第23話 アワイチ・誤算(前)

 道の駅福良には、無料で利用できる広い足湯があり、うず潮足浴や、たこ壺足浴が人気である。お尻が痛いとか、足が限界とか泣き言の多いメグをなだめたり叱ったり、シホが上りで腰を押してやったりしながら、チームの広報予算で購入した超高性能マシンにも助けられたヴェントエンジェル一行三人は、ようやく淡路島の南西部、福良に着いた。もとは漁港として栄えた町であり、人形浄瑠璃の伝承、普及にも力を入れている。

 岩屋から七八キロ、アワイチの道程としては半分強であるが、獲得標高としては七割方こなしており、気分的にはほっとする段階である。予定より若干遅れ気味で、時刻は八時十六分。楽しみにしていた足湯は十時からで、メグは様子を見に行ったものの、湯は抜かれており、へたり込んでしまった。

 大鳴門橋方面への道を、黒と赤のコントラストが鮮やかな、ドグマに似た流麗なデザインで、ダウンチューブの太さが印象的なバイクが過ぎて行った。目で追うミドリが素っ頓狂な声を上げる。

「うひゃあっ、あれ、ナイトロだよ。実物は初めて見た。ほら、eバイク、四百ワットもアシストするやつ。あれは無敵だよねー」

 電動アシスト自転車は、ロードバイクにも徐々に浸透しつつある。時速二五キロに達すればアシストは切れるのだが、非力なライダーでもヒルクライムやロングライドの足として、これほど心強いものはない。航続距離はアシスト量や獲得標高によって当然異なるが、下りと平坦路でアシストをこまめにオフにすれば、アワイチ程度は余裕でクリアできる。

「何言ってんの。自力で走らなきゃ、意味ないじゃない。ほら、休憩終わり。次の道の駅うずしおに行ったら、日本一のハンバーガーが待ってるよ」

 シホが促すが、既に走行距離自己最高を超えたメグはなかなか腰を上げない。道の駅うずしおは、道の駅人気ランキング関西一位である。その中にあるハンバーガー専門店は、地元食材を使って、全国グランプリで一位(オニオンビーフバーガー)と二位(オニオングラタンバーガー)を獲得した。渦潮が眼下に見える観光スポットで、タマネギUFOキャッチャーには行列ができる。

 お目当てのハンバーガー店の開く時刻が九時半だということは、さすがのメグも気づいたようである。今から向かって開店時刻まで待っている訳にはいかない。黙って手を伸ばしたメグに、シホの顔色をうかがったミドリがエナジージェルを渡す。おにぎり一個分のカロリーが摂れるが、既に二千カロリー近く消費している。ビワイチが終わるまでには五千カロリー以上は消費する。ある程度時間を取られるが、固形物を食べられるうちに、どこかでちゃんと食べておかないと、一着はおろか、完走もおぼつかない。

「分かった。西海岸のサンセットライン、穴子丼の美味しい店が九時から開いてるから、とりあえずそこまでは頑張って」

           *

 島の南部をなぞる県道七六号線から、福良を経て島の西海岸へ抜けるのは、基本的に県道二五号線を走るしかないのだが、しまなみ海道のように、白線外側にカラーペンキでルート表示してある区間はほとんどなく、ビワイチほど親切に進路の標識があるわけでもないので、福良周辺はコースアウトしやすい。

 荻原真理子は、八幡交差点までやってきて、左右が国道二八号線なので、左折すべきポイントを直進してしまったことにようやく気づいた。頭の中の地図では、阿万下町交差点と分かっていた。そこを左折すれば、天照の名をいただく、ランチの美味しいカフェテラスがある。無料シャワーを借りる時間的余裕はないが、冷たい飲料水をもらえることも知っていた。タイムの短縮に気が逸り、目先の交差点を青信号のうちに突っ切ることしか考えていなかったためのミスである。サイコンのディスプレイは八時六分を示している。

 今ここで左折すれば、福良の町はすぐである。しかし、戻らねばならない。五キロ、八分のロスになる。ヨーロッパでは、監督が随時レース状況に応じて戦略を変更し、無線で各選手に伝えてくる。今は自分一人で考えて実行しなければならない。オーダーは、できるだけ早く、美津根たちに追いつくこと、それより優先されるのは、最終的に自分が一着で完走すること。ならば、アワイチ区間で合流するために体力を消耗し尽くす訳にいかない。真理子は冷静に判断した。岩屋まで戻れば、美津根はチームのメンバーに指示して、真理子のためにトランジットの車を、京都から呼んでくれているはずである。

「美津根さん、勝負はもうちょっと後に取っておいてあげるわ」

           *

 午前八時ちょうど。淡路島と四国徳島を結ぶ大鳴門橋が目の前に伸びる。道の駅うずしおに着き、最速店長グループ三人が勝手に設定した、四つの山岳ステージで完勝した猛井四郎は、パシリキャラを演じようとする脇本優に、偉そうに命令した。

「ほれみろ、お前らが何人かかっても、峠でおれに勝とうなんざ三十年早いんだよ。ほれ、淡路牛バーガー、買って来んかい」

「いや、四郎さん、すみませんね。なんせ店がまだ開いてないんで。その先で渦潮見ながら、鳴門海峡の演歌でも聴いて、待っときましょうか?ボタン押すだけで、何回でも無料で聴けますねん」

 神経を逆なでするようなことをチクチク言っておけば、このおっさん、じきに心身のバランス崩して自滅しよるやろと、脇本は期待した。傍らの庭島はニックネームが超合金Zというだけあって、シャレの分からん堅物で、いくらこっちがボケても突っ込んでくれへん。こんなにノリが悪かったら寿司屋で使ってもらえんがな、と考えていると、その庭島はタイヤをつまみながら浮かぬ顔をしている。

「すみません、どうもステアリングのキレが悪いと思ったら、スローパンクみたいです。チューブ交換して追いかけますから、先に行っててください」

          *

 四つの峠は、陽子のサポートで何とか越えられた。でも、もう体力がない。お尻も痛いが、それ以上に左の股関節が痛む。踏み込むときに力が入らない。西海岸からは亜弓が前を曳くはずだったが、スピードを上げられそうにない。

 道の駅うずしおから、西海岸サンセットラインに至るまで、急な下りがある。見通しの良い直線ならば、五十キロは出せるようになった。この時も、何も問題はないはずだったが・・・

 声にならない叫びを絞り出しつつ、亜弓は震えるハンドルを必死で押さえ込み、ほとんどパニックになった頭で、それでも前輪がロックしないよう気をつけながら、いや、祈りながら、必死でブレーキをかけ続けた。

 シミー現象。ハンドルが突然ぐらぐらとブレだし、停車するまでハンドル操作が不能になる。高速で走行中のオートバイでも見られるが、ロードバイクの下りなど、時速数十キロ程度で起きるパターンが比較的多い。原因は特定できないことも多いが、ホイールの不備でなければ、路面と車体の共振による場合もある。これはマシンの性能や、乗り手の技量に関わりなく、誰でも起きうる。

 地面に足を着こうにも、シューズを外す余裕がない。左カーブの外側、対向車線に大きくはみ出し、そのまま右側の山肌に肩を擦りつけながら、なんとか落車せずに止まれた。もちろんこんなことは初めてである。先行していた陽子が、インカムから漏れる亜弓のSOSを聞きつけ、下の方から戻ってきてくれた。助かった。でも、これって何か、嫌な予感がする。気が付くと、自分の手が震えている。時刻は七時五九分、ぎりぎり想定内のタイムである。

「ねえ陽子、本当に申し訳ないんだけど、リタイアしていいかな?」

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