第2話 お早う御座います毬藻さん

「でけぇ……。こんな物は入口って言うより……。もはや関所じゃねえか……」

 依頼主の屋敷に辿り着いた一磨と宰は豪邸とは聞いていたものの、あまりにも巨大な屋敷の門構えと、遥か先まで延々続く城壁のような白漆喰の塀に圧倒され、口をあんぐり開けたまま辺りをきょろきょろと見回していた。

「ずいぶん大きな家だよ! さすが豪邸だね。象だって一緒に住めるよ」

「前はこんな豪邸建ってなかったのにな……。この町はちょっと目を離すと、すぐに景色ががらっと変わっちまう」

「そんでさ、門の前に立ってるあの悪い人を退治すれば、中に入れるって事だよね?」

「あれは門番だッ! 確かにあいつ、見た目は完全に悪人だけどよ……」

 門の前には八角棒を握りしめた猪首のごつい門番が立っていた。

 一磨と宰が付喪神退治に来たもののふである事を伝えると、門番は真一文字に口を噤んだ恐ろしい顔のままで何も答えず、二人の姿を舐めるように見回し始めた。

 その距離が余りにも近い。

 弁当箱のように四角い顔を鼻息が感じとれるほど近付けてくるので、一磨は怯えながらじっと耐えていたが、宰は露骨に嫌な顔をして竹輪に手を掛け、今にも攻撃を仕掛けようとしている。

 文字通り、頭のてっぺんからつま先まで、二人の姿を隈なく眺め終わった門番は突然、

「御免なさぁい! もののふの方達ですよね。お話は聞いていたんですけどぉ、やっぱりここでちゃんと検査しないとだめなんですよぉ。御免なさぁい! 天下太平って言ってもやっぱりまだまだ物騒な世の中でしょ、全然っ、全然太平じゃないんです! 全然太平じゃないっ! 無事身体検査終わったんで、担当を呼んで来ますから少しだけ待ってくださいねぇ、はいっ、ちょっと失礼っ! ほんと御免なさぁい!」

 頭のてっぺんから出ているような高い声で一気に喋り切ると、守衛室へ強烈な内股でくねくね走り去っていった。

「可愛い! あの人見た目は怖いのに、なんだか喋り方は女の子みたいですごく可愛いね。あの人も付喪神に憑かれてるって事でいいよね? とりあえず引っ叩いてきていい?」

「駄目っ! 絶対駄目っ! あれは付喪神じゃなくて個性的なだけ! お前はよ、とりあえず引っ叩こうとするの禁止なッ! 頼むから屋敷の中では大人しくしてくれよ……」

 門番を指差して大はしゃぎする宰の姿に、一磨は早くも不安を覚えた。

 しばらくして守衛室から現れた四人の屈強な男達が分厚い木の扉を軋ませながら左右に滑らせ、門の入口をゆっくりと開いていった。扉の隙間から次第に露わになる屋敷内部の光景を目にした二人が驚きの声を漏らす。

「おおい……なんだこりゃ……。凄いぞ! これ海じゃないよな? 白い湖か? 一体どういう事だよ……」

「これって御屋敷の中だよね……。綺麗……。ものすごく広い! 全部真っ白だぁ……」

 門の先には、端が霞んで見えるほど広大な敷地が広がり、そこには見渡す限り純白の水面に覆われていた。

 よく見ると水面と思われたのは敷地の隅々まで敷き詰めた美しい白砂の輝きで、白砂の表面には気が遠くなるほど緻密に直線や曲線の紋様が隙間なく描かれている。岩や石などの鉱物と草や木、苔を組み合わせた造形物が、白砂の海に浮かぶ孤島のように点々と配置され、途方も無く壮大な枯山水の絶景を作り出していた。

 敷地の中央には赤い太鼓橋が一直線に連なって架けられており、遥か先に見える御屋敷に向かい、白い海を割るように赤い道となって続いている。

 いかにも仕事のできそうな女中さんが近寄ってきて一磨達に声を掛けた。

「門に隣接しております二つの建物は、それぞれ女中と守衛の控処になっておりまして、奥に見えますのが旦那様の御屋敷です。距離が御座いますので船に乗って参りましょう」

 案内されるがまま一磨と宰が白砂の上に停泊していた船に乗り込むと、二人が座席へ着いたのを確認して、女中さんが舳先に据えられた操舵を握り締めた。眩い光と共に式術が発動、船は白砂の海から静かに浮上してゆっくりと前へ進み始める。

 一磨も宰も船から身を乗り出し、静寂に包まれた枯山水の世界を感動の溜息と共に無言で眺め続けた。そんな二人に女中さんが船を操縦しながら依頼の説明を始める。

「昨日より、毬藻ちゃんの体が少し大きくなってしまいまして、いつもと雰囲気が違うのです。毬藻ちゃんと言うのは旦那様がお飼いになられている子犬なんですけれども、これは付喪神が憑いたのではないかという話になりまして、もののふ処に依頼をさせて頂きました」

