第4話 超名門だよ菊華陶磁器

 参道の屋台で買った焼いかを齧りつつ、次の依頼現場である陶器工房へ向かう為、草原をのんびり歩く一磨と宰。

「なかなかうまいな。こりゃ買ってよかった」

「耳の所が一番美味しいよね。私の焼きいかの好きな場所の順番はね、耳、足の根っこ、足、胴体って感じかな」

「おおっ、俺も同じだぞ。耳って一番歯ごたえがいいよな。量が少ないって所も乙だよ」

 二人が焼きいかの感想を言い合っていると、ずっと続いてきた草原が林へと変わる手前、なだらかな丘の麓に、何やら変わった形の白い建物が幾つも密集して立っているのが見えた。

「あそこに白くてピカピカした建物がいっぱいあるけど、あれがそうかな?」

 宰がおでこに手をくっつけて庇を作り、眩しそうに目を細める。

「この辺りには他に何も無いもんな。工房って言うから小屋みてえな所で細々とやってるのかと思ったら、とんでもなく広い施設だぞありゃ」

 好奇心を抑え切れず二人が小走りで近寄っていくと、どの建物も屋根などの出っ張った部分がほとんど無く、表面は磁器のようにつるつると滑らかで真っ白、扉や窓は壁へ綺麗に埋め込まれていて、上下半分に割った卵の殻をかぽっと伏せて置いたような一風変わった外観をしていた。

 施設の周囲は壁面と曲線状に伸びる蔦を模した緑色の高い柵に囲われ、敷地の中に入る事はできない。

「不思議な見た目の建物だね。全部ころんとしちゃって、何だか美味しそう」

「あぁ、杏仁豆腐みてぇだ……。そんで周りの柵は葉っぱの形をしてるのか……。三時のおやつみたいな見た目のくせに、なんだかやけに高級感が漂ってるよな」

「あれはなんて書いてあるの?」

 宰が指差した門柱には、仰々しい文字が深く刻み込まれていた。

「菊華陶磁器って書いてあるな……。そうか、菊華焼の工房か! そりゃぁ、高級感あるわけだ。報酬が二十万ってのも頷けるな」

「菊華焼って何焼くの? 甘い系? しょっぱい系? 私、今度は甘い物が食べたい気分なんだけど。まる焼みたいなもんかな? ちょっと待ってよ、まさか……食べ放題ある!?」

「ねぇよ! おまえは食う事ばっかりだな……。陶磁器の茶碗とか皿は土を焼いて作るから、焼き物って言う。菊華焼は人気があるのに生産数がやたら少ないから、どれもこれもとんでも無い値段が付くらしい。貴重品過ぎて実物を見る機会なんてまず無いけどよ、菊華焼きの皿や茶碗が金や宝石を超える値段で売買されるってのは有名な話だ」

「それって遠まわしに、いくつかこっそり持って帰って、古今に売れって事でいいね?」

「良くねぇよ! 盗っ人じゃねえか! 本当、お前はもののふって言うよりも、もののふに退治される側の人間だよな……。物騒なんだよ言う事が……」

「じゃあ、持って帰らない代わりに、この釦押す係はやってもいい?」

「呼び鈴か。それなら押していいぞ」

 門に設置された呼び鈴の釦へ宰が鋭く人差し指を突き立てると、頭上からカアァァンと軽快に鐘の音が鳴り響いた。

「うほぅっ! すっごい気持ちいいよこれ!」

 興奮した宰は呼び鈴を猛烈に連打、カアァァンカアァァンカアァァンと鐘の音が幾度も響き渡って、静かだった工房はとたんに騒々しくなった。

「火事じゃねえんだから、一回でいいっ!」

 しばらくすると一番近くの建物から真っ白な作務衣を着た女性が二人現れ、門に向かって近寄って来た。宰の所業で開口一番叱られるかと思ったが、穏やかな表情の二人は一磨と宰に丁寧な応対を以って接してくれた。

