第63話 -ゲームセット-

 事態は混迷こんめいの様相をていしていたが、とにかく第一目標は達成した。

 しかし、やることはまだ山積みだ、こんな所でモタついてる場合ではない。


(とにかく今は逃げないと!)


 軽い脳しんとうを起こしているのだろうか、ぼんやりと焦点の定まらない目をしている木寺を、物陰に置いてある事業ごみの袋の山に引きずり倒すと、憎まれ口を浴びせつける。


「このボケッ、お前こそもう二度と北原さんに近づくんじゃねぇ!!」


 レクサスの方を見ると、野田が佐々木を引っ張ってハイエースに向かっていた。

 石田と呼ばれていた女性を見ると、物陰でごみ袋に埋もれる木寺に憎悪ぞうおの視線を向けている。

 佐々木と木寺の共通の知り合いという事は、この石田が例の被害に遭ったマネージャーなのだろう。

 PTSDの可能性を考慮して、彼女には手を触れずに小声で撤退を促す。


「行きましょう、向こうで佐々木が待ってる」


 石田はハッとしてこちらを振り向いたあと、意を決したように俺の後ろをついて来た。

 ハイエースに戻ると、助手席から野田が顔をのぞかせる。


「石田さん、久しぶり! 詳しい話は中で佐々木に聞いてな!

 鈴木さんは運転席や!」


 佐々木と石田を二人きりにしてあげようという野田なりの配慮なのだろう。

 俺がリアのドアを開けて石田に中に入るよう促すと、一瞬の躊躇ためらいを見せたが、すぐに乗り込む。

 ドアを閉める俺の目に、佐々木が瞳をうるわせて再開の挨拶をするのが映った。


 俺は木寺の方を気にしながら隠れる様にハイエースの運転席に滑り込む。


「木寺から見られてたかな?」

「その心配はないやろ、アイツならまだノビとんで」

「で、データは?」

「大成功や、とりあえず…せやな、例のバッセンの駐車場に向かいましょか?

 ワイは移動しながらこのパソコンで作業しますんで」

「了解!」


 俺はキーを回してアクセルをゆっくり踏むと、後席の二人の邪魔をしないように、安全運転でバッセンに向かう。

 車中では野田が感嘆かんたんうめきを漏らしている。


「これはええわ、思った以上や!」

「野田さん、まずは例の写真と動画を消してくださいよ!」

「心配あらへん、それはいの一番で済ませときましたわ」

「じゃあ、あの写真と動画は?」

「もう世界中のどこにも存在せぇへんで」

「ひゃっほうい!」


(これで北原さんを苦しみから解放してあげられる!)

 ここ数日の重々しい気分が吹き飛んで、野田にすら投げキッスを送りたい気分だ。


「ついでに昨日のラブホの女性のデータも…」

「もちろん消しといた」

「良かった、何とかして本人にその事伝えてあげたい所だけどね」

「その必要はないんちゃいます? ウチらが伝えんでも新聞・ニュースで知る事になるで」

「と言うと?」

「木寺個人に対しては、の他にでも起訴できるとして、何故か例の中華系企業のの証拠も持っとったんや。

 恐らくいざと言う時に裏切られないための切り札として手に入れたんやろな」

「その粉飾決算の証拠をどうするの?」

流出させます。

 そしたら、木寺は中華系企業からも恨まれる事になりますんで、もうお天道様の下は歩かれしまへんよ」

「野田さん、ナイス!」


 本音を言うと、さっきの膝蹴ひざげりとパンチのお礼にブン殴ってやりたい所だが、これからの木寺の悲惨な人生と引き換えで手を打つ。

 奥さんと子どもの事を思うと多少胸が痛んだが、こればっかりは仕方ない。


「警察の企業犯罪専門部署の知り合いに木寺の件をメールしたら、その中華系企業はマークしてたらしいから、すぐ動くそうですわ。

 明日のニュースが楽しみやで」

「やったね!」


 俺は運転中なので、左手だけで野田とハイタッチした。



**********


 30分程車を走らせて、例のバッセンに着いた。

 俺と野田が車を降りて伸びをしていると、リアのドアが開いて佐々木と石田が降りてくる。

 2人共泣き腫らした目がまだ真っ赤だったが、表情はスッキリしている。

 どういう話をしたのかは分からないし聞く気もないが、表情を見るにきっと心の中のモヤモヤは晴れているのだろう。


「石田さん、なんであんな所におったん?」

「今日はあの先のクリニックでカウンセリングの日だったんです、それであそこの前を通りかかったら『うるさい』って大きな声が聞こえて…」


 木寺をレクサスから引き離す為にわざと大声を出したのをたまたま耳にしたようだ、それがなかったら作戦は失敗していたかもしれない。

 俺は偶然に感謝した。


「それで、見てみたら木寺がその人と言い争ってて、気付いたら私…」


 口ごもる石田を気遣って佐々木が口を開く。


「そんな事より、あの…例の写真は?」

「全部消した、もう世界中どこ探してもあらへんで」


 野田の言葉に安心したのか、石田が佐々木の背中に顔を預けて泣き崩れる。

 俺達は石田が泣き止むまでの間に、車中で話した事を2人にも伝えた。


「そんな訳やから安心せい、これでもう木寺はお終いや、ゲームセットや」

「良かった。ほんとうに…良かった」


 心からほっとしたように胸をなでおろす佐々木に、石田が改めて感謝を伝える。


「佐々木君、ありがとう、わたしの為に頑張ってくれて、本当にありがとう」

「いや、そんな、僕は、ただ…」


 困った様に照れる佐々木を微笑ましく眺めていた野田が、思い出した様に石田に話しかけた。


「せや、石田さん! 佐々木、また野球始めたんやで!」

「えっ!?本当に? 良かったね~、佐々木君!」

「あ、いや、始めたって言ってもまだキャッチボールだけで、しかもブルペンキャッチャーなんですよ」


 佐々木は困った様に言い訳をする。


「佐々木君がキャッチャー!? 誰の球受けてるの?」


 3人の目線が、今までニコニコとやり取りを見ていた俺に集中する。

 俺は石田の事をなんとなく聞いていたが、石田にとって俺は謎の男だ。


(やべ、自己紹介しなきゃ!)

「あ、あの、初めまして、申し遅れました、私、佐々木君のの鈴木と申します」


 焦って変な自己紹介をしてしまい、その場が笑いに包まれる。


「そう、こちらの鈴木さん」

「あら、新しいお友達も出来て良かったわね、佐々木君」

「石田さん、もう高校生じゃないんだから、いつまでも子ども扱いしないで下さいよ!」


 2人の微笑ましいやり取りを見て俺は確信した、この2人ならきっと大丈夫だ。

 胸に暖かいものがこみあげて来た俺は佐々木を誘う。


「佐々木君、キャッチボールして帰ろうよ!」

「はい!」

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