「毬藻ちゃんは暴れて人を襲ったりはしませんでしたか?」

 船外の景色から一旦目を離し、一磨が女中さんの背中に向かって質問をする。

「とんでもない。元々片手で持てる位の小さくて大人しい子です。以前より一人でお部屋からは出る事はありませんでしたし、今朝もお散歩してからは、いつも通りお部屋でじっとしていました」

「九十九神を退治した後の毬藻ちゃんは、連れて行く事になりますが宜しいですか」

「はい。伺っております」

「えっ!? 犬連れて行っちゃうのぉおおお!?」

 一体いつの間にそんな場所へ飛び移ったのか、かなり離れた岩の上から宰が心配そうな声で叫んだ。ぎょっとした一磨が、慌てて戻れの合図を出すと、宰は見事なひとっ飛びで船上に帰ってきた。

 すかさずその頭に一磨がげんこつを落として答える。

「動物や物が付喪神になるのにはいろんな要因があるが、同じ環境に居るとまた付喪神になる可能性が高い。どうしても飼い続けたいって場合以外は、別の場所で暮らした方がいいんだ。もののふ処で新しい飼い主を探すから心配しなくていいぞ」

「ならよかったです……」

 殴られてじんじんする頭をさすりつつ、宰はほっとした顔になった。

 船は広大な白砂の海の端、母屋の建つ屋敷区画へ近付き始めた。母屋の周辺には見事な大和庭園が広がっており、風流に鳴り響く鹿脅しと水の流れる音が聞こえてくる。

「すげえな……。庭の中に庭があるってどんな状況だよ……」

「きれいなお庭だね。あとで散歩させてもらおうよ」

 船が大きく舵を切り屋敷区画の右側へと回り込んでいくと、そこには無数の龍の像で装飾された物々しい雰囲気の蔵が建てられていた。

 蔵の前に船は停泊し、一磨と宰は屋敷区画に降り立った。背伸びしながら二人は広大な白砂の海を見回す。どこまでも続く白い幻想的な眺めが町の中にあるとはとても思えず、異国へはるばる旅をしてきたような気分になる。

「この蔵は宝物庫になっておりまして、私共も中に入る事を許されておりません。その隣にある離れの大広間が毬藻ちゃんのお部屋です」

 女中さんが宝物庫と屋敷の間に建つ、一磨の住む長屋より何倍も大きくて立派な造りの別棟を指し示した。

「これまたやけにでかいな……。ずいぶんと良い所に毬藻ちゃんは住んでるんですね……」

「今朝より旦那様はお出かけになっておりますので、指示がありました通り、この付近に人は誰もおりません」

「宝物庫ってなあに? この建物、あちこちに恐い顔した蛇みたいな像がいっぱいいるね」

 龍の像を指差しながら、ふらふらと蔵の入り口に向かって進む宰だったが、

「お待ち下さぁぁぁあい!」

 穏やかだった女中さんが突然、びっくりするような鋭い声を上げた。

「この周辺で歩く事が可能なのは、毬藻ちゃんのお部屋に続く道と門へ進む道のみです。宝物庫や母屋には賊の侵入を防ぐ為に強力な式術がかけられています。通路に侵入しただけで式術が発動し、炭のごとく黒焦げになってしまいますのでご注意ください」

「炭のごとく……黒焦げ……」

 宝物庫からじりじりと後ずさりして、宰はごくりと唾を呑み込んだ。

「くれぐれもお気を付け下さい。それでは付喪神退治が終了いたしましたら、お手数ですけれども、橋を渡り、門の所までお戻り頂けますでしょうか。詰所よりお姿が見え次第、お迎えにまいります。どうか宜しくお願い致します」

 女中さんは橋へ向かう安全な道のりを一磨に説明した後、深々と頭を下げ、船を操って一人白砂の海を戻っていった。

「一磨……。あのさ……、私、一磨にお願いがあるんだけど……」

 二人きりになったとたん、なぜか宰が急にもじもじ恥じらい始めた。

「何だ……? 宝物庫になら、俺は絶対に近寄らないぞ」

 即答した一磨に、宰は目を丸くして驚く。

「どうして分かったのォッ!? 一磨が黒焦げになる所見たかったのに……」

「やっぱりかッ! 死んじまうだろ馬鹿野郎! お前はこれ以上余計な事をするんじゃない、いいな。こんなでかい屋敷だ、貴重品があるはずなのに監視も付けないで俺達だけにするって事は、防犯によっぽど自信があるんだ。まぁ、そのお陰で人払いをしてあるのには助かったけどな」

「どうして人がいないと助かるの? なんかここら辺、シーンとしちゃってて淋しいよ」

「今から退治する付喪神は可愛いもんだから、御札を貼るだけで常世に追っ払える。けど、めったにないが、追っ払った付喪神が常世に戻らないで近くにいた奴に入り込むって事がたまにある。まぁ、その時は入り込まれた奴に御札を貼れば良いだけの話なんだけどよ。じゃあとっとと終わらせようぜ。退魔の札を貼って、大人しくなった毬藻ちゃんをもののふ処に運ぶ。作戦は以上、簡単だ」

