第21話 アワイチ・疾走(前)
気温二十度、岩屋から国道二八号線を南下する。舗装状態は比較的良好であるが、正面からの黒南風が肌に粘りつく。すぐ前を走る陽子の上体がまったくぶれないのは、日頃の体幹トレーニングの賜物であろう。ドグマの電子制御サスは路面状況にタイムラグなく追従し、雲の上を滑る如く巡航する。
亜弓はドグマの後輪にアンカーの前輪を三十センチ以内まで接近させる。このドラフティングによって、出力を約二十ワットセーブできるのが、パワーメーターの表示で分かる。視線を落とすと危ないので、陽子の背中で距離を測る。斜め前からの向かい風に瞬時に対応して、自車の位置を移動させるほどの技術は、亜弓にはない。集団走行の場合、風を受ける先頭の負担は大きい。とりあえず西海岸までは陽子が前を走る約束だった。
背後から「お前が前を曳け!」とかののしり合いながら、男性三人組があっという間に追い抜いて行った。レースでもしているのだろうか。
右手に巨大な観音像が見える。廃墟マニアが訪れるが、当然管理者はいるので、無断で中に入ると、建造物侵入罪になる。左手には海が広がっている。
亜弓を引っ張る陽子は、ハチケンのアドバイスを受け、パワーマネジメントによる効率的走法を意識していた。車の燃費計を見ると分かりやすいが、加減速を抑えて一定ペースで走ると燃費は向上する。また、軽めのギヤでケイデンス(一分間のクランク回転数)を八十強と高めに維持する方が疲れにくい。さらに、心拍数の変動を小さくすることも重要であり、最も客観的で合理的なのは、出力を一定にして走ることである。プロのトップレーサーは、三五十ワットで時速四十キロを超える巡航を数時間持続する。
一時間半程度のヒルクライムを得意とする陽子は、ロングライドは実は少々自信がないが、それを口には出さない。向かい風さえなければ、三十キロ巡航は百三十ワット前後で済むはずなのだが。
淡路市から洲本市に入った。タイムは予定通り。島の南東区間にコンビニはなく、洲浜橋を越えて由良の手前までの間にあるコンビニが、最後の補給ポイントであり、サイクリストの出入が多く、空気入れも貸してくれる。
(でも、なんで陽子は、こんなに物事に夢中になれるんだろう。わたしなんて、いつも流されるままに、今まで生きて来た気がする。今もだけど)
*
紗弥の前方百メートルほどに、トライアスロンの練習らしい、涙滴状のエアロヘルメットが確認できた。トライアスロンバイクは、高速巡航に特化した形状と性能を有するが、機動性ではロードバイクの圧勝であり、ヴェンジは空力性能も互角以上である。
前を走る美津根が、右手の掌で、先に行けと合図をする。紗弥はフェイスマスクを外して背中のポケットに入れた。肘を折りたたんで顔の前で合掌するようなエアロポジションから、下ハンドルに握り替え、ギヤを一枚落としてケイデンスを二十上げ、次にギヤを上げて時速四十五キロまで加速する。心拍一七一、瞬間パワーは七三八ワットを示した。自分がマシンの一部になる、これは紗弥がかつての相棒、二百馬力のニンジャ一四〇〇を降りて以来、忘れていた感覚だった。
高校の陸上部、三年の夏にインターハイ予選で燃え尽きた紗弥は、大型二輪免許を取り、ネットで仲間を募集していたチームに参加した。折々のツーリングは楽しく、淡路島の道はほとんど走り尽くした。信号無視や蛇行、併走などの共同危険行為はしたことがないが、後を付けてきたパトカーが、白バイを連れていないことと、レーダー波を発していないのを確認してから、スロットルを一万回転まで吹かして、ぶっちぎるという悪戯は何度かやった。
紗弥の彼氏がいなくなって、バイク仲間からの誘いは潮が引くようになくなった。もう、あの頃のように、風を引き裂いて走ることはないだろうと思っていた。でも今は違う。自分がマシンと一体化し、マシンは風となって、流れ飛ぶ景色を過去へ過去へと置き去りにしていく。トライアスロンの選手をいつ追い抜いたのかは気づかなかった。エンジンは自分自身。ペダルを回すたびに、体の内側から熱いエネルギーが湧いてくる。
「これだ、この感じ。誰が相手だろうと、絶対負けない」
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ヴェントエンジェルの先頭を任されたミドリは、愛車ルーベの油圧ダンパーのダイヤルを、ハードモードへ回した。アメリカ製のこのマシンは、ヨーロッパのパヴェ(石畳)を誰よりも速く駆け抜けるために開発された。日本の舗装路では、このフューチャーショック機構の効果は感じにくいが、細かい振動を吸収してくれるので、ロングライドで乗り手の消耗を抑える。後ろのメグもちゃんと付いてきている。
後尾を走るシホのフランス製マシンは、ツールドフランスの山岳ステージの名を冠したアルプデュエズ。フロントフォークに振り子状のダンパーを内蔵し、路面の振動を、その慣性で相殺する、世界唯一のアクティブフォークを持つ。ビロードのような乗り心地が一般サイクリストの垂涎であるが、本来はフロントホイールを路面に追従させることで、高速での下りを安定させる、レースのためのシステムである。いける、この調子で十時までに岩屋に戻れば。シホがそう思った時、メグが叫んだ。
「すいませーん、次のコンビニで停まってください。日焼け止め、塗り直さないと」
*
個人タイムトライアルにしては長すぎる。ソロライドは、レースと違って、ライン取りで苦労せずに済むが。ツールドフランスの歴史では、二百キロ以上を一人で逃げ切ってステージ優勝した選手がいるが、百年以上の歴史でせいぜい三人ほどである。荻原真理子は、深い前傾姿勢のまま、フロントアウター五十T、リヤスプロケット十五T、ケイデンス九十で、巡航時速三十八キロを維持し、島の東部を走り切った。
イタリアの誇るスプリンター、チポッリーニが、選手引退後に精魂を注ぎ込み開発したオールラウンドマシン。フロントフォークにThe Oneのロゴを誇らしげに記してある。東レ一〇〇〇カーボンの高剛性フレームは、乗り手の力と意志を、そのまま推進力に変える。
淡路島の山岳ルートは、最大勾配十三パーセント程度である。標高二千メートルを超えるステージが連続する、グランツールには比べるべくもない。しょせんはアマチュアサイクリストのレクレーション。インナーギヤが使えなかろうが、日本でトップの称号は、どんな条件下でも譲れない。
ノンストップのまま、立川水仙峡から下り、県道七六号を海沿いに西進する。モンキーセンターから座礁船ポイントを過ぎ、再び山岳ルート、灘土庄に入る。自転車を押しているサイクリストを尻目に、ローギヤ二五Tで、ケイデンス八十、時速二十キロ以上をキープする。阿万下町交差点を左折して県道二五号線に入れば、エイドポイントに設定した福良の町はすぐそこだ。おそらく美津根たちより十六分縮めた。岩屋までの西海岸ルートで、あと十四分削る。
「待っててね、病院のお二人さん。必ず願いを届けるわ」
*
道の駅あわじの駐車場で、ハチケンは腕を組んだまま、首をひねっていた。傍らの音塚閃太郎が、後を付いて行かなくていいんですかと尋ねるが、それは許されないだろう。サポートはあくまでトランジットの移動だけだ。あとは何が起きても、自分たちで解決しなければならない。
「亜弓ちゃん、多分、あのままだと完走できないな」
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