合いとはこの事だ! 相手はあのおっかねえ最権の軍団だぞ! なんで俺達が戦かわなきゃいけねえんだ! おい、あんたあんた達、凄い力持ってるんだろ。これだけの人数が揃ってるんだから、全員で戦えば何とかなるだろうが!」

 逆上した一磨は誉の威厳に怯む事なく、腕を掴んでその大きな体を力一杯揺すった。

「我々は陶磁器作りに特化した人間だ、こと戦い関しては君達のような専門家には敵わん。それに君達が戦う理由ならばある。依頼書の最後の項目を見てみるがいい」

「なに? 依頼書だと!?」

 一磨が懐から依頼書を取り出し、慌てて依頼項目の一番下の欄を目で追った。そこには『最終日、荷物受け渡しの後における、諸々の雑用手伝い』との記載。

「雑用の域超えてるだろぉぉッ!」

 一磨は声が裏返るほど激昂して叫び、依頼書を地面に叩き付けた。

「何で最権と戦う事が雑用で一括りになってんだよ! 雑用で命賭けられるわけねぇだろうが! あんた菊華陶磁器の創始者なんだろ、責任取って、花を作り上げた執念使って最権も倒せよ!」

 いきり立った一磨の様子見て、誉はその大きな背中を丸めるやゴホゴホと咳き込み、

「百三十歳近くの老人に、若者が無茶な事をさせようとする……」

 急に弱々しく呟いた。

「そんな老人感の全く無い、ごつい体で言ってもまるで説得力が無いんだよ! あんた俺より確実に強そうじゃねぇか!」

 身を屈めた誉に詰め寄ろうとする一磨だったが、

「痛ぇッ!」

 背中に電気が走ったような痛みを感じて仰け反り、悲鳴を上げて転がった。背中に手をやると、そこに張られていたのはお仕置きの御札。

「ほらっ! 一磨悪い顔してたからお仕置きの御札張り付けたよ! 文句ばっかり言ってるともう一枚張り付けるよ! ビリビリさせるよ!」 

 お仕置きの御札を手に持って叫ぶ宰に向かい、一磨が怒鳴ろうと立ち上がった瞬間、

「確かに……。一磨さんの言い分は分かります」

 古今が頷きながら二人の間へ割り込むように近寄ってきた。

「ええっ! 古今もこの仕事やりたくないって言うの? だって黒ピチはもうすぐそこに来てて、菊華さん達は困ってるんだよ、私達しか菊華さんを助けられないんだよ、もののふは人を助ける事が仕事なんでしょ」

 一磨だけでなく古今までもが協力に否定的な事を言い出したので、宰は泣きそうな顔になって声を上げた。

「仕事だからこそです。菊華さんの花も値の付けられない大変に貴重な品ですが、この戦いには世界の命運が掛かっています。絶対に負ける訳にはいきません。あの最権さんと戦う事になれば報酬は元より、経費に莫大な額が掛かるのは必至。一磨さんの報酬は十万円とお聞きしましたが、これは少額過ぎるかと……」

「その報酬額はもののふ処の言い値だ。この素晴らしき記念の儀式に十万円などとは片腹痛い。もちろん追加の報酬は払わせてもらう。一流の仕事には一流の対価を。それが菊華の流儀だからな」

 誉が咳込むのを止めて体を起こし、その言葉を言った途端、古今は懐から取り出したそろばんをぱちぱち弾いて、誉の前に突き出した。

「ふふん。舐めて貰っては困る。菊華陶磁器有終の美を飾る式典だ。その祝い事に掛かる費用、出し惜しみなどしない。最権と戦って勝利、大御披露目の儀を完了してくれるのならば、菊華陶磁器はこの額をお支払いしよう」

 誉が太い指を前に伸ばして算盤の玉を弾くと、盤面に表示されていたのは古今が示した物より二桁多い値だった。古今は手を震わせながら彌鈴を脇に呼び寄せ、彌鈴と共にその値を食い入るように見つめ続けた。顔を見合わせた二人が力強く頷いて顔を上げる。

「やりましょう! お金ではありません。誉さんの心意気に感動致しました!」

 そこには今までに見た事も無い、目を爛々と輝かせた古今と彌鈴の表情があった。 

「金じゃねえか! 完全に金じゃねえかよ!」

 一磨の叫び声など気にもせず、古今と彌鈴は忠誠心に満ちた決意ある眼差しで誉を見つめ続けている。

「一磨! 一磨はもののふなんでしょ! ここで菊華さん達の為に戦わなかったら、もののふ失格だよ。一磨がもののふじゃなくなったら、何が残るの? 毎日ごろごろしてるだけの甲斐性無しでしょ、生きる価値ないよ!」

「あるよ! 馬鹿野郎、さらりと酷い事言ってんじゃねえ!」

 言い争いを始めた一磨と宰の傍に古今が歩み寄った。

「確かに、高額な報酬を頂いて嬉しい事は否めません。しかし、何の因果か分かりませんが、我々が世界の滅亡を止める最後の砦となってしまった事は事実。我々が最権さんと戦わなければ、世界は滅亡へと向かいます。今逃げ出した所で危機が我々だけの物か、世界中の人々の物になるかの違いだけです。後者の事態になった場合には手の打ちようがありません。それに……」

