第49話 -真夜中の邂逅-

「鈴木くん、わたしの【辞表】を顧客名簿こきゃくめいぼか何かだと思ったんでしょ?」


 駅までの道すがら、北原さんが悪戯いたずらな笑みを浮かべ上目遣いで聞いてくる。


「ま、まさか! だいたい今時紙の資料を盗む産業スパイも居ないでしょ!」

「それがねぇ、そうでもないらしいんだよ」

「え?」

「アイツが言ってたんだけどね、セキュリティーが進化したら必ずハッキング技術も進化してキリがないから、最近はあえてネットを切ったパソコンとか、昔ながらの紙ベースを選ぶ企業も増えてるんだって」

「へぇ、じゃあウチも紆余曲折うよきょくせつあって紙で管理してるんですね!」


 感慨深げに感心してみせる俺を見て、北原さんは口元に笑みを浮かべ楽しそうに否定する。


「ウチはただ遅れてるだけだよ~!」


 いつもの北原さんに戻りつつあるのが感じられて、嬉しさのあまり、ついつい話に夢中になっていると、いつの間にかもう駅だ。

 自分からお別れの挨拶をするのが勿体なくて黙っていると、北原さんの方から口を開いた。


「鈴木くん…、無理しないでね」

「はい!」


 即答したが、もちろんこれは嘘だ。

 反対方面の電車に乗り込む北原さんに向かって笑顔で手を振ると、自分は電車に乗らず改札を出てアパートまで小一時間歩く。

 北原さんをこんな目に合わせた木寺の野郎だけは許せない、何だってやってやる。


(例え刑務所に入る事になっても…)


 陰惨な決意を固めたが、実際のところ何をどうすればいいのか分からない。


(木寺の所に乗り込むか? いや、それは最終手段だ、まずは写真と動画をどうにかしなきゃ…、でもどうやって?)


 降って湧いたような話に考えがまとまらず、脳がオーバーヒートしそうだ。

 気がついたらアパートの近くの河川敷まで来ていた。

 消えかけの街頭に薄く照らされた河川敷に降りると、冷たい夜風が熱くなった脳みそを冷やしてくれる。

 俺は足元の石粒を拾い上げると川に向かって思い切り投げつけた。


「パシャッ」


 水面みなもに広がる飛沫しぶきが月明かりに照らされ白く輝く。

 俺は次々と石を拾っては無心で投げ続けていたが、拾う石も無くなりかけた頃、突然、背後から声を掛けられた。


「鈴木さん?」

「ひゃぁっい!」


 振り返ると190cmはあろうかという大男が後ろに立っている。


(強盗?殺される?)

 ビビりまくっていると、大男が親しみを込めて話しかけてきた。


「やっぱり鈴木さんだ、何やってるんですか?」


 街灯の薄明かりに照らされた見覚えのある顔を見て安堵の息を漏らす。


「佐々木くんじゃないか!驚かさないでよ~」

「いや、驚いたのはこっちですよ、こんな深夜に川で石投げまくってる人がいるから関わらない様にしようと思ったけど、よく見たら鈴木さん?って」

「いや、はは、ちょっとね。 佐々木くんはこんな時間まで仕事?」

「えぇ、吉本社長、人使い荒いんで」

「ははは、それは俺も身に染みてる」


 俺と佐々木は顔を見合わせて笑い合った。


「鈴木さんは、何でこんな時間に石投げてたんですか?見た感じ練習って感じじゃなさそうだし」


 佐々木はもう1人の俺と言っていい存在だ、親近感を超えた感情を抱いているし、俺1人の知恵でこの局面を打開できるとはとても思えない。

 それに佐々木が務める吉本ファンドは買収からウチを救ってくれたホワイトナイトだから全く関係のない話とも言えまい。

 迷いに迷ったが、北原さんの不倫とリベンジポルノの事は隠して話をする事にした。


「ほら、ウチを買収しようとしてた例の中華系企業がさ、先輩社員の弱みを握ってそれで脅して産業スパイさせようとしてるんだよ。先輩は断るつもりだからあと一週間の間にその弱みを握りつぶさないと、先輩会社に居られなくなるんだよ」


 話してるウチに木寺への怒りが溢れ出し、つい罵声をあげてしまう。


「くそっ、木寺の野郎!!」

「え?木寺?木寺って木寺きでら尚拾たかひろですか?」


 佐々木が血相を変えて食いついてきた。


「確かそんな名前だったと思うけど、日焼けしたニヤけ面の…、ウチの買収の時にも裏で動いてたって」

「間違いない、そいつですよ!クソッ、あの野郎!」

「さ、佐々木くん、急にどうしたの?」


 佐々木は怒りの声をあげたきり何やら思案げに黙り込んでいたが、おもむろに向き直って話し始める。


「鈴木さん、先輩社員ってもしかして女性じゃないですか?」

「う、うん」

「やっぱりか…」

 佐々木は自分の考えに確信を持ったように頷いている。


「なんで分かったの?」


 俺の質問には答えずに、佐々木は次の質問を投げかける。

「その先輩社員の弱みって、写真と動画ですか?」


 俺は驚きに目を見開いて呆然と答える。

「な、なんで分かったの?」


 佐々木は目に爛々らんらんと怒りの炎をたぎらせながら吐き捨てる様に答えた。

「ディープフェイクですよ」

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