「もののふの方々ですね。お待ちしておりました。間もなく御披露目の儀が始まる所ですので、すぐに会場へ御案内いたします。どうぞこちらへ」

「おひ……? お披露目?」

 言葉の意味が良く分からなかったものの、女性達に案内されるまま一磨と宰は門をくぐったが、敷地内に入ったとたんに宰が大きな声を上げる。

「ああっ! 地面も白いよ! 全部白っ白だね! ほらっ触ってみてよ、道も建物もつるっつる!」

 壁面に遮られて外から見えなかった地面は、建物と同じ真っ白な素材で覆われており、雪景色のようにどこもかしこも真っ白。植木の緑と建物の各所に施されている金彩が、白い輝きを一層際立たせている。

「おおう……。急に高級感が倍増してよ、菊華陶磁器でございます、って感じになっちまったな……。土足で入って大丈夫かこれ……」

 工房全部が一つの芸術作品といっても過言でない、圧倒的な気品に一磨は呑まれ、思わず固まってしまった。しかし、白い素材が何なのか確かめようと、舗装された地面を竹輪でごんごん突き始めた宰を見て我に返り、すばやくその頭にげんこつを落とす。

 案内の女性達の後を歩き、二人はお上りさんのようにあちこち眺めながら「へぇ、ほぅ」と感動し続けていたが、辺りが何やら静か過ぎる事に気付いた。これだけ大きな建物が並んでいるにも拘らず、人っ子一人居ない事を不思議に思い始めた時、突然周囲が開けて、とんでもない大きさの建造物が二人の前に出現した。

「ちょっと何これ! 一磨、お饅頭だよ! でっかいお饅頭!」

「嘘だろ……。こんな馬鹿でかい物、外からは全然見えなかったぞ、式術で隠してたのか?」

 宰が叫んだ通り、巨大な饅頭を地面にどんと置いたような、余りにも大きな白い半球状の建物がそこにあった。

 二人が口をあんぐり開けて首を直角に曲げ、巨大饅頭を真下から見上げる。

 天へ向かって弧を描く白いつるりとした壁がずっと先まで続いており、正面には半円に大きく刳り抜かれた入口がある。そこから内部の様子が見えたが、作務衣を着た大勢の人々が何やら忙しそうに動き回っていた。

 建物内に入ってみれば、つるりとした外観とは全く趣が異なり、年代物の洋館内部を思わせる、天井の高い全てが飴色に輝く見事な大広間。その中央には真紅の絨毯の敷かれた、一磨の住んでいる長屋ほども幅のある途轍もない大階段があり、建物に真っ赤な丘陵がめり込んでしまっているかのような、異様な存在感を放って上へどこまでも続いている。

 案内の女性に階段を登るよう言われたとたん、宰は大はしゃぎでその巨大な階段を一気に駆け上がっていった。

 一磨も息を切らして宰の後を追い、必死に階段を登っていく。

 やっとの思いで最上部に辿り着き、ぜえぜえ荒く息を吐きながら手摺に掴まって眼下を眺めると、そこには目がくらむほど高低差のある擂鉢状の広大な空間が広がっていた。見渡す限り、なだらかな傾斜をつけて膨大な数の座席が設置されており、その全てが華やかに着飾った大勢の人々によって埋め尽くされている。

「うわぁぁ……、すごく広い場所だね! そんで人がいっぱいいるよ! お洒落な人達ばっかり! この人達何してるの?」

「分からん……。物凄い人数だよな……。皆、何かが始まるのを待ってるみたいだが……」

 最下部に幕の下りた舞台が見えたので、この場所は相当に大規模な劇場であると二人は推測、そばにあった空席へ腰掛けて、とりあえず成り行きを見守る事にした。

「今から何が始まるの?」

「御披露目の儀とかなんとか言ってたから、文字通りあの舞台で何かを御披露目するんじゃないのかな」

「すとりっぷってやつだね!」

「何を御披露目してんだよッ!」

 一磨と宰が下らない話をしていると幕が上がり、それを切っ掛けに広大な会場から一切の音が消えた。耳が痛くなるほどの静寂と緊張感に会場が覆われていく。

 舞台上は薄暗く、三味線、太鼓、尺八、横笛、鳴子、他にも見た事の無い楽器を持った奏者が立ち並び、舞台前方には台座に乗った沢山の美しい磁器が等間隔で飾られている。

 舞台に明かりがぽんと灯ると同時、奏者達は一斉に各々の楽器を鳴らし始めた。

「菊華陶磁器三代目当主、菊華菫入場!」

 会場の上部より声が響き、舞台袖から孔雀のごとき極彩色の着物を身に纏った菊華陶磁器の女当主、菊華菫が現れた。

 菫は、遠く離れた場所からもその凛々しさがはっきり分かるほどの端麗な顔立ちで、力強い眼差しを真っ直ぐ自分の前方に向けたまま、会場を覆い尽くしている観客に全く臆する事無く堂々と舞台上を進んでいく。

