第3話 此処が古今の髪飾り屋
客の楽しそうな話し声と笑い声、注文を頼む呼び声と熱々の料理を運ぶ威勢の良い店員の返事が入り乱れ、まだお昼前にもかかわらず飯屋の店内はほぼ満席の大盛況。
一磨と宰が座っている円卓の上には、特上寿司に牛鍋に焼き魚、芋の煮っ転がし、茶碗蒸し、漬け物盛り合わせ、特盛の白飯などなど、もう置き場が無いほどに沢山の料理が並べられていた。
「何でも御馳走してやるとは言ったけどよ……、お前は、遠慮とか気づかいとか、そういう物が全く無いのな……」
新品の着物がただのボロ布に変わり果ててしまったので、ほぼ全裸だった一磨は飯屋に来る前に着物を一揃え購入、そのせいですっかり軽くなった財布の中身にとどめを刺すであろう大量の料理を前に、一磨は完全に怯んでしまった。
「でも……まぁな。今日はもののふ初仕事の日だ、それに昨日はお前の誕生日だっていうじゃねえか! まぁいい! 気にせずに食え! どんどん食え!」
「ふぁん! ふぁふぇふよ! ふゃひゅふぃ、ふぉふぃふぃふふぉん!」
「食べながら喋るなよ! 何言ってんのか全然分からねぇ! そしてお前、寿司をおかずにして白飯を食うってのはどうなんだ? 米で米を食うってのはよ……」
宰が口の中の物を強引に飲み込んで答えた。
「なんで? お寿司ってすっごく御飯に合うんだよ。一磨もやってみなよ」
「そんなに美味しそうな顔されたら、返す言葉がねぇよ……。それにしても、その竹輪は一体何なんだ? 鳥が出てきて大爆発って、危険過ぎるにもほどがあるだろ。お前も八百万持ってたんじゃねえか」
一磨が芋を口にぽんと放り込みながら、箸で竹輪を指し示す。
「そういえば家を出る時、最初のうち二、三回爆発するのはまぁ仕方ないっておばばが言ってたの。何の事が分からなかったけど、金の鳥が出てきて爆発するって事だったんだね」
「仕方なくねぇよ! 爆発する事分かってて町にお前を送り込んできたのか? とんでもねぇ婆さんだな……。今後、何があっても絶対に竹輪を鞘から抜くなよ、大事故になる。そして事故の第一犠牲者が俺ってのは、確定だからな!」
「うん。分かった。竹輪は竹輪のままにしとく。一磨がいなくなったらすごく困るもん」
宰は真剣な顔で頷きながら焼き魚に頭から齧り付いた。
「ところでお前、もう住む所は見つけたのか?」
「まだだよ。木の上で寝るってのは決めたけど、どの木にするかはまだ決めてない」
「鳥かお前は……。やっぱりまだ見つけてないんだな。そこで次の仕事だけどよ、お前の持っている免状さえあればおそらく、もののふ処にあるほとんどの依頼を受ける事が出来る。俺みたいな駆け出しには回って来ないが、上級もののふには宿付き飯付きの、何日間か掛けて行う仕事ってのがある。拘束時間が長いから報酬はかなり良いだろうし、金の無い俺と、金も家も無いお前にはぴったりの仕事だろ。仕事の内容は難しくなるけど、また毬藻ちゃんと戦うような恐ろしい仕事だったら、断ればいいんだからな」
「えっ、お仕事なのに宿を用意してくれんの? すごいね、もののふ万歳、太っ腹!」
「上級の仕事をやるとなったら、確実にお前の剣術が頼りになってくる。たらふく食って力を付けといてくれよ」
「食べる! この店の料理どれもこれもすんごい美味しいからね!」
宰は醤油に浸した河童巻きを白飯の上へ豪快に突き刺すと、大きな声で店員を呼んだ。
「すいませーん! この胡麻羊羹っていうのください!」
「まだ食うのかよ!」
呆れる一磨をよそに、宰は口いっぱいにご飯を詰め込みながら嬉しそうな顔で笑った。
食事を終えてお腹をぱんぱんに膨らませた二人は、依頼完了の報告をする為にもののふ処へとやって来た。