 テッテッテレーと楽しげな効果音を口ずさむと、一磨は懐から御札を取り出して指に挟み、少しおどけた顔で宰に向けて腕を伸ばした。

「御札貼る係、私がやりたい! やりたい! 私に毬藻ちゃんの付喪神退治させて!」

「そう言うと思ったんだ。いいぜ、ほらよ」

「やったぁ! いいの!?」

 一磨から退魔の札を受け取ると、宰はそれを指に挟んできゃあきゃあ嬉しそうに振り回し、颯爽と毬藻ちゃんの居る大広間の前に立った。

「よぉし! じゃあ開けまーす!」

 陽気な声を出して、宰が障子をするすると開ける。

 しかし、入り口を大きく開け放ったにもかかわらず、なぜか室内は光が入り込まずに暗闇のまま。次第に目が慣れてきたので、中を良く見ようと宰が首を伸ばして顔だけを大広間に入れたとたん、ぽうっと宙に二つの炎が現れた。炎が放つ僅かな明かりでぼんやりと浮かび上がったのは、大広間の中央で椅子に座っている何者かの姿。

「あれ? 誰かが椅子に座ってるよ。すいませーん、誰ですかぁー?」

 その声に反応するかのように炎が大きさを増し、広間の中が見渡せるほどの明るさとなった時、宰はようやく気付いた。

 椅子だと思った物、それは鋭い爪を持った手や先のとがった尻尾、憎悪に満ちた顔、不気味な悪魔の姿を無数に彫り込んで装飾した、椅子と呼ぶには少々禍々し過ぎる、余りにも巨大な、魔王の玉座とでも呼ぶべき代物だった。

 炎はそびえ立つ二本の燭台の上で燃え盛り、玉座に在る者の姿を明々と照らし出している。

 それは人では無かった。

 姿は人間に似ているが、人の倍あろうかという高い背丈、漆黒の毛に覆われた岩山のような筋肉の体躯、指先から伸びる象牙の如き太さの恐ろしく鋭い爪、そしてその顔は獣。

 獣人であった。

 魔王の玉座に座って足を組んだ獣人が凄絶な威圧感を放ちつつ、遙か高みより宰を見下ろしている。そして口元に鋭い牙を覗かせ、地の底から響くような世にも恐ろしい声を発した。

「強き者よ。我が領域に踏み込みし己が命を顧みぬ者よ。汝、我と戦いの饗宴を望む蛮勇なりし者か?」

「いえ。違います」

 宰は即答できっぱりと力強く否定、何事も無かったかのように障子を閉めた。

「………」

 お気楽に覗いた大広間で待ち受けていたものは、終末を思わせる凶悪の塊だった。予想だにしなかったまさかの事態に、一磨と宰は驚きの余り白目を剥き、口をパクパクさせたまま呆然と立ち尽くした。

 かなりの時間二人はパクパクし続けていたが、先にはっと我に返った宰が未だ虚ろな目をしている一磨の肩を鷲掴み、力の限り前後に揺さぶった。

「ちょっと! ちょっと! ちょっと! 一磨ッ! すんごいのがいた! すんごいのがいた! すんごいのがいた!」

「ああ……。いた……な……」

「いた……な……。じゃないでしょ! 付喪神ってあんなにごっつくなって喋り出すの? 毛がっ……、真っ黒な毛がびっしり体中に生えてたよ! 爪とかも極太だったよ!」

「いや……普通、あんな風にはならないんじゃないか……?」

「じゃあ何なの? あれは!?」

「分からん……。何なんだ、あの黒くて馬鹿でかい奴は……」

「分かんないの? もう、しょうがないな! とりあえず、私あれに御札貼って来るね!」

 宰の発言を聞いて一磨は驚きの余り鼻水を噴き出し、素早く宰の着物を掴んだ。

「おい! 馬鹿な事言ってんじゃねえって! お前も見ただろあいつの姿! 地獄の使者みたいな奴に御札貼りに行くのか? あいつのおでこか? て言うか、あいつおでこあったか? いや、そういう事じゃねぇか! とにかく止めとけって!」

「でも、そうしなきゃ付喪神退治できないんでしょ。危ないと思ったらすぐ逃げるから、多分大丈夫だよ」

「多分で命賭けちゃだめだろ! 命は三つくらいあると思ってんのか!? 基本一人につき一つだぞ! お前もそうだ、命は一つだ! 待てっ、ちょっと待て!!」

 慌てふためく一磨の手を振り切り、宰は再び障子を勢いよく開け放った。しかし、遥か上から見下ろしてくる毬藻の威圧感はやはりただ事ではない。

「やるしかないんだ……。おばば……見てなよ。私、未熟者じゃないんだからね……」

 宰は深呼吸をして心を落ち着けると、勇気を出して大広間に一歩踏み出した。

 しかし、大広間へ宰の足が着いたとたん、御札はサラサラと砂のように崩れ落ちた。宰は即刻足を大広間から引き抜いて、再びぴしゃっと素早く障子を閉めた。一磨の元に戻って、握り締めていた手を慎重に開いてみると、少しだけ手に残っていた御札の残骸が散っていく。