「若くて、すっごい綺麗な女の人出てきた! これは期待できるね一磨、鼻血出しちゃ駄目だよ!」

「だから脱がないって、さっきから言ってるだろ! ぽろりする雰囲気じゃねぇ!」

 舞台中央まで進んだ菫は、体を捻って観客席に背中を向けた。一体何が始まるのかと一磨と宰が固唾を呑んで見守っていた次の瞬間、菫は鋭い動きで振り返り、突然猛烈な勢いで歌い始めた。

 そのとたん、観客達は怒涛のような歓声を上げて総立ち、演奏は鼓膜を突き破るかと思うほどの大音量となって轟き、会場は一瞬にして異常な熱気の渦に包み込まれた。

「ど、どうしたってんだ! なんだ、いきなり!?」


 トゥー ホット!!

 千度の窯より熱いのは 

 菊華の陶磁器への 熱い思い (あっそれ!)

 あなたと私が 練るこの土に 

 混ぜる物って 何だか知ってる? (石英? 長石? 粘土質?)

 ノン ノン ノン ノン

 でもそうね それも正解 正解だけれど 

 やっぱり入れるは 熱い思い (やっほい!) 

         

「やっほいじゃねえだろ……」

 突如始まった菫の髪を振り乱しての激しい踊りと歌、そして会場にいる全ての観客が一丸となって入れる合いの手の迫力と歌詞の馬鹿馬鹿しさに一磨は茫然となった。

 すでに宰は会場の雰囲気に馴染んで、他の観客達と一緒に菫へ声援を送り始めている。

「なにこれ一磨! 歌と踊りが始まったよ! 楽しいけどさ、これってどういう事なの!?」

「いや……、ちょっと……。俺には分からない……」

 絶句する一磨に構う事なく曲は進んで、会場の盛り上がりは最高潮、すると曲調が変って、菫の歌が穏やかでしっとりした物に変化した。


 シャイン and シャイン!

 輝く磁肌 ちょっと見てみりゃこりゃ小宇宙 (なんて壮大) 

 躍起に 感激 磁器 (素敵) 

 思いの前だと 言葉ってのは 

 乾燥してない素地だもの (あら、うまい)

 貴方と私の出会えた奇跡に ありがとう!


 そこで歌は終了したが菫は突然、 

「磁器のみんな、焼き上がってくれてありがとうォッ! 本当に愛してるぅぅぅッ!」

 と力の限り絶叫、そしていつの間にか手に持っていたすりこぎ棒のような物を、磁器に向かって容赦なく振り下ろした。

 盛大な音と共に磁器が粉々に砕け、無残な破片となって舞台上へ飛び散る。

「なんで愛してるのに、ぶっ壊すんだよッ!」

 驚いた一磨が客席から叫び声を上げる中、菫は流れるような動きで舞台上に飾られた皿や花瓶や壺といった見事な磁器を、手当たり次第に破壊し始めた。

 すりこぎ棒を振り翳し、鬼気迫る雰囲気で舞台を縦横無尽に駆け回る菫だったが、残された磁器が数える程に減った所で突如上体を千切れるほど捻り、両手を真っ直ぐに伸ばした渾身の決め姿勢を取った。すると、見事その仕草と同時に演奏が止み、割れんばかりの拍手と歓声が会場から一斉に巻き起こる。