もののふ処の屋根の上には樹齢二千年はあるという見事な一枚板に「もののふ」と書かれた巨大看板が掲げられており、正面入り口の両脇には幾本もの太い柱が立ち並んでいる。神殿を思わせる堅固で角張った外観は、どんな依頼にも応じてくれそうな頼もしさがある。
もののふ用の入口は建物の裏。裏手に回った二人が引き戸を開けて中に入ると、飾り気が無くひたすら広い室内には刀や槍、鉈、斧といった物々しい武器を身に着けたもののふが大勢いて、仕事の受託や完了の報告を行っていた。
「この人達って、全員悪人?」
けっこうな大声でとんでもない事を言い放った宰の口を慌てて塞ぎ、一磨は周囲のもののふ達にへこへこ頭を下げながら受付台の隅へと移動、自分の担当である鈴木さんを呼び出した。
「おお! 一磨に宰ちゃん、お疲れさん。無事に終わったみたいだな。犬はどこだ?」
還暦を過ぎているとは思えない、腹の底から出した陽気な大声と共に、派手な洋服の襟を立てた担当受付の鈴木さんが姿を見せた。真っ黒に日焼けした顔に細く整えた白い口髭が、妙に良く似合っている。
「ちょっと鈴木さん! 犬、話と全然違かったぞ! 良く分かんないけど、とんでもない化け物だったぜ。なんとか倒して元の姿に戻したけど、自分でどっかに行っちまったから連れて来れなかったよ」
一磨の話は紛れもなく真実だったが、もののふ達が自分の仕事を大げさに評価する事は日常茶飯事なので、鈴木さんは取り合う事なく笑って答えた。
「大変だったな。口から火でも吹いたのか? 犬を逃がしちまったのは減点だが、今回は必須項目じゃない。雑用の連中を使ってすぐに見つけよう。まぁ、無事任務完了だな。お前は武術も式術もまるで駄目だからよ、雑用を卒業してどうなる事かと心配だったが最近調子いいじゃねぇか! じゃあいつも通りここに名前の記入をしてお終いだ」
抗議を軽く流されてしまい、一磨が不満気に首を傾げながら依頼完了の署名をしていると、
「じゃあ宰ちゃん、お次はどのような依頼を御希望されますかね?」
突然、鈴木さんがやたら丁寧な口調で宰の対応を始めたので茶々を入れた。
「どうしたじじい。急にお上品になっちゃって、気持ち悪いじゃねえか」
「うるせえ甲斐性無し。宰ちゃんはどんな高い報酬の依頼も受けられる上級もののふだ。俺達にしたら、お前みてえな者とは月とすっぽん、鼻かんだ紙とピン札、遥かにありがてぇ存在なんだよ」
「甲斐性無し……って、ひでぇ言い種だな……。こいつ免状持ってるのにもののふの事何も知らないからよ、俺としばらく一緒に仕事する事になったんだ。よろしく頼むよ」
「おおっ! そりゃ良かったな宰ちゃん。一磨は式術も武術も剣術もへぼい物だけど、人の良さだけは俺が保証してやるからな。早くこいつに仕事を教わって、ばんばん報酬を稼いじゃってくれよ」
「分かった。ばんばん稼いで成り上がる! 私、この世界でてっぺん取ってみせるからさ、まぁ見ててよ!」
冗談なのか本気なのか、自信満々で親指をぐいっと突き立てた宰の姿を見て、一磨は吹き出しながら鈴木さんに尋ねた。
「この未来の特級もののふ様は、今の所まだ家も金も無いから、泊まりの仕事何か無いか?」
「渡りに船ってのはこの事だな! 丁度この仕事を受けてくれる奴を探してたんだよ! 急な依頼で困ってたんだ、是非やってくれ!」
「やるかどうかってのは、仕事の内容次第だな。どんな事をやるんだ?」
身を乗り出した一磨を遮るように、鈴木さんが一枚の紙をぬっと突き出した。
「じゃあまず、これに二人の名前を書いてくれるか、手下登録書だ」
「手下ぁ?」
「免状を持った宰ちゃんの手下になればお前みたいな下っ端でも、宰ちゃんと同じくらいもののふ処にある情報を知る事が出来るようになるんだよ。例外はあるがな」
「そう言う事か……。理屈は分かるがよ……。こんな阿呆の手下か……」
一磨が眉間に皺を寄せて唸ると、その肩を宰がぽんぽんと軽く叩きながら言った。
「まあ、そう言う事だよ。手下の一磨君」