「ちょっと! 今度は御札がいきなり溶けちゃった! 何なのこれっ!?」

「あいつの力が強すぎて、逆に御札の方が消し飛んだみたいだな……」

「もうっ! じゃあ、今度は一磨の番だからね。毬藻ちゃんに御札貼って来てよね!」

「ふざけんなっ! 絶対嫌だよ! 交代制っていつ決まったんだよ!」

「そんならどうすんのこれ! どうやったらあの付喪神退治できるの?」

「あいつを式術でも直接攻撃でもいいから手負いにして、力が弱ったところに御札を貼り付けるしかないだろうな……」

「了解!」

 力強く返事をするや、竹輪を腰から外して大広間の障子に手を掛ける宰。

「馬鹿野郎!」

 しかし、一磨に後ろから思いっきり頭を殴り付けられてしまった。

「痛ぁぁぁあい! ちょっと! 何してんの!?」

「お前まさか、その練り物みたいなふざけた武器であいつをぶん殴りに行くってのか?」

「そうだよ。だって私、他に武器持って無いもん。竹輪で殴るか、もしくは素手だね」

「馬鹿言ってんじゃねえ! それは無いぞ、あんな奴が俺達の手に負える訳無いだろうが。これは一旦もののふ処に戻って報告した方が絶対にいい! 俺達には無理だって!」

 恐怖の余り駄々っ子のように地団太を踏む一磨に向かい、宰は妙にしんみりとした口調で語り出した。

「この仕事が終わったらさ、一磨私にご飯奢ってくれるんでしょ。絶対無事に帰って来るから大丈夫だよ。毬藻ちゃんに勝てたら、また……買ってよね……まる焼き。二人で一緒に食べようね……、約束……だよ……」

 何やらわざとらしく遠くを見つめ、寂しげな笑顔を浮かべた。

「ああっもうっ! お前、縁起でも無い事やってんじゃねえ!」

「このくらい露骨にやっといた方が、逆に大丈夫なんだっておばばに教わったんだよ。じゃあ、行って来るねー!」

「逆にってなんだよ! ちょっ、ちょっと待てって! 食われちまうぞ!」

 一磨の制止を聞かずに、宰は大広間の中へ飛び込んでいった。

 大広間に踏み込んだ瞬間、重く禍々しい空気が体中に纏わり付き、炎に照らし出された毬藻の姿が何倍にも大きく見える。少しだけ恐怖に身の竦む宰だったが、竹輪をくるくると器用に回すと、不吉な気配を振り払うように大きな声で叫んだ。

「毬藻ちゃん! 私の名前は春乃女宰だよ。あなたから付喪神を退治するために、ちょっと引っ叩くからよろしくね! っていうか、ごめん。今更だけど、あなた毬藻ちゃんでいいんだよね……?」

 ゆっくりと玉座から立ち上がった毬藻が厳めしい体躯を宰と対峙させ、地を這う重低音の声を大広間の隅々にまで響かせた。

「我に抗いし強き者よ、言葉は無用。力で語るが良い」

「それはかかって来いって事でいいね? じゃあ、いざ尋常に勝負だよ、毬藻ちゃん!」

 燭台の炎によって長く伸びた二人の影が絶え間なく揺らめく中、竹輪を構えた宰が慎重な足取りで大広間の中央へ進んでいく。

 静寂だけが大広間を隅々まで包み込んでいたが、毬藻の間合いへ宰が足を一歩踏み入れた瞬間、身の竦むような鋭い衝撃音が響き渡った。

 大広間の中央、宰が竹輪を突き出すように毬藻の巨大な爪を受け止め、その爪が今にも竹輪の拘束を逃れて襲い掛かろうと、檻に入れられた獰猛な野獣の如く爪同士をぶつけ合いながら激しく足掻いている。

「うわっ、凄いよ! 一磨見てほらっ! 毬藻ちゃんの爪こんなに伸びてるよ! これ、鼻ほじる時どうするんだろうね!」

「お前っ! 戦ってる最中に、余計な心配はしなくていいっ!」

 腕に力を込めた宰が、掛け声と共に毬藻の爪を押し返して後方へ距離を取り、体を低い体勢に保ったまま一気に前へ駆け出した。

 それを迎え撃つべく毬藻が特大の鋭い爪を頭上から目にも止まらぬ速度で振り下ろす。

 爆発が起きたような衝撃と共に床は大破、無残に粉砕された床板が周囲に飛び散った。しかし、宰は鋭い爪を掻い潜ってすでに毬藻の懐へ素早く踏み込んでおり、がら空きとなった喉元へ向けて思いきり竹輪を突き上げた。

 鉄を突いたような重量感ある鈍い打撃音が大広間に響き渡る。

 毬藻の巨大な体は仰け反って宙に浮かび上がった。弧を描いて毬藻の体は地響きと共に落下、大の字で仰向けになったままぴくりとも動かない。

「おおおっ、やった! すげえぞ宰、あの化け物を倒しちまった! よし、御札だ! 今しかねぇ宰、御札を奴に貼ろうぜ!」

 飛び跳ねて大喜びの一磨が大広間の中へ行こうとした瞬間、突如背筋の凍るような悪寒が体を走り抜け、膝がガクガク震え出し、一磨はその場から一歩も動けなくなってしまった。