 古今はふっと小さく笑って、穏やかな口調で一磨に告げた。

「私は、一磨さんとはまだ短いお付き合いですが、一磨さんがこの状況下で皆さんの期待を裏切るような方で無い事を知っていますよ」

 古今に促されて一磨が会場を見回すと、広大な会場の御座敷部分を埋め尽くす、前後左右、一万人超はいるであろう菊華陶磁器の人々全員が祈るような眼差しで一磨を見つめている事に気付き、凄まじい数の無言の思いが自分に向けられている事を知った。

 ふと横を見れば、口をへの字に結んで今にも泣き出しそうな顔の宰、優しく微笑む古今、何を考えているのかは分からないがじっとこちらを見つめている彌鈴の姿があった。

「俺達が何とかするしかねぇんだな……」

 そう呟いて諦めたように首を振って立ち上がり、落ち着いた心持ちで会場を見回すと、会場に居る菊華陶磁器の人々の思いが自分の中に流れ込んで来るような気がした。

「分かったよ……畜生……」

 一磨が自分の中にまだ残っている弱い心を打ち消すように、大きな声を上げた。

「やるからにはよ、絶対勝とうぜ! あの女やっつけてよ、菊華陶磁器も花も世界も、何もかも救ってやろうじゃねえかよ!」

 その言葉を聞いた途端、宰の顔がぱっと明るくなり、

「偉いよ一磨! 菊花陶磁器のみんな聞いて! 私達が悪い奴やっつけてあげるから、安心してね!」

 静まり返っていた会場が、一瞬にして希望に満ちた大歓声で包み込まれた。

「それでは菊華陶磁器の皆さんは、どうなさいますか?」

 古今の問いに誉が力強く答えた。

「君達の戦いは、花の御披露目の儀を兼ねていると言ったはずだ。我々菊華陶磁器がこの戦いを見守らんでどうする。この特設会場上部の結界を解除し、それを客席に張れば滅多な事で客席が破壊される事は無いだろう。思う存分戦ってくれ」

 誉を含む幹部達が御座敷部から降ろされた縄梯子を登って客席に入ると、ややあって、壁から淡い光の膜が発生、会場の内側を隅々まで覆い尽くしていく。光の膜には実体があり、手で触れると金属の鉄板に触れるような硬くひんやりした触感がある。

 会場内が完全に光の膜で覆われた様子を見て、

「おい! 俺もこの結界の中に入れてくれよ! そしたら俺は安全じゃねえか!」

 一磨は光の壁に走り寄り、どんどんと両手で叩き始めた。

「ちょっと一磨、まだそんな事言ってるの? 一磨も一緒に黒ピチと戦うんだよ!」

「そうですよ、一磨さん。一磨さんは、我々の頭なのですから、どんと構えて頂かないと困ります」

 未練がましく光の壁にへばりついてなんとか中に入ろうとしている一磨の背中に、宰と古今の呆れ果てた視線が突き刺さる。

「でもよ、俺がこっち側に居る意味あるか? 俺が何かの役に立つのか!?」

 振り返った一磨に二人は少し考え込むような仕草をした後、

「まぁ……無いけど……」

「まぁ……無いですけれども……」

 同時に答えた。

「無いんじゃねえかよ!」

 空に浮かぶ巨大な扉は一体どれほどの大きさが在るのか、先程より大分露出面積は増加していたが、上部はまだ雲の中に隠れている。その全貌を見せぬまま、とうとう扉はゆっくりと開き始めた。

 扉の奥から見える空間には濃い闇が広がっており、その闇を千切り取った如き、何やら大きな黒い影が扉から飛び出してきた。宙を跳ねるように上空から舞い降りてきた黒い影が会場の真ん中に着地する。

 金色に輝く目と見上げるほどの巨大な体躯、それは一磨が宮殿で見た巨大な黒豹だった。

「猫だ! 猫が出てきたよ! 黒猫だ! おっきいね」

「良く見ろよ! 猫じゃねぇだろ、あんなでかい猫居るか? いや……、あんなでかい豹も居ねぇけどよ!」

 黒豹はじっと一磨達を睨み付けたまま、動かずにじっとしている。

「ああ、もう来ちまった。仕方ねえっ! みんな、ちょっと来い!」

 一磨が黒豹の視線に怯えながらも、宰、古今、彌鈴を呼び寄せるや、それぞれの右手を前に出させ、重ね合せたその上に自分の手を置いた。

「こうなったら、俺たちは一蓮托生だ。いいな!」

 一磨が全員の目を見て力強く叫ぶ。

「気が付きゃこんな事になっちまったけどよ、何とかして絶対に全員無事で帰るぞ! そんで、美味い物を皆で一緒に食いに行こう! いいな!」

「うん、大丈夫だよ! 私達はもののふなんだからね! 菊華さん助けて、世界も救っちゃおう! そしたらきっと一人前って事だよね!」

 宰が笑いながら大声で元気よく答えた。そして古今が微笑みながら頷き、彌鈴もこくりと力強く頷く。

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