振り返れば宰が鼻の穴を全開にして満面の笑みを浮かべている。それはそれは憎たらしい顔だった。
「くっ……、こいつ……。腹立つな……。こんな屈辱はそうないぞ……」
嫌々手下登録書の空欄を埋めた一磨に、鈴木さんが早速仕事の説明を開始する。
「茶碗を三日間掛けて運ぶだけの簡単な仕事だ。報酬は二十万円」
受付台に登るほどの勢いで、一磨と宰は血相を変えて鈴木さんへ激しく詰め寄った。
「二十万!? えっ!? 二十万!? 本当かよ! 茶碗運ぶだけで二十万も貰えるのか!?」
「すごいね! 一生遊んで暮らせるね!」
「遊べねぇよ! お前は何して遊ぶつもりだよ!」
「なっ、手下になって良かっただろ。その代わりに運ぶのを失敗したら十万円の違約金が掛かる。依頼主が腕の立つもののふを希望しててな、条件が一級以上なんだよ。この依頼を受けられる階級の奴らは皆、使いっ走りなんてやりたくねえって即、断りやがった。宰ちゃんは免状を持ってるからな、未経験者とはいえこの依頼を紹介する事ができる」
「宰、この仕事受けていいか? 茶碗なんて風呂敷でぐるぐる巻きにして運べば、よっぽどの事がない限り割れる事なんてねえ」
「いいよ!! 二十万円貰っちゃおう!」
「鈴木さん。その仕事、俺達がやるぜ!」
一磨が威勢の良い声を上げると、鈴木さんはさっそく軽快な動きで書類を集め始めた。
「よっしゃ! じゃあな、今日の夕方までにこの地図に書いてある町外れの陶器工房に行ってくれ。高級陶磁器狙いの盗賊が出るから、身支度をしっかりして来いとの事だ。まだ時間は十分あるから万全の準備をして行けよ。これが依頼書で、先方にはうちからすぐに連絡しておくからな」
「盗賊って言ったら、相手は物の怪じゃなくて人間だろ、宰は免状持ってるだけあって強さは半端ないから大丈夫だ。あとよ、鈴木さん、町で八百万に詳しい奴知らないか? 宰の持ってる八百万を見て貰いたいんだけど」
「おう、これも一級以上のもののふだけに教える事のできる情報だからな、ぺらぺら他の奴に言っちゃならねえぞ。八百万とか式術の話なら神社前の髪飾り屋に行ってみな。うちも世話になってるが、そこの店主は相当な目利きでよ、俺の名前を出せば相談にのってくれる。裏の参道を真っ直ぐ行ったところだ」
「神社で札を買おうとしてた所だったから丁度いい。そこで宰、お前の竹輪がどんな八百万なのか調べて貰おうぜ!」
「分かった! 調べて貰おうぜ!」
宰は一磨の口調を真似しながら嬉しそうに竹輪を高く翳して、尻を左右に振った。
「それじゃ気を付けて行って来い二人共。お前達はまだ駆け出しなんだから無茶すんな。新人はとにかく無事に帰って来る事が最優先事項だ、頑張れ!」
「じゃあ鈴木さん、お土産買ってくるから待っててね!」
声援を送ってくれた鈴木さんに力強く手を振り、一磨と宰はもののふ処を後にした。
「御札ってさ、勝手に使ったら怒られるんでしょ、なのに神社で売ってもいいの?」
神社に向かう道すがら、御札をちびっこに貼ろうとして怒られた事を思い出し、宰が一磨に尋ねる。
「護身の為とか、もののふみたいに仕事で式術を使う分には何も問題ない。御札だけじゃなくて、あの金持ちの屋敷にあったような、泥棒を一瞬で消し去る式具一揃いとか、業物に式術を練り込んだ一騎当千の武器とか、とんでもない物も売ってる。売り場は別にあって一般町人は入る事すらできないけどな。でも実際、神社に集まる大半の人は参拝と、家内安全、商売繁盛、学業成就みたいな縁起物の御札や御守り目当ての人達だ。武器としての御札を買うのは俺達みたいな専門家ぐらいだな」
参道の両脇にはずらりと店が立ち並び、いか焼きの醤油が焦げる匂いやら、カステラの甘い匂い、土産物屋の呼び込みが響き渡って沢山の人々で大賑わい。目に入る物を片っ端からおねだりしたものの、ことごとく却下されて不貞腐れ気味の宰だったが、神社の境内へ続く石階段のすぐ手前、店頭へ様々な櫛やかんざしが綺麗に並べられた髪飾り屋を発見すると、