「強き者よ。その存在に応えるべく、我の力の全てを持って応じよう」

 倒れたままの毬藻の口から、恐ろしげな声が発せられた。

 静かに、しかし自らの強大な力に突き動かされるが如く悠然と毬藻が立ち上がる。全身の毛は逆立ち、黒い霧のような物に包まれた体は先程より一回り大きく見える。

「一磨、毬藻ちゃんが全力出すんだって! 今まで本気じゃなかったみたいだよ!」

「俺にも聞こえたよ! そいつ見た目がさらに恐ろしくなってんぞっ! 今度こそやべぇんじゃねえのか!? 逃げろ! こっちに帰ってこい!」

 見上げるほどの巨体にも拘らず、毬藻は瞬き一つする間に宰の目前へ距離を詰め、猛然と爪を突き出した。間一髪、宰はその鋭い爪を竹輪で受け止める事に成功したが、後方へ勢いよく弾き飛ばされてしまった。

 宙でくるりと回転して受け身を取った宰に息つく間も与えず、毬藻の攻撃が次から次へと襲いかかる。その攻撃は今までとは比べ物にならないほどに速く、そして重い。

「先刻の剛勇はどうした強き者。貴様の声が聞こえぬ」

 狂ったように頭上から叩き付けてくる毬藻の爪を、なんとか竹輪で回避するものの、攻撃を受け流す度に凄まじい衝撃が宰の全身を貫き、体の節々が悲鳴を上げ始めた。

 少しでも気を抜けば竹輪は弾き飛ばされ、一瞬のうちに鋭い爪で真っ二つに引き裂かれてしまう。

「もういい宰、戻って来い! 部屋の外に一旦逃げろ!」

 入口から一磨の叫び声が聞こえても宰は歯を食い縛ったまま毬藻から目を離さず、後方へ押し戻されながら必死で毬藻の攻撃に耐え続けた。

「受けるだけで精一杯だよ! 悔しい! でも逃げるなんて絶対やだ! もっと悔しい! 私は本気の毬藻ちゃんに一撃入れたいんだよっ!」

 自らを奮い立たせるように宰が声を荒げ、僅かな隙を突いて防御にのみ使っていた竹輪を果敢に毬藻の爪へ打ち込んでいく。力負けしている状況に変わりは無かったが、何やら竹輪に異変が起こり始めた。宰の気迫に呼応するかのように竹輪が淡く発光し、その光が次第に強くなっていく。

「おいっ! 竹輪が光り出したぞ!? どうしたんだ……!?」 

 不安気な声を一磨が上げる中、毬藻の爪へ打ち付けるたびに竹輪の輝きが明るさを増していく。

 とうとう大広間は一寸先さえ見えなくなるほどの眩い光に包まれた。

 その眩しさに耐え切れず、毬藻が攻撃の手を僅かに緩めた瞬間。

 ――シュッッポォォォォオオン――

 途轍も無く大きな瓶から栓を勢い良く抜いたようなやたら爽快で、鼓膜が破れるかと思うほどに巨大な音が大広間に響き渡り、竹輪が凄まじい速度で真上に吹っ飛んでしまった。

「へ……?」

 光りは消え去り、突然の出来事と大きな音で呆然となった宰が天井を見上げると、竹輪の鞘部分が半分ほど天井にめり込んで、その周囲がぶすぶすと黒く燻っている。

 そして宰の手には竹輪ではなく、鋭い切っ先を真っ直ぐ天に向けた、神々しい煌きを放つ金色の直刀が握り締められていた。

「何これ……。竹輪の中から金ぴかの刀がでてきちゃった……?」

 宰が呟くと同時に刀身から金色の揺らめく光が噴出し、その光が宰の頭上に集まって巨大な発光体の塊を作り始めた。

 発光体はぐんぐんその大きさを増しながら次第に何かの姿へと顕現していく。

「あれっ! 光の形が……鳥だ! 今度は光がおっきな鳥になっちゃった! ピッカピカしてる!」

 大興奮で叫ぶ宰の頭上には、黄金に光り輝く巨大な一羽の鳥が羽ばたいていた。

 天井を覆い尽くすほどに大きく広げられた金色の翼、後方に光を振り撒きながら美しくたなびく長い尾羽、頭頂部に立った鶏冠、鋭い嘴の根元にある二つの瞳が宰の姿を真っ直ぐに見つめていた。

「何で!? 何で急に刀からおっきな金色の鳥が出てきちゃってんの!? どういう事!? あれっ、なんか体が引っ張られる! ちょっと待って! うそっ、体がっ!」

 宰の体が宙にふわりと浮かび上がったかと思うと、巨鳥の方へゆっくり引き寄せられ始めた。

 宰は何とか逃げ出そうと手足をじたばたさせて暴れたが抵抗空しく、浮上した宰の体はそのまますうっと巨鳥の胴体部へ吸い込まれてしまった。

 巨鳥の体内に入った瞬間、金色の光が目の前に広がった。最初こそ宰は慌てふためいていたものの巨鳥の体内は意外にも心地良く、外の様子がはっきり分かる上に、頭で考えただけでその通りに巨鳥が移動してくれるので、宙を自由自在に飛び回れる事に気付いた。その上、何やら体の奥底からやる気と力がぐんぐん湧いてくる。