「何これ……」

 茫然とする一磨をよそに会場は感動に包まれ、幕が静かに下りていく。

 最初から最後まで全く意味が分からなかったものの、どうやらこれで終演らしいとほっと一息つく一磨だったが、

「ブラヴァー! ブラヴァー! ブラボォオオオオゥ!」

 今度は手をバシバシ強く叩き合わせる音と、異常な大声がすぐ後ろの席から響いてきた。

「一磨、一磨! 後ろに変な人がいる! すごい、見た方がいいよ。記念になるよ!」

 宰は椅子の背凭れに貼り付き、目を輝かせて荒ぶる何者かの姿を躊躇なく見つめている。

「知ってるよ……。俺は恐ろしくて背後が見れねえんだよ……」

 しかし見ない訳にもいかないので、一磨ができるだけ自然な動作で首を捩じると、長く伸ばした白い口髭を見事なほど天に向かってピンと立たせ、高級感溢れる洋装に身を包んだ初老男性の姿があった。

 紳士という言葉がよく似合う大変お洒落な出で立ちだったが、顔が真っ赤になるほど過剰に興奮しているので、危険度が高い事は否めない。

「次から次へと、気の抜けない場所だな……ここは……」

 あまり関わり合いにならない方が吉と考え、一磨は音を立てないよう静かに退席しようとしたが、

「いやあ。素晴らしい舞台だったね。万真一磨君!」

 あろう事か姓名を呼ばれてしまい、ぎくりと固まって恐る恐る振り返った。

「なぜ、俺の名を……」

「なぜ? なぜ……か……。理由や原因の探求など過去へと向かう愚かな行為、全てを受け入れ、あえて無策で未来へ突き進むに姿こそ美しい。……が、これは礼儀の問題だな。答えねばならないだろう。よろしい。なぜ私が君の名を知っているのか……」

 男は一旦後ろを向くと、両手を全力でぶんぶん回しながら無駄に激しい動きで振り返り、広大な会場全ての人に聞こえるほどの馬鹿でかい大声を轟かせた。

「この私こそが、何を隠そう菊華陶磁器二代目当主、菊華嵐だからだろうねェエエッ!」

 通路は会場から出ようとする人々でひしめき合っていたので、三人ほど嵐の振り回した腕にぶつかり、階段を悲鳴と共に転がっていった。

 そんな悲鳴を気にも留めず、どうだと言わんばかりの顔で一磨の事を凝視している嵐、そして嵐の自己紹介を見て大爆笑する宰。

「あの……、言いたい事は幾つかあるんですけど、とりあえず外に出ませんか……? ここ通路なんで……」

 嵐を刺激しないよう一磨が恐る恐る提案すると

「確かに……。場所と言うものは、時に何よりも重要な要素となる。この素晴らしい名言、誰の言葉か知っているかね? 私だよ……」

 得意げな顔をして余計な事を言いつつも嵐は素直に従った。そして階段を降りて会場の外に出ると同時、過剰な身振りと共に再び自己紹介の体勢に入る。

「この私こそが二代目菊華……」

「もういいです! さっき聞きました!」

「おおいっ、何だい!? たった一回で満足なのかい……? いや、遠慮する事はないのだよ。人は欲望に対して常に貪欲であるべきなのだ。私の野趣溢れる自己紹介が見たくなった時は言ってくれ。君にならば、私のもっと濃密で個人的な自己紹介をする事も厭わないんだがね……」

 そう言って嵐が怪しげな微笑みを浮かべたので、逃げるように立ち去ろうとする一磨だったが、急に嵐は真剣な顔に表情を変え、一磨の目を真っ直ぐに見つめ始めた。

「君達が作品を運んでくれるもののふだそうだな」

 真顔になった嵐の表情には、先ほどまでの珍妙な振る舞いからは想像もつかない、当主足る貫録が滲み出している。嵐は一磨を凝視した後、唐突に宰の方へ体の向きを変え、両手を頭上から真っ直ぐ振り下ろして宰を指差した。