「わぉう! 櫛がいっぱいだよ一磨! 行こう、行こう!」
急に元気になって一磨の手を引き、店へ一直線に走り出していった。
障子戸を開けてぱっと広がったのは、店内の壁一面に張られた着物地の淡く可愛らしい色彩。飴玉を凝り固めたような半透明の大きな花瓶が店の中央にあって、そこに沢山の色鮮やかな花が活けられている。周囲にある全ての棚や机は花を模した形をしていて、花畑の中に櫛やかんざしが所狭しと並べられているような、乙女心溢れるお洒落で凝った内装の店だった。
「ちょっと、ちょっと! 何このお店、すごく可愛い! 髪飾りも櫛もこんなに沢山種類があって、雰囲気が良い! 雰囲気がすごく良いよ!」
「確かにやたら可愛いな。女の子なら喜ぶだろうな。こんな店が参道にあったのか……」
壁の着物地は緑を基調としており、櫛やかんざしだけでなく、ふさふさの尻尾をした栗鼠や背中に乗れそうなほど大きな小鹿の置物など、森の中の花畑を表現した様々な装飾に感心つつ、二人は店の奥へと進んでいたが、
「うおおぉぉぉぉう!」
可愛い店内に全く似合わない、野太い叫び声を上げて一磨は尻餅をついた。
なぜか棚と棚の細い隙間に少女が挟まっており、あわや接吻かと思うほどに鋭く顔を近づけて来たのだった。
「何で君はそんな所から……、急に顔を……?」
心臓をばくばく言わせて一磨は少女に尋ねたが、少女は棚と棚にぴったり挟まったままぴくりとも動かず無表情。宰よりも幼く、背も頭二つほど小さな少女は一磨の問いには答えずにしばらくの間無言で一磨の姿を見下ろしていたが、切れ長の目の上で綺麗に揃った前髪を揺らすと、
「ぷふふぅっ!」
一磨の事を盛大に鼻で笑って棚からするりと抜け出し、店の奥へ走り去っていった。
「はあっ!?」
馬鹿にされたと思った一磨は急いで立ち上がり、その後を追いかけたものの、店内のどこにも少女の姿は見当たらない。
「ちくしょう! あのちびっ子、どこに行きやがった……?」
忌々しく呟きながら店内をうろうろしていると、軽やかな音が店の奥から響いた。
「いらっしゃいませ」
声の聞こえた方へ振り向いてみれば、玉暖簾を右手で掻き分け、驚くほど美形の男が立っていた。柔らかな物腰で颯爽と店内に現れたその姿はすらりとした長身で、色白の綺麗な顔立ちに細い眼鏡がやたら良く似合っている。
余りの男前っぷりに思わず怯む一磨だったが、動揺を悟られないよう、落ち着いた口調で男に尋ねた。
「俺達もののふなんだけど、鈴木さんの紹介で八百万の鑑定をして貰いにきたんだ」
その言葉を聞くと男はちらりと宰へ目をやり、
「ようこそいらっしゃいました。それでは奥へご案内いたします。どうぞこちらへ」
二人に深々と頭を下げ、玉暖簾の奥に続く薄暗い通路へ案内してくれた。
細い通路の両脇には木箱と紙箱が天井まで高く積み上げられていたので、それらを倒さないよう、体を横にした蟹歩きで慎重にじりじり前へ進んで行く。二度ほど通路を曲がった後、前方に光が見え、四方を林に囲まれた結構な広さのある裏庭に出た。綺麗に刈り込まれた芝生が鮮やかな緑色に輝いている。
柔らかな木漏れ日の下、男は一磨と宰を長椅子に座らせてお茶を出すと、白い布で覆われた机を二人の前に運んできた。机の上には持つのに一苦労しそうなほど分厚く、縁を鉄で補強された一冊の本が置かれている。
慣れた手付きで絹手袋を嵌め、男が深々と頭を下げた。
「私の名前は古今と申します。今後ともよろしくお願い致します」
「俺は万真一磨、よろしくな。鑑定の前に一つ質問なんだが……」
一磨は古今に挨拶した後、自分のすぐ脇を指差した。
「あのよ……、俺の横に居るこいつは一体何者なんだ……」