 宰は、刀を数回振ってその感触を確かめた後、刀の切っ先を毬藻に向けて力強く叫んだ。

「良く分かんないけど、鳥さんの体に入ったら空飛べるようになったし、元気が出てきた! 行くよ、毬藻ちゃん! 私も今から本気出すからね! やっつけちゃうけど、覚悟はいい?」

 その声を聞いた毬藻は不敵な笑みを浮かべると、体を小さく縮めて前へ飛び出す体勢を取った。

「強き者よ。再び貴様の声が聞こえ始めた。来るがいい!」

 咆哮のような凄まじい叫び声を上げると同時、毬藻が床を破壊しながら宰に向かって突進を開始。宰も負けじと巨鳥の翼を羽ばたかせて前方へ飛翔、毬藻を迎え撃つ。

 黒い獣と黄金の巨鳥が猛烈な勢いで激突して絡み合い、両者が攻撃を繰り出すたびに強烈な衝撃波が大広間から外へと突き抜けた。

 大広間内で人の力を遥かに凌駕した最終決戦が繰り広げられている中、一磨は吹き飛ばされないよう柱の陰に隠れて両足を踏ん張っていたが、八百万を収納している巾着袋がひとりでに懐から宙へ浮き上がってその口が開き、身代りの札がふわふわと舞い出して来るのが目に入った。

「身代りの札じゃないか……。何でだ……?」

 嫌な予感と共に一磨が顔を上げると、大広間の中央には床に倒されている毬藻の姿があった。巨鳥が毬藻の上に乗り、鋭い爪をその体に食い込ませて動けないよう無理やり押さえ付けている。

 巨鳥の体内に浮かぶ宰の姿が金色の光の中に透けて見えたが、その表情に笑みは無く、まるで別人の如く真剣で鬼気迫る物があった。らしからぬ雰囲気の宰が竹輪を天に翳し、足元に倒れている毬藻の姿を真っ直ぐ見据えて静かに口を開く。

「我の前に現れし愚かな邪悪、消え去るがいい。我が名は迦楼羅、悪を滅し世の全てを光で照らす者」

 宰の妙な言葉使いを聞いて、あいつ頭でも打ったのか? と一磨が訝しんでいると、巨鳥は大広間の端から端まで届く程に翼を長く長く伸ばした。

 神々しいほどの光を振り撒きながら、巨鳥がその翼をゆっくりと垂直に持ち上げていく。巨鳥に実体は無いらしく翼は天井をすり抜けて上へと伸び、力を溜め込むようにしばらくその状態を維持した後、巨鳥が一気に翼を振り下ろした。

 その瞬間、途轍も無い大爆発が巻き起こった。

 爆炎は四方へ突き抜けて巨大な球状の炎塊となり、一瞬で大広間を焼失。炎塊は見る見る膨れ上がってその大きさを増し、灼熱の炎が宝物庫、母屋、庭園、白砂の海と周辺のあらゆる物を呑み込んで、跡形も無く燃やし尽くしていく。

 広大な屋敷のほぼ全域が炎塊に覆われてしまった。

 一切を消滅し、自らの周囲を焦熱地獄の如き光景に変え果てた後、巨鳥はおもむろに翼を大きく広げ、炎塊の中心部から天に向って真っ直ぐに飛び立った。巨鳥の後を追うように炎塊が一本の巨大な火柱となって大地から空へ噴き上がる。

 巨鳥は火柱を伴った世にも恐ろしげな天変地異の光景の中、遥か上空へと飛び去った。


 辺りは物音一つせず、しんと静まり返っている。

「ん……。あれっ、私、何やってたんだっけ……」

 意識を取り戻した宰が顔を上げると、黒い毛に覆われた可愛らしい子犬が前方に倒れている。近くに転がっていた竹輪を拾って子犬のそばに走り寄る。

「あれ? あなたはひょっとして毬藻ちゃん?」

 宰に声を掛けられた子犬は弱々しく震えながらも自力で起き上がると、その姿に全く似合わない重低音で喋り出した。

「我の負けだ。強き者よ。先ほどの爆発で力の全てを持っていかれてしまった。一切を吹き飛ばしてしまうとは豪快な力よ……」

「ん? 吹き飛ばすって何の事……?」

 宰が辺りを見回す。

 そこに広がっていたのは一面の荒野だった。

 焼け爛れた土と炭のような石ころだけが転がる、見渡すかぎり一切何も無い荒野。

「あれ……。これ、どうしたの……? 私、御屋敷の中にいたよね……。あれ、ひょっとして……、嘘……。私が……やっちゃった……?」

 金色の巨鳥と共に行った自分の所業が、宰の脳裏に少しずつ浮かび上がってきた。

 「えええっ!? 嘘でしょ! あのおっきなピカピカの鳥が全部吹き飛ばしちゃったの!? まずいよ、どうしよう!」

 これは怒られる、絶対ものすごく怒られる。でも毬藻ちゃんを元に戻したんだから大丈夫か。いや、んな訳ない。などと宰は一人で色々な事を考えながら、自責の念に堪えられずに地面を転がったが、ある物を見つけて勢い良く立ち上がった。