「こちらが春乃女宰さん。で、間違いないね?」

「うん、そうだよ。おじさんの髭は何だか尖ってて、いい感じだね」

 嵐は無言のまましばらく宰の事を見つめていたが、突然腹の底から笑い始めた。

「ふふふふっははははははははっ!」

「どうしたんだ!? 笑う所は一つも無いぞ!」

 驚く一磨をよそに、嵐は満足気に何度も頷いている。

「なるほど、そういう事か……。良く分かった! 道という物は己が信念により必ず最後には大志へ辿り着く為の経路となる。初志貫徹、天は全てを知り、必ずや行動に見合った褒美を遣わす。君達を見て確信を得たよ、一磨君、宰さん。頼んだよ。楽しみに待っているからね。そういう事だよ。ふはははははははっ!」

「そういう事って、どういう事だよ!?」

 一磨の言葉を掻き消すほどに大声で笑いながら、その名に相応しい豪快な足取りで嵐は去っていってしまった。

「行っちゃった……。また会えるといいな。すごく楽しいおじさんだったね」

「ああ……。言ってる事、一つも意味分からなかったけどな……」

 嵐と分かれた後、先程の女性達の案内で一磨と宰が通された応接室は、あらゆる家具に金彩が施されて眩く輝く、どこぞの宮廷の一室かと思う程に豪華絢爛だった。一磨は部屋の高級感に圧倒、菊華陶磁器が下っ端のもののふである自分とは本来関わる事の無い、別世界の依頼主である事をはっきりと思い知らされた。

 しかし、部屋に入った当初こそ一磨も宰も緊張していたものの、洋椅子の座り心地が余りに心地良く、結構な時間待たされた事もあり、柔らかな洋椅子へ茶巾寿司よろしく体を深く沈み込ませ、いつの間にか二人はすっかり寛いでいた。

「お待たせして申し訳ありません」

 菫が応接室へ姿を現したとたん、菫の只ならぬ美貌と風格で室内の雰囲気が一変、完全に気を抜いていた二人は発条仕掛けのように素早く立ち上がる。

「本日、依頼を受けさせて頂く事になりました。万真一磨です」

「今、ふかふかの椅子で寝そうになってました。春乃女宰です」

 一磨と宰のぎこちない挨拶を受け、菫は厳かに二人の前へ立つと、

「私は菊華陶磁器三代目当主、菊華菫と申します。本日は何卒宜しくお願い致します」

 深々と頭を下げて、小脇に抱えていた風呂敷を卓の上にそっと置いた。

「いえいえいえいえいえいえ」

 二人は恐縮しながら菫より更に深々と頭を下げ、海老のように腰を全力で折り曲げた。

 体が沈み込まないよう、洋椅子の縁に背筋を伸ばして腰掛けた一磨が、ずっと気になっていた事を恐る恐る切り出す。

「あの……先程、舞台で陶磁器を割っていたのは、どのような意味があるんですか?」

「御覧頂いた儀式は、御披露目の儀と申します。菊華の陶磁器、最近は主に磁器ばかりを扱っておりますが、それらは私を含め菊華全ての者が携わり、全身全霊を込めて生み出した品、己の命と等価値と言って過言ではありません。しかし、芸術とは常に至高を目指す行為。完成した際その高みに達する事が出来ぬ品も生まれます。そういった作品は破棄しなければなりません。そこで執り行うのが、御披露目の儀です。すべての作品に晴れ舞台を用意する事でその存在に敬意を表し、演奏や歌、それを見守る工房の者達と共に景気を付けて、一気に割っていくのです。作品を破棄するというのはそう言った後押しがなければとてもできない、辛く悲しい作業ですからね……」

「は……い……」

 あそこまで大掛かりにやる必要はあるのだろうか、と一磨は思ったが、曖昧に返事をしておいた。

「私などまだまだ未熟者です。先代の御披露目の儀の盛り上がりには遠く及びません」

「先代と言うのは、嵐さんですか?」

 一磨の脳裏にピンと天に向かって起立する嵐の口髭と、豪快な笑い声が思い浮かぶ。

「先代をご存知でしたか。先代の舞台は客席に磁器が投げ込まれて、歓声が会場のあちこちから大いに上がるのです」

 それは悲鳴じゃないんですかね……、という言葉を一磨が必死に喉元で止める。

「嵐さんの舞台は凄そうですね」

「ええ。御披露目の儀が終る頃には服など一切身に付けて居らず、完全に裸です」

「…………」

 今度こそ突っ込む所だと思ったが、菫の瞳は真剣そのもので、誇らしげに輝いてすらいる。一磨は早い所仕事の話へ入る事にした。横では宰が裸という言葉に反応して、やたら嬉しそうな顔をしている。