そこには、先ほど棚に挟まっていた少女が腰掛けており、鼻先を一磨の頬へくっ付くほど近付けて、一磨の顔を過剰なまでにまじまじ凝視している。
「こちらは店番の彌鈴です。彌鈴が人に対して心を開くのは珍しい事ですよ。なかなかやり手ですね万真さん。彌鈴は万真さんの事が気に入ったみたいです」
余りにも近い彌鈴の顔に、一磨はどうしていいか分からず、
「お前、彌鈴っていうのか……。おれは一磨だ。あの……よろしく、な……。とりあえずちょっと離れてもらっていいかな、その距離だと俺の毛穴しか見えないだろう……」
動揺しながら自己紹介をすると、聞いているのかいないのか、彌鈴は瞬きもせずに一磨の事を見つめ続けていたが、突然すっと顔を離した。そして何事も無かったように前を向いて長椅子に座り直した。
一体何がしたかったのかは不明だが彌鈴が離れてほっとした一磨の横で、宰が竹輪を机の上に力強く置き、元気よく挨拶する。
「私は春乃女宰だよ、宰って呼んでいいよ、よろしくね! そんでね、これが竹輪!」
「鑑定して貰いたいのは、この八百万なんだ」
一磨の言葉に古今は神妙な顔つきで頷くと、分厚い本を真ん中から豪快に開いた。左手で頁を押さえ、右手には取っ手がやけに短い虫眼鏡のような物を携え、竹輪の上へ神妙な手付きで翳す。虫眼鏡を近付けたり遠ざけたりながら、ゆっくりそれを右から左へ動かし、古今による竹輪の鑑定が始まった。
なにやら緊迫した時間が過ぎていく。
やたらと時間が長く感じられる中、真剣な面持ちで鑑定の様子を見守る一磨と宰。
しばらくしてようやく古今が手の動きを止め、厳かに顔を上げた。二人はごくりと唾を呑み込んで、じっと古今の発言に耳を傾ける。
古今が微笑みながら口を開いた。
「これは八百万ではありませんね」
その言葉に一磨と宰は勢いよく椅子から滑り落ちた。
「何でだよ!」
「嘘でしょ!」
納得いかない二人は即座に立ち上がり、
「この刀、金の鳥が出てきて爆発するんだぞ! おかしいだろ! ただの刀の訳がない!」
「ええっ! 竹輪、八百万じゃないの!? やっぱ棒? ただの棒なの?」
大声を出して詰め寄ったが、それをなだめるように古今は説明を続けた。
「もちろん普通の品ではございません。これは八百万ではなく神憑と呼ばれる品です。神が憑くと書きまして、神憑。その名を迦楼羅刀」
「神憑……。神憑ってのは何なんだ? いかにもご大層な響きだけどよ…… 八百万とは違うのか……?」
「はい。八百万とは常世の力が宿りし物の事ですが、神憑とは常世の存在そのもの、つまり我々が神と呼んでいる存在と等しき、物品や現象の総称です」
「神だと……」
「秘めた力の絶対量だけで言えば、神憑の力は無限であり、八百万とは比較になりません。神憑と八百万、現象として異なる最大の点は、神憑が誰にでも扱う事のできる品ではなく、神憑自身がその使い手を選ぶ点にあります。神憑に選ばれし者は、世の理を変える程の力を得て、現世における神の力の代行者となるのです。その力が強大過ぎる故に様々な現世の因果を引き寄せ、大いなる運命の潮流へ誘われる事となってしまいますが……」
「良く言っている意味が分からないんだが、ちょっと待ってくれ。一つだけまず確認していいか……。竹輪が神憑って事はこの場合、神の力の代行者、その大それた役をするのは、つまり……?」
恐る恐る一磨が尋ねると、古今はすっと手を宰の方へ向けた。
一磨と古今に見つめられ、宰はてへっと舌を出し、頭を掻きながら恥ずかしそうに首をすくめて言った。
「どうも、代行者です」
「……竹輪を没収しろッ! 今すぐにだッ! 何でこんな阿呆が神に選ばれちまってんだよ! こいつにそんな力を与えたら、大変な事になるぞ! と言うか、もうすでに一度大変な事になってんだよ! 奪え! そしてそのふざけた武器をへし折れッ!」
