第73話 ー好事魔多しー

「よーし、15連勝だ! 今なら何をやっても上手くいくぞ!!!」


 俺は意を決して北原さんを夜の公園に誘い出して、交際を申し込んだ。


「き、北原さん! 俺と、つ、つ、付き合って下さい!」

「鈴木くん、ごめんね、わたし付き合ってる人居るんだ。」

「えぇ!?」

「紹介するね、わたしの彼氏の佐々木君。」

「さ、さ、佐々木ぃ!?」


 冷や汗と共に目覚めると、半開きの目をこすって部屋の中を確認する。

 安普請やすぶしんの内装と脱ぎ散らかしたワイシャツやネクタイが目に入り、一気に日常に引き戻された。

 枕元の目覚ましが怒鳴り出す前にストップボタンを押すと、狭苦しいユニットバスの熱いシャワーで体を目覚めさせる。

 意識がすっきりしてくると共に、起き抜けに見た夢が思い出されて思わず苦笑を漏らした。


(でも、そろそろ、本当に告白しちゃってもいいかもな…)


 妄想の世界に浸りながら朝食を済ませると、いつもより念入りに髪をセットして家を出た。

 いつもより早く行って、始業前の北原さんとの2人きりの楽しい時間を満喫しようと思っていたが、通勤ラッシュより随分早いというのに、駅が随分混雑している。


『北武動物公園駅での人身事故の影響で大幅な遅れが発生しております』


 幸先の良い朝のスタートをぶち壊すにするアナウンスだ。

 顔をしかめながら改札を通過した俺は、ありの入る隙間もなさそうな満員電車を数本見送ってやっとの思いで電車に滑り込む。

 たっぷりいつもの3倍の時間を掛けて運行する電車に揺られて、会社に着いた時には既に始業時間を5分オーバーしていた。

 電車に責任転嫁したのが気に食わなかったのか、課長の小島に書類で頭を叩かれて、せっかくのセットも台無しだ。


 その後も小さなアンラッキーが続き、極め付けは終業後のキャッチボールだ。

 朝から何とかして北原さんといい雰囲気に持ち込もうとしていた俺が、気合いを入れて左足を高々と上げた瞬間だった。


「ピリッ」


 小さな音が聞こえた瞬間、北原さんが笑い転げてしまったのだ。


「鈴木くん、お尻~!あははは~」


 何事かと臀部でんぶまさぐる俺の手に、スラックスがパックリ割れた感触が伝わって来る。


 結局、その日の投球練習はそこでお開きになり、社用車を会社に戻すついでに、営業社員にも支給されているロッカーに仕舞いっぱなしの作業服に着替えて帰る事になった。

 帰りの車中、恥ずかしさで顔を真っ赤にしていると、北原さんはクスクスと思い出し笑いをしている。


「もう、笑わないで下さいよ、めっちゃ恥ずかしいんですから!」

「ごめんごめん、でもあんなに綺麗に割れるの初めて見たから」


 我慢しているのだろうが、顔はニヤニヤを隠し切れない。


「ここんとこずっとノッてたのに、今日はなんかツイてないんですよね~」


 俺のつぶやきを聞いて、北原さんが急に真面目な顔で説教を始めた。


「鈴木くん、好事こうじ魔多まおおしだよ!」

こうじ魔王まおうし?」


 聞き返す俺に呆れた様な口調で返す。


好事こうじ魔多まおおし! いい事が続いてる時ほど邪魔が入りやすいって意味よ。

 だから、そういう時ほど不測の事態に備えて準備しとかないといけないの!」

「あ、好事こうじ魔多まおおしですね! 口で言われると分かんないですよ!」

「文脈で分かりなさい!って言うか本当に気を付けなさいよ、客先でパックリ割れたらわたしまで恥ずかしいんだからね!」

「その時は北原さんがハンカチで隠して下さいよ!」

「やだよ!!」


 最後は冗談めかして終わってくれたが、その時の俺は本当の意味でその言葉を理解してはいなかった。

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