「我々が運ぶのはこの荷物ですか?」

 一磨が指差した卓上の風呂敷包みを、菫は慎重に中央へと寄せた。

「そうです。この作品を明後日の日没までに無事、天万雅之平原にある特設会場に運び、我々に渡して頂きたいのです。特設会場ではこの作品の為だけに、御披露目の儀が執り行われる予定になっています。私共の指定した道を通り、菊華の者が待機している宿に宿泊して下さい。それぞれの宿に日没までに到着出来なかった場合、何事かがあったと見なし、箱に込められた式術によって風呂敷包みは爆発します」

「爆発!? なぜッ!?」

 一磨は驚きの余り、洋椅子から盛大にずり落ちた。

「至高の作品であれば我々と縁によって固く結ばれているはず。残念な事ではありますがその縁が薄く、望まれぬ持ち主の元へと渡るような事態になってしまうのであれば、その作品は至高ではなかったという事。存在自体を滅するというのが菊華の考えです」

「俺の命も滅してしまいますけど……」

 弱々しく呟いた一磨の目の前で、菫が風呂敷包みをはらりと解く。紐で縛られた箱の表面には式術を込める際に用いる、式文と呼ばれる文字がびっしりと書き込まれており、爆発するとの話を聞いた後なのでその筆書きがえらく不吉な物に見えた。

「紐をほどいてみて下さい」

 菫に言われ、一磨は蝶々結びで箱を縛っている紐を引っ張ってみたが、全くほどく事ができない。きつく締められているからではなく、ほどく事はおろか紐の端を持ち上げる事すら出来なかった。

「箱は開かず、どんな衝撃を与えても中の作品が割れぬよう強い式術をかけてあります。説明させて頂いた通り、陶磁器は我らにとって命と同じ程大切な品です。報酬は二十万円、違約金は十万円ですが、決して金銭に換える事は出来ません。お二人は、もののふの中でも大変に優秀な方であると伺っております。私共は天万雅之平原の特設会場でお二人をお待ちしておりますので、必ずこの品を届けて頂きますよう、お願い申し上げます」

 命を懸けて運べと暗に言われ、一磨は依頼内容の重さに眩暈がした。

 菫は深々と頭を下げると再び箱を風呂敷で包み、地図を取り出して広げた。地図は詳細で、二つの宿場を通って最終目的地の特設会場まで行く道のりが一本の赤い線で記されている。迷う事の方が難しいほどに、分かれ道で進むべき方向への目印などが非常に細かく書き込まれていた。

「この日付の入った場所が宿泊して頂く宿です。何事も起こらなければ日没には十分間合う距離に設定してありますので、御安心下さい。地図は複数用意して御座います。なにか質問は御座いますか?」