「なんでよ! やめてよ一磨、竹輪を乱暴に握っちゃ駄目!」
竹輪を取り上げようとする一磨と、それを阻止しようとする宰。二人は互いをぐいぐい力任せに押し退け合った。
「一磨さん。ご安心ください。神憑は世界に数えるほどの極々希少な品ですが、遥か古よりその存在が確認されています。それほど強大な力が存在しているにも拘らず、未だ世界が破滅していない所をみると、神憑も色々と考えた上で使い手を選んでいるのでしょう。宰さんも神憑の使い手に相応しいからこそ、迦楼羅刀に選ばれたのです」
「んなわけねぇ! ちゃんと考えたのなら、絶対にこいつが選ばれることはないッ!」
「ちょっと古今! 一磨の事叱ってよ! 一磨が意地悪してくるよ!」
「大丈夫ですよ宰さん。神憑の使い手ではない一磨さんには、迦楼羅刀を持ち去る事ができません。試しに迦楼羅等を一磨さんへ渡してみて下さい。すぐに分かりますから」
「えっ……。ほんと……?」
宰は古今の顔と手にした竹輪を何度か交互に見た後、半信半疑で竹輪を一磨に手渡した。
一磨が竹輪を受け取ったその瞬間。
「んっ!? 重っ、重てえぇぇぇっ! 痛てっ痛ててて、指がもげるもげるもげる! もげちまうっ!」
竹輪が凄まじい重量となって一磨の手にのしかかり、竹輪と地面に挟まれた指先が紫色に変色し始めた。手足をばたつかせて悲鳴を上げる一磨の姿を見て、宰が慌てて一磨の手から竹輪を取り除く。
「ええっ!? なんで? 竹輪ぜんぜん重くないのに!」
「迦楼羅刀は使い手以外の者には持つ事すらできぬという文献があったのですが、やはり事実でしたよ。素晴らしい。さすが神憑、宰さん以外の者には全く心を開かないのですね」
「なら最初に言えよ! そういう事を俺で実証するのは止めてくれねぇかな! 指がもげちまうかと思っただろ!」
一磨は真っ赤になった指先をさすりながら声を荒げた。
「刀の形状は現世における、言わば仮の姿です。真の姿は金色の神鳥。その名を迦楼羅。光を司る正義の象徴であり、相対する全ての悪をその絶大な力で駆逐する唯一無二の強大な存在」
「そうなんだよ! 竹輪の鞘が抜けると、とんでもねえ鳥が出て来て大爆発するんだ。だから宰には絶対抜刀しないように言ってある」
「鑑定して分かったのですが、現世において強大な力を発生する事ができるのは、神鳥の姿時ですね。神鳥の姿にさえ移行しなければ制御は可能な模様です。よろしければ、迦楼羅刀が神鳥化する事を封じる八百万を作製いたしましょうか。制御する事で、神鳥の力を僅かではありますが引出し、刀の形状のまま宰さんの力を数倍増幅する事ができると思われます。いかがですか?」
「数倍の力!? やったぁ! 爆発もしないんでしょ!? その八百万欲しい、欲しい!」
「それさえあれば、何にも心配する事無いじゃねぇか! 是非作ってくれよ!」
大喜びで身を乗り出す二人だったが、一磨はすぐに、自分の財布には八百万を買うほどの余裕が無い事を思い出した。
「でもよ……。八百万ってのは値が張るんだろ。俺達は今のところ下っ端もののふだから、そんな高価な物を買えるほど手持ちがないんだ……」
申し訳なさそうに言う一磨に、古今が微笑みながら答える。
「いえ。お代は結構です。その代わりと言っては何ですが、私共の専属もののふになっては頂けないでしょうか? 世間で行われている専属契約の報酬よりも多くお支払する事を約束致しますし、依頼中、偶発的に入手した八百万等の貴重な品は相場価格で買い取らせて頂きます。その他、お二人のお気に召す様な、無理のない契約を交わしたいと考えているのですが……」
