第6話 深夜のスカイプ(後)
陽子のマンションには光ケーブルが引いてあるので、ネット環境は良好である。夜中にスカイプをかけてきた田中君世は、ディスプレイの片隅に、陽子に似た、目鼻立ちが整って、陽子と同じセミロングのストレートヘアの三十前後の女性が映り込んでいることに気づき、妹さんかな?と思ったが、あいさつよりもとにかく、この重大な事実を一刻も早く友人に伝えなければという思いが強くて、スルーしたままである。
一方の陽子は、大好きな妹を友人に紹介したいという気持ちは持っていたが、なにぶん冒頭から訳の分からない話に巻き込まれ、斜め後ろで見守っている亜弓のことまで構っていられなくなった。
陽子は、自分でもお人好しの方だとは思うが、これ見よがしの詐欺にひっかかるほど抜けてはいないとの自負はある。何でも願いが叶いますと言われて、一瞬、先物取引の勧誘電話を連想し、それが本当なら、まず君世さんが、どうぞ叶えてくださいな、と言いかけた。しかしまあ、友人に対して大人げないと思ったのと、君世に一切悪意はなさそうなので、もうしばらく話に付き合うことにした。彼女によれば、この話の前提として、陰陽五行説の基本を知っておくことは、現代人にとって必要であり、むしろ必須の教養にしたいらしい。
世界が生まれたばかりで混沌とした状態を太極と呼ぶ。そのカオスから乾為天といって、陽たる天が生まれ、続いて坤為地といって、陰たる地が生じた。細胞分裂のごとく、陰陽は続いて四象に分かれた。青龍、朱雀、白虎、玄武の四神は、四象の化身である。四象はさらに乾兌離震巽坎艮坤という先天八卦に分かれ、これは天地雷風水火山沢に対応する万物生成の過程である。さらにこの八掛け八の六十四通りの卦が森羅万象を表し、それと併せて木火土金水の五行との組み合わせにより、世の中のすべてが説明できる。このような易経に示された枠組みは、まさに古事記の序文にも全く同様に明記されている。要は、古事記は易経の原理に則って書かれているということらしいが、前フリの長さと難解さに、陽子は寝落ちしそうになる。
「ここからよ、陽ちゃん、よく聞いてね。まず、五行の木に対応するのは春、続いて火が夏、土は年に四度ある土用、金は秋、そして水は冬に対応するの。つまり夏至の日には天地の火の気が最大に達する。ここまでいいわね」
陽子は、紫外線の量をイメージして、そうね、真夏と思われている七月や八月より、夏至の頃の方が、日焼け要注意だしね、とぼんやり考えた。君世は若干もどかしそうに、それでも理路整然と話を続ける。
「八卦は順序が厳密に決まってるわけ。最後から二番目の六十三番目が水火既済って言って、完成とか終わりを意味するのよね。ところが、最後の六十四番目は火水未済っていうことで、終わりだけど始まりにつながるの。
アラビア数字の8じゃなくて、無限の記号、∞の形。ちょうど琵琶湖と淡路島が、一つの巨大な地上絵になるんじゃないかってことは、昔から言われてたんだけど、単なる平面じゃなくて、一周裏返ってねじれた、メビウスの輪として立体的な対称形になっているの。中華街で売ってた羅盤で検証したけれど、方位的にも夏至の気の流れ、龍脈とぴったり一致するのよね」
突然話に琵琶湖と淡路島が出てきて、亜弓は眠気が覚めた。琵琶湖の地面部分をえぐって裏返し、瀬戸内海に埋め立てたら淡路島になるって、小学生レベルの思いつきじゃない?いつもは亜弓にツッコまれるばかりのボケ役の陽子であるが、ここは東大卒の才媛のムー的妄想にツッコミたくなる。
「ほら、この日本地図。見える?この二つの円、円っていっても琵琶とか下ぶくれの茄子みたいだけど、この二つの先っぽをぐいっと引き延ばしてつながる交点、すなわちメビウスの輪の中心がちょうど西宮神社になるわけ。全国に何千もある戎神社の総本社がなんで西宮なんだろうって、前から思ってたけど、風水の位置的にここしかないのよ。陽子の家からわりと近いじゃない。ここに神秘の力が今も封印されているの」
思わず身振り手振りを交えた君世の早口は、ディスプレイ越しにも高揚感が伝わってくる。西宮の戎神社なら、陽子も初詣に行ったことがある。
「古事記以前にはね、天武天皇に屈服した地方の豪族たちの中に、とんでもない宝物があったんだよ。三種の神器に匹敵する、あるいはそれを超えてしまうほどの。それは剣とか玉とか鏡じゃなくて、呪術の秘伝書。それ自体は天武に奉納って形で歴史の闇に葬られて、今も残されているのかは分からない。けれど、その内容に迫るヒントが古事記の中に、何重にもオブラートに包まれた形で記されているの。すごい力の正体が」
君世の話では、日の出から日没までの間、夏至の持つ火のエネルギーが活性化しているうちに、
そしてこれは自分の足、力で走らないと意味がない。なぜなら、この行は伊弉諾と伊弉冉の真の長男であるにもかかわらず、疎まれて流されてしまった
封印された蝦夷は、本来は大地を統べる選ばれし者であった。しかし、その異能者、すなわち超能力者としての、並はずれた力を危険なものと見なした時の為政者が、彼を祀るという名目で隔離幽閉して封印し、今日まで千数百年過ぎた。今まで誰も成し得なかったが、この巨大なパワースポットで練った十分な陽気と陰気を同時に注ぎ込むことによって、蝦夷の持つ本来の力が解放されるというのが、君世が解明した古文書の謎であった。
戎すなわち蝦夷が商売繁盛の神とされているのは、神社としての体裁を保つためのカモフラージュに過ぎない。陰陽の気が蝦夷の霊力と呼応し、時空が統合される。表と裏が一体化するメビウスの輪の交点において、過去が未来に、未来が過去に、この場所と世界の果てが同化して、混沌の中に太極を見出し、無限の力を授かるのだという。
ファンタジー好きな陽子にとっても、やはり眉唾としか思えない荒唐無稽な話であるが、最後の肝心なところが分からない。
「無限の力って、・・・なに?」
君世は一瞬口を閉じ、ちょっとうつむいてから前髪をかき上げながら言い切った。
「いのち、と時間。私には、そこまでしか分からない。不死の命を得られるとか、過去をやり直して、この世を思うままに支配するとか」
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