 木端微塵になってはたまらないと思い、一磨が即座に質問をする。

「爆発する条件は他にあるのでしょうか?」

「いえ。日没までに茶碗を持ってその日の目的地に到着する、と言う事のみです。三度、爆発する条件が発生致しますので、なにとぞ気を付けて運んでください」

「いつも陶磁器の輸送はこのようにして、もののふに依頼しているのですか?」

「作品の大半は菊華の者が運んでおりますが、価値のある品に関してはもののふ処に依頼する事がございます」

 その他、幾つかの質問を一磨が終えたのを見計って、今度は宰が元気良く手を挙げた。

「はい!」

「どうぞ、何でしょうか?」

 振り向いた菫に、宰は大きな声で質問を投げ掛けた。

「好きな果物は何ですか?」

「…………」 

 余りの唐突な質問に絶句する菫だったが、少し考えた後、困惑気味に返答した。

「……梨、ですかね……」

「分かりました」

 宰が満足げな顔で大きく頷くと、その後は誰も喋らず室内は静寂に包まれた。妙な雰囲気になってしまったので、一磨が何か言わなければと焦っていると、

「菫様、誉様がお呼びです」

 扉を叩く音と共に部屋の外から声が掛かった。菫は地図と茶碗の包みを一磨達の方に寄せ、

「申し訳ございません、少々お待ちください」

 そう言って一磨と宰の二人だけを残し、部屋から出て行った。

「お前は、何馬鹿な質問をしてんだよ!」

「だって、菫さんあんなに美人だからさ、普段どんな果物食べてるのか気になったの」

「なんで果物限定なんだよ……」

 一磨は気を取り直して目の前の風呂敷包みをまじまじと見つめた。今まで大した仕事の回って来なかった一磨にとって、この依頼は初めてのもののふらしい重大な仕事となる。絶対に失敗出来ないと気合を入れていた横で、宰がおもむろに風呂敷包みをほどき始めた。

「おいおい! 何やってんだよ! 開けちゃ駄目だろ!」

「この紐が式術でほどけないの?」

 そう言って宰が風呂敷の下から現れた紐を引っ張ると、先ほどは全く動かなかったはずの蝶々結びがするりとあっけなくほどけてしまった。

「あれ? ほどけたよ」

「なんでだ? 俺の時は駄目だったのに」

 さらに宰が何のためらいも無く箱の蓋を開ける。

「ちょっと待て!」

 一磨が声を掛けた時、すでに宰は箱の中へ両手を突っ込んでいた。箱の上部に入っていた緩衝材らしき布を脇に置いて、慎重に中身を持ち上げる。

「うわぁ……、綺麗……」

「これは……。茶碗じゃねぇ……。花だよな……。一体どういう事だ……?」

 箱から出てきたのは茶碗では無く、陶磁器で作られた神々しいまでに美しい、球のように丸い一輪の菊だった。

 触れただけで割れそうなほど薄く、滑らかな白い素地の光沢を放つ小さな花びらが、無数に身を寄せ合って球状の塊を作り出している。花びらの一枚一枚に驚愕の細密さで金彩が施されており、一点の曇りも無い白磁器が高貴な金色を纏い、茎と葉の深い緑色の輝きを受けて、菊の花の輪郭は幻影のように揺らめいていた。

 二人を驚かせたのはその美しさばかりでなく、眺めていると、磁器で作られた置物であるにもかかわらず、菊に生命が宿っているのを直感的に感じられる事だった。

 この陶磁器は生きている。

 一瞬で菊の姿に心を奪われてしまった一磨と宰は、箱に戻す事も忘れてその姿に見惚れ続けていたが、突如、菊が微細に揺れカチカチと小さな音を立て始めた。

 宰の手が震えているのかと思ったが、どうやら菊自体が震えているらしい。

「おい!? どうした?」

 不安げな一磨の声を遮って、今度は金属的な高い音が聞こえて来た。

「何!? ちょっと何!? 何か音鳴ってない!?」

 宰が菊を手に持ったまま慌てて辺りを見回してみると、腰に下げた竹輪が薄く光りを放っている。

「おいおいおい! 何だかピカピカしてんぞ、お前の竹輪! 待て、とりあえず落ち着け、その花を箱の中に戻せ! ゆっくりだぞ! いいか、しんっ、慎重にな!」

 竹輪の発する光は鋭く、菊の揺れは狂ったように激しい物となっていた。先程から鳴っていた金属音も今や悲鳴のように絶望的で巨大な音となって響き渡り、宰は怯えながら菊を箱の中に戻そうとした。

 しかし、

 ――カシャン――

 乾いた物悲しい音が響き渡ると同時、菊は一瞬で粉々に砕け散り、微細な破片へと変わり果てて箱の中に落下した。

「げぇっ………!?」

 喉の奥から声を絞り出し、一磨と宰はその姿勢のまま固まった。驚きのあまり頭の中は真っ白、箱の底に溜まった磁器の破片をぽかんと見つめ続ける。

 先程までの騒々しさが嘘のようにしんと静まり返っている応接室。

 そんな中、廊下から足音と数人の話し声が僅かに聞こえてきた。その気配を感じ取った宰は本能でとっさに体を動かし、傍らに置いてあった布を箱の上から突っ込んで蓋を閉めると、紐で縛り、風呂敷で箱を包み直し、神技の如き速さと正確さで何事も無かったかのように風呂敷包みを元の姿に戻した。