「ちょっと待ってくれ! 専属!? 専属って、無茶苦茶名のあるもののふが腕を買われて国とか大商人と契約するやつだろ? この武器は神憑かもしれねぇが宰は今日からもののふになったばかり、俺なんて下っ端の下っ端、俺よりしょっぱい奴探す方が難しい位の、駄目駄目もののふなんだぞ。俺達が特級もののふか何かだと勘違いしてないか? 今の所、俺達の経歴は犬の付喪神退治一匹、それだけだ。しかもその犬には逃げられちまってる!」
「先程も申し上げましたが、神憑は他の強大な力に干渉をもたらし、その力を引き寄せます。そういった常世の力が渦巻く場こそ、常世を研究する貴重な環境となるのです。そして何より私は常世の探求者の端くれとして、神憑に邂逅できたこの機を、逃すわけには参りません。神憑に秘められた力、現世もたらす影響、どうかその全てをこの目で見届けさせて下さい。お二人だけで不安という事であれば、私も同行して御守り致します。一磨さんはご自分の事を謙遜されてらっしゃいますが、一磨さんは神憑に選ばれし宰さんの相棒、それは神憑に選ばれた者と同義。もののふの経験の浅さなどは些細な事です。ご安心ください」
「えっ……。俺も選ばれちまってるの……? それって……、全然安心できる事じゃねぇんだけど……。むしろ不安しかねぇんだけど……」
「一磨さん、宰さん、もののふとして私の依頼、受けて頂けますでしょうか?」
真摯に頭を下げる古今を前に一磨と宰は顔を見合せて頷いた。
「俺達みたいな下っ端のもののふにしてみたら、夢みたいな話だ。こっちの方からよろしくお願いしますって感じだよ。その依頼受けさせてくれるか」
「みんなでお仕事した方が楽しいよ! 古今も一緒に頑張ろうね!」
「ありがとうございます」
条件を快諾した一磨と宰に、古今は心から嬉しそうな表情で顔を上げた。
「でもよ、今俺達は仕事中で、これから泊り掛けの仕事があるんだ。それを片付けなきゃいけないから、戻って来るのは三日後になるけど、詳しい話はその時で大丈夫か?」
「三日あれば八百万も完成致します。ご用意してお待ちしております」
ここで突然、宰が思い出したように大声を出した。
「そうだ! 一磨の八百万も値段いくらするのか、古今に聞いてみようよ!」
「もう要らねえって。八百万なんか持って無い方が鍛錬に集中できるって言っただろ」
「必要無いのでしたら是非買い取らせて下さい。どのような八百万ですか?」
「さっき使っちまったから、もう無いんだ。身代りの札と時の呼箱に、鬼の泪だったんだけどな」
「素晴らしいですね。それ程の品物でしたら、三千程で買い取らせて頂いたのですが」
「おいおい、三千円って事は無いだろ、良く知らないんだけど八百万って安くても一つ何万円ってするんだろ?」
笑いながら言う一磨に、古今は真剣な顔で答えた。
「いえ、三千と申しましたのは、三千万円の意ですが」
「へっ………」
値段を聞いた一磨と宰の動きがぴたりと止まった。
「一磨さんがおっしゃられた品々は、名が付くほどの八百万の中でも、さらに希少な物なのですから、その位の値段は付けさせて頂きます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。幾らだって? もう一回、もう一回言ってくれ……」
「三千万円です」
さらりと金額を言ってのけた古今に、一磨が血相を変えてにじり寄る。
「何でそんなに馬鹿高いんだよ! おかしいだろその値段は!」
「特に時の呼び箱は伝説級とも言える八百万ですので、二千万円を付けさせて頂きます。鬼の涙が三百万円、身代わりの札が五百万円と言ったところでしょうか。まとめ売りの感謝を込めまして、私ならば三千万円お出し致します。他に不要な八百万がございましたら是非買い取らせて頂きたいのですが……」
「無い、無い! 家に代々置いてあったやつを俺が貰っただけだから、もう八百万なんて持って無い! 知らないってのは恐ろしい事だな……。俺は高くても、一つ数十万ぐらいだと思ってた……。今まで数千万の物を懐に入れて、百円の掛け蕎麦食おうかどうか迷ったりしてたのかよ、阿呆だな……。でもまあ、もう無い物は無いからな」
