第68話 Visit(お見舞い)

 不穏ふおんな空気を感じながら、騒がしい部屋を出ると、店の廊下で俺の姿をした佐々木が誰かと電話で話をしている。


「どうしたの?」

「ウチのファンのくん、知ってますよね?彼のお母さんからです」

 

 俺の問いかけに短く答えると、再び通話を再開する。


くんのお母さん?まさかくんに何か??)


 不安げな俺の視線を浴びながら佐々木は電話で何やら確認している。


「はぁ、はい、明日ですか、午後でしたら東京に戻ってますけど…、ちょっと待ってください」


 佐々木は俺の方を向き直ると明日の予定を聞いてくる。


「明日午後何か予定入ってます?」

「いや、大丈夫だよ」


 俺の返事を確認すると、再びきたはらくんのお母さんと話を始める。


「はい、大丈夫だそうです、場所はどこですか? 荒川総合病院、はい、分かりました、では明日」

「なに?くんどうしたの??」

「詳しい事は分かりません。

 どうやら重い病気みたいなんですけど、手術を嫌がってるみたいで、お母さんにお見舞いに来てくれないかって頼み込まれちゃって…。

 明日は移動日でオフだし、鈴木さん、あの子と仲良かったみたいだから、ごめんなさい、勝手に約束しちゃって」

「いや、いいんだよ、そんな事ならぜひ行きたいよ、荒川総合病院?」

「はい」


 住所を確認していると、酔っぱらった有田に呼び戻され、落ち着かない気分のまま一次会を過ごす羽目になった。



**********


 翌日の新幹線で東京に戻ると、寮の部屋に荷物を置いて、タクシーを拾って荒川総合病院に向かう。

 途中で果物店によって適当に見繕みつくろってもらうと、病院の正面玄関の車回しに駐車したタクシーから、お釣りも受け取らずに転がる様にまろび出る。

 自動ドアが開くのさえもどかしげに正面受付に飛び込むと、きたはらくんの病室を訪ねた。

 分かりづらい説明と複雑な構造に迷子になりそうだったが、なんとか目的の病室にたどり着く。

 ネームプレートを確認すると【北原きたはら まもる】と書いてある。

 漢字で書いてあると随分硬い印象だが、間違いない。

 一つ大きく深呼吸して呼吸を落ち着けると、果物を手に病室の扉をノックして中に入った。

 4人部屋だが、使われているのは3床の様だ。

 右側の窓際に見覚えのある優しそうな女性が座っているのが見えた。

 その女性は俺の姿に気付くと、立ち上がって申し訳なさそうに会釈をする。


「わがまま言ってわざわざ来ていただいて申し訳ありません」

「いえ、とんでもないです、あ、Loosersの佐々木です」

「ほら、まもる! 佐々木さんがいらしてくれたわよ」


(ユニフォームで来ればよかったかな?)


 そんな事を思いながら、ベッドに近づくときたはらくんに笑顔を見せて、果物を差し出す。


「まもるくん、こんにちは!果物持ってきたから後で食べてね」

「うん…ありがとう」


 きたはらくんは生気のない表情で弱々しく返事を返す。


「昨日の試合見てくれたかな?俺ナックルカーブを覚えたんだよ!」

「うん、見てた…」


 俺はポケットからボールを取り出してきたはらくんに手渡す。


「ほら、これ昨日のウイニングボール!まもるくんにあげようと思って持ってきたんだ」

「貰っていいの?」


 きたはらくんはお母さんの方を向いて同意を求める。


「いただきなさい」

「やったぁ!」


 母親の同意を得てようやくきたはらくんにも笑顔が戻ったかに思えたが、続けざまに言った俺の一言にきたはらくんの表情が曇る。


「俺、次の試合も頑張るから、元気になってまた応援に来てよ」

「う、うん…」


(え?マズかったか?)


 戸惑う俺を見て、お母さんが席を立って付いて来るように促す。


「ちょっと待っててね」


 きたはらくんに告げると後に続いて部屋を出た。

 フロアの中央にある談話コーナーに着くと、お母さんが給茶機からカップにお茶を淹れて差し出す。

 それを受け取って、端の方のテーブルに移動すると、お母さんが重い口を開いて話し始めた。


「あの子、小児がんなんです」

「え?」


 絶句した俺が落ち着くのを待って、お母さんは続きを話し始めた。


「小児がんと言っても色々あるそうなんですけど、ウチの子のは『神経芽腫』というらしいんです。

 幸い早期発見できたので早いうちに手術すれば生存確率も高いそうなんですけど…」


 そんな重い病気だとは思わなかった俺は、軽はずみに『元気になったら』などと言ってしまった事を後悔する。


「まもるくんは自分ががんだって知ってるんですか?」

「伝えてあります。これからずっと付き合い続ける事になるかもしれない病気ですから」


 お母さんの目からこらえ切れずに涙がこぼれ落ちる。

 愛する我が子に業を背負わせる事を自分のせいだと思っているのだろう、今の俺には掛ける言葉も見当たらない。

 そのまま落ち着くのを待って質問を続ける。


「まもるくんは、手術受けるの嫌がってるんですか?」

「えぇ、あの子臆病な所があるから…」


 それはそうだろう、俺だって体にメスを入れるなんてまっぴらだ、ましてやきたはらくんはまだ幼い子どもなのだ。

 しかも、骨折や胃潰瘍かいようのような成功して当たり前で失敗したら叩かれるというたぐいの手術ではない。

 俺は掛ける言葉も見当たらないまま、お母さんに続いて病室に戻った。


「お母さんから聞いた? 僕…なんだ」


 病室に戻るなり、いきなり本人から切り出されては、考える間もない。

 俺はありのままの心でこの少年と対峙する事に決めた。

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