 身代わりの御札の効果で命だけは無事だったものの、灼熱の炎に包まれて死の恐怖を体感した為、地面に座り込んだまま茫然としている一磨。

 そのすぐ前に口の開いた紫色の巾着袋が落ちており、中から鬼の泪と時の呼び箱が転がり出ている。

『蓋を開けた者以外の時間を戻す八百万、時の呼箱』

 宰は素早く一磨のそばに駆け寄り、時の呼箱をひったくると、無理やり引っ張ってきた毬藻の手と力無く垂れ下がった一磨の手を時の呼箱の上で重ね合せた。皆の手が蓋に触れているのを確認して、ためらう事なく箱を開ける。

 突然周囲の視界が乱れて天地が逆転したかと思うと、猛烈に振り回されるような感覚に襲われ、宰は気を失ってしまった。


 どの位の時間倒れていたのか分からない。

 ひんやりとした床の冷たさを頬に感じて、宰は目を覚ました。

 そこは庭園から柔らかな光が差し込む大広間の中だった。すぐ近くに一磨と毬藻が倒れていて、粉々になった時の呼箱の破片が光を反射している。

 宰はがばりと飛び起きるなり、急いで大広間の外へ走り出た。そこに見えたのは、大爆発で消失したはずの立派な御屋敷と宝物庫、どこまでも広がる白砂の海。

「やったあぁぁ! 元にもどったあぁぁ! いぃぃやっほぉぉおう! 危なかったぁぁああ! 大変な事になる所だったよ! ふぅ、良かった!」

 宰はほっと一安心。大広間に戻って寝っ転がり、うまくいった喜びを噛みしめた。そんな宰のすぐ横に毬藻がちょこちょこと近寄ってくる。

「さあ、汝の勝ちだ。我にとどめを刺すがいい」

 そう言った毬藻のふわふわした黒い体に宰はそっと手を乗せ、優しく撫でた。

「なんで? とどめなんか刺さないよ。毬藻ちゃんを元の姿に戻すのが私の仕事だもん。毬藻ちゃんは強いね。竹輪の鞘が抜けてなかったら負けてたな。私、もっと修業しないと駄目だって分かったからさ、毬藻ちゃんと戦えて良かったよ」

 宰の言葉を聞いて驚きながらも、毬藻は首を振って呆れたように笑った。

「敵に情けをかけるばかりか賞讃の言葉まで送るとは……、完敗だ。この身、再び元の姿へ戻るには数年の年月がかかるだろう。今よりもさらに強き力を手に入れて汝と再び戦いたい。その時には必ずこの借りを返すが、いいのか……」

「じゃあ私も、もっと、もっと強くなって待ってるよ。また勝負しようね」

「ふっ……。さらばだ……強き者よ」

 毬藻はお手をするように宰と握手した後、ぴょんと体の向きを変えて歩き出した。

 その後ろ姿に手を振り、爽やかな気分で好敵手の姿を見送る宰だったが、

「おい……。ちょっと待てよ……。お前達のせいで俺の八百万が二つも無くなっちまったんだけどよ……、これはどう責任取ってくれるんだ? お前達、まさかこのまま無事に帰れるなんて思ってないよな……?」

 怨念に満ちた暗い声が背後から響いた。

 振り返るとそこには虚ろな目をした一磨が立っており、その周囲を怪しげに発光する鬼の泪の小瓶が人魂のようにふわふわ浮遊している。

 宰の返事を待つ事無く、一磨は浮遊する小瓶を掴み取って先端をへし折り、中身を一気に飲み干した。見る見るうちにその体が服を破って巨大化、禍々しい深紅に染まっていく。

 頭から縞の入った二本の角が生えて髪はくるくる短く丸まり、溢れ出す力を抑え切れないのか苦悶の表情を浮かべつつ、全身を揺り動かしながら筋肉を膨張させ恐ろしげな雄叫びを幾度も幾度も上げている。

 そして一磨が完全なる凶悪な赤鬼へと、その姿を変えてしまった。

「嘘……、何あれ……」

 全く以前の面影が消えた一磨に宰は絶句して、恐る恐る尋ねてみた。

「あ、あの……すいません……、どちらさま……ですか?」

 返事をする代わりに、鬼はいきなり宰の頭をむんずと掴んだ。

 野生の勘で鬼の危険度を察知、すでに逃走していた毬藻だったが、一瞬で鬼に前へ回り込まれ、同じく頭を鷲掴みにされてしまった。

「ぎぃやぁあぁぁあ」という宰の絶叫と

「ぎぃやぁわぁぁん」という毬藻の鳴き声が、大広間に響き渡る。

「オマエタチドウシテクレルンダ。ドウスルノカイエ。イワナイトマジデアタマツブス」

 感情の全く無い冷酷な声で鬼は二人に問いかけつつ、それぞれの頭をさらに強く締め上げた。ギリギリと頭に食い込む痛みに、耐えきれなくなった毬藻が懇願する。

「も、申し訳なかった……。我が力を取り戻すには数年かかるゆえ、待って欲しい。その時に必ずやこの借りは返す……。金品、八百万、汝の欲っする物を何でも用意させてもらうから許してくれ……。この度は誠に申し訳なかったワァアン!」