「お待たせいたしました。それでは荷物をお持ちになって下さい」

 部屋に戻ってきた菫には間一髪見つからずに済んだものの、未だ茫然自失の二人は手と足を真っ直ぐに伸ばしたまま、操り人形のような動きで果てしなくぎこちない。変な汗が滝のように流れて出て止まらず、二人共着物はびしょ濡れだった。

 菊が壊れてしまった事を打ち明ける勇気は二人になく、何も言い出せないまま工房の入り口まで来てしまった。菫が数人のお付きと共に深々と頭を下げ、最後の挨拶をする。

「それでは明後日、天万雅之平原の特設会場にてお待ちしております。何卒、宜しくお願い致します」

「え……ええ。まかせてください」

 一磨は固い表情のまま無理やり笑って挨拶すると、目を大きく見開いたままの宰を引っ張り、大急ぎで工房を後にした。

 怪しまれないように走らず早歩きで立ち去った二人は、工房から大分離れた場所にある草原へ転がり込んで、堰を切ったように大騒ぎを始めた。

「おいっ! これどうすりゃいいんだよ!」

「なんで!? なんで割れたの? 私じゃないよ! 私何にもしてないよ!」

「この花、完全にとんでもない高級品って感じだったぞ!」

「どうしよう! 花がっ、すごく高そうな花がっ、粉々になっちゃったよぉおおお!」

 かつてない緊急事態に直面してどうして良いか分からず、宰は辺りをふらついた後、ぱたんと草の上へ倒れ込んでしまった。

 一方、失敗は日常茶飯事、こんな時こそ慌てても仕方無い事を知っている一磨は地面に座り込み、この局面をなんとか乗り越える事はできないものか、無い頭を使って全力で考え始めた。

 草むらに顔を埋めた宰が「ぴぃぃぃい」と遠くで響く鳥の鳴き声を聞き、鳥は良いな、こんなにびっくりする事無いんだろうな、それにしても草はひんやりしてて気持ちいい、嫌な事を全部忘れてずっとこうしていたい、などと現実逃避していると、

「そうか! 八百万だ!」

 一磨が突然立ち上がって、大きな声を出した。

「なに、なに? なんて言ったの?」

 大急ぎで宰は一磨の元へ走り寄る。

「いいか、宰。良く聞くんだぞ」

 一磨が思いのほか真面目な顔をしていたので、宰はごくりと唾を飲み込み、生まれて初めてちゃんと人の話を聞く事にした。

「この壊れた花は俺が運ぶ。箱を今日の目的地に運ばないと爆発しちまうからな。お前は古今の所に今すぐ戻って、花を元に戻せる八百万があるかどうか聞いてくれ。八百万が無かったとしても、古今ならきっと式術で何とかしてくれるだろう。お前地図は読めるな。今日、明日の待ち合わせ場所は宿泊予定の宿で、最終日は天万雅之平原の特設会場前だ。そこで俺はお前の事を待ってる。頑張れば一日で歩ける距離だ、明後日の朝御麩浜乃町を出発して特設会場に向かったとしても、ぎりぎり日没には間に合うと思う。お前は一人で大変だ、俺も一人で途轍もなく不安だ。しかし、これ以外に方法は無い」

 一磨は宰の目を真っ直ぐに見つめて頷き、さらに続けた。

「頼む。何とか花を戻す八百万を手に入れてくれ。お前にしかできない事だ」

 その言葉を聞いた宰の心に今まで感じた事の無い、熱い思いが駆け巡った。

「分かった!」

 宰は力強く返答すると、口を真一文字につぐみ、地面を踏みしめて立ち上がった。

「私、古今から八百万貰って来る! 絶対貰って来る! だから一磨、待っててね!」

 凛々しい顔付きで一磨に親指を突き立てて見せた宰は、くるりと体を翻すや否や、とんでもない速度で走りだした。

「頼んだぞ!」

 あっという間に遠ざかって行った宰の背中に、一磨がありったけの思いを込めて叫ぶ。

 鳥が空の高い所を飛びながら「ぴぃぃぃい」鳴いていた。

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