鬼の泪を飲んだ事で一磨の八百万を失った後悔の念はすでに全て燃え尽きており、さらりとその事実を受け流す事ができたが、宰はふるふると小刻みに震え出した。
「しゃんじぇんまん……、しゃんじぇんまん…… まる焼き一粒ろくじゅうえん……」
あまりに度を超えた金額を聞いて、宰は少し壊れた。
「おい! どうした宰、何言ってんだ!? 宰がおかしくなった! 落ち着け、ほらっ、お茶を飲め! ゆっくりだぞ! ゆっくり飲め!」
一磨は震える宰の手に湯飲みを握らせ、手を添えてやりながら少しずつ宰の口にお茶を流し込んだ。
「いやぁ……、すげぇな……。あの八百万はそんなに貴重な物だったのか……。家宝とか言いながら、物置きの奥に突っ込んであったんだぞ……。適当な一族だよな……」
自分と同じ、お世辞にも凛々しいとはいえない顔をした万真家の面々を思い出し、一磨が遠い目をしていると、正気に戻った宰が大きな声を出した。
「ちょっと待ってよ! 三千万円って高すぎるよその値段! 私、一磨の八百万勝手に使っちゃったんだよ! それを弁償するって約束しちゃったんだけど!」
慌てふためく宰に向かい、古今が微笑みながら優しく答える。
「確かに高額ではありますが、宰さんは迦楼羅刀と縁を結びし神憑の使い手です。私の依頼でさらに貴重な八百万を手に入れる事ができれば、一磨さんへの弁償などあっと言う間に終わってしまいますよ」
「ほんとに? あっと言う間? そう!? だってさ、一磨聞いた? じゃあ別にいいか!」
宰は一人で納得し、一磨の肩を得意気にぽんぽん叩いた。何か納得いかない感のある一磨だったが、面倒だったので口には出さないでおいた。
「お二人はこれからどちらに行かれる予定なのですか?」
「町のはずれにある陶器工房に行ってくる。なんでも貴重な茶碗を運ぶんだとさ」
「茶碗ですか、大変面白そうなお話ですね。戻られましたら是非お話を聞かせください。もし、何か常世の品を手に入れる事が御座いましたら、是非鑑定は私にお任せ下さいね。八百万が必要な時もおっしゃって下さい。髪飾り同様、品数豊富に揃えております」
その後、古今は親切にも店の外までわざわざ出てきて二人を見送ってくれた。
「竹輪見てくれてありがとう! また戻って来るからね! そしたら今度は古今も一緒にお仕事しようね!」
宰が元気良く別れを告げた瞬間、古今の背後から彌鈴が猛烈な速度で飛び出してきた。
「うおぉぉぅっ!」
驚いて叫び声を上げた一磨の胸元に、疾風のごとく素早く接近してきた彌鈴がちょんと手を触れ、再び古今の背後へ去って行く。
「何がしたいんだ……。あのちびっこは……」
一磨が動揺しながら懐に目をやると、そこには封筒が差し込まれていた。
封筒の中には御札らしき物が三枚入っており、それぞれに子供が書いたような拙い字で『水がどどん』『びゅん風』『石井さん』と書かれた紙片が貼り付けられていた。
「なんだ……、こりゃ……」
封筒には『あぶない時つかうおふだ』と書いてあり、どうやらそれは彌鈴からの贈り物のようだった。
「……あ、ありがとうって事でいいんだよな……」
「彌鈴ちゃんって、ちっちゃくて可愛いよね。揃った前髪も似合ってるし」
宰が古今の背後から顔を半分出している彌鈴に向かって手を振りながら言った。
「いや……。あのちぴっこが可愛いっていう感覚、俺には分かりかねるんだが……、まあ、そうだよな、可愛くない女の子なんていないもんな……」
一磨もぎこちなく彌鈴に手を振ってお礼をし、また彌鈴が襲ってくるんじゃないかと怯えつつ、古今の店を後にした。
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