 鬼の手が緩んで毬藻の体が地面に落下。毬藻は素早く起き上がると脇目も振らずに大広間から脱出、塀を飛び越え屋敷の外へ逃げ去っていった。

 一方宰は、鬼の手から垂れさがったまま、いまだ反省する気配無く、

「だって、あれは毬藻ちゃんが! 痛たたたたたたぁぁあ!」

 言い訳をして、さらに頭を強く締め付けられている。

 あまりの痛さに宰は竹輪を腰から外して鬼を殴り付けたが、締める力は一向に緩まない。

「痛い痛い! 頭が割れるぅぅぅう!」

 激痛が限界に達して宰が命の危険を感じた時、竹輪が眩い光を放ち始めた。

 シュッッポォォン! と先程の音が鳴り響き、再び鞘が勢い良く発射された。

「やった! あの鳥が出て来れば、これで勝てる!」

 嬉しそうな声を上げる宰だったが、鬼は飛んだ竹輪の鞘に素早く反応、片手で鞘を掴み取るや、即座に刀へ嵌め戻した。カチリと音を立てて刀身が鞘へ無理やり収納されると、竹輪から溢れ出していた光は、空気の漏れるような寂しげな音と共に消失してしまった。

「嘘でしょ……。これも駄目なの……?」

 宰は一切の攻撃が通じない事をようやく悟った。両腕をだらりと下げて素直に謝る。

「すいませんでした……。使っちゃった八百万を弁償できるくらい、これから一磨のお仕事を一生懸命お手伝いしますから、それで許して下さい……」

 その言葉と同時、鬼が手を緩めて乱暴に宰の体を地面へ落とす。

「くうううううぅぅぅ!」

 宰が痛む頭をさすりながら呻いていると、元の姿に戻った一磨が全裸で地面に倒れ込んできた。尻丸出しで一磨はしばらくうつ伏せになっていたが、起き上がって全裸である事に気付くと、慌てて辺りに散らばっていた着物の残骸を体に巻き付けた。

「何で俺は裸なんだ……。おい、どうした宰、大丈夫か!? 毬藻の付喪神は退治出来たのか!? でかい鳥はどこに行ったんだ!?」

 一磨は不思議そうな顔できょろきょろ辺りを見回している。

「あれ……一磨、ひょっとしてさ……。鬼になった事覚えて無いの……?」

「鬼……? 鬼……。覚えがあるような無いような……。でかい鳥が大爆発を起こしただろ……。そんで俺が、竹輪の鞘を刀に嵌め込んだ……。あれっ……、嵌め込んだ? 俺、そんな事したっけ? なんだか記憶が曖昧だな……。何が起きたかよく覚えていない……」

「鳥はね、もうどっかに消えたんだけど……。一磨の八百万がね……、全部無くなっちゃったみたい……」

「ああ、それは何となく覚えてる。でも、まあ仕方ない。八百万なんて持ってても、もったいなくて使い所が無いし、正直そんな貴重品を持ち歩くのは気が気で無かったんだよ。逆に無くなっちまって清々したな。これでもののふの鍛錬に集中できるってもんだ」

 鬼の泪は使用者の怒りや不安に反応し、それを増幅させて心と体を鬼にする。鬼になる事で負の気持ちを全て燃やし尽していた一磨は、やたら晴れやかな笑顔で宰に答えた。

 しかし、宰はそんな一磨の爽やかさが何だか逆に恐ろしかったので、

「一磨の八百万が無くなったのは私のせいだからさ、一磨と一緒に働いてもののふの仕事を手伝う事にしたの。そんで、報酬からちょっとずつ弁償する。だから今日からよろしくお願いします」

 正直に打ち明けて、丁寧に頭を下げた。

「どうしたんだ、急にかしこまちゃってよ。弁償なんかしなくてもいいけどよ、免状持ちの奴が一緒に仕事してくれるってんなら、こっちはえらい助かるぜ。本当にいいのか? 俺の方こそよろしくな」

 宰の竹輪より出現した金色の巨鳥、その途方もない力に対する不安も鬼の泪によって一磨の記憶から消え去っており、今だけ器の大きな人間になっていた一磨は、むしろ感謝しながら答えた。

 色々あったものの毬藻の付喪神退治は無事成功したので、依頼完了を伝える為に長く連なった橋を渡り、二人は意気揚々と屋敷の入口へ向かった。しかし、ほぼ全裸だった一磨は凄まじい勢いで走り寄ってきた守衛達に有無を言わさず取り押さえられ、斬り捨てられそうになった。宰が必死に説明する事で何とか理解してもらい、女中さんからは体に巻き付ける布を借り、どうにかこうにか屋敷の門をくぐったのだった。

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