産業スパイ編

第46話 ー産業スパイー

「今日は打たせて取るピッチングを心掛けました!

 野手の皆さんに後ろをお任せして、新人王を取りにいきます!!」


 ビッグマウスでヒーローインタビューを終えてお立ち台を降り、満場の観客に笑顔で手を振っていると、アナウンサーが肩を掴んで呼び止めてきた。

 不審に思いつつも振り返ると、そこには北原さんが居る。


「へ?北原さん??」


 戸惑う俺に、北原さんは妖艶ようえんな笑顔でマイクを差し向ける。


「わたしのハートも取りに来てくれるの?」

「お、お、俺…!!北原さんっ!!!」


 大観衆の前でも構わずに抱きしめようとした俺の腕は宙を切り、勢いで目が覚めた俺は、くたびれた抱き枕を折れんばかりに抱きしめていた。

 気恥ずかしさを感じながら枕元の時計を見ると、デジタルの表示はAM6:24を示している。


 卓上湯沸かしに水を入れてスイッチを入れると、冷凍庫から凍らせたご飯を取り出し、タッパーごと電子レンジに放り込んだ。

 解凍している間に、シャワーで強制的に体を目覚めさせる。

 バスタオルで体を拭い下着だけ着けると、冷蔵庫から納豆のパックを取り出し、みじん切りした玉ねぎとチューブのにんにく・麺つゆを掛けてかき混ぜて、電子レンジから取り出したご飯にぶっかけた。

 お椀にインスタントの味噌汁を入れてお湯を注ぐと、香ばしい香りが食欲をそそる。


 健康に気を遣って、こっちでも朝ごはんをきちんと食べる様にしようと思ったが、まだ朝から調理するまでは至っていない。

 スタミナの付きそうな納豆ご飯の朝食を済ませ、後片付けと身支度を手早く整えると、安物のスーツに身を包み、会社へと向かった。



************


「おはようございま~す」


 最近は俺が一番乗りだから挨拶して入室する必要はないのだが、なんとなく習慣でそうしている。

 北原さんはめっきり出勤時間が遅くなり、ギリギリに飛び込んで来ることが多くなった。

 今日も始業時間にギリギリ間に合う様に伏し目がちに出社してきた北原さんと、気まずい空気のまま外回りのルーティーンをこなす。

 表面上の会話に終始する俺と北原さんの間には、まるで透明の膜でも挟んだかの様な見た目以上の距離感があった。

 外回りを終えて夕方に事務所に戻ると、北原さんは手早く報告書と日報をまとめ、タイムカードを押して帰って行く。


 そんな北原さんの後ろ姿が見えなくなると、課長の小島がスケベそうな顔で聞いてきた。


「北原のヤツ、最近帰りが早いなぁ、彼氏が出来たかのか?

 鈴木は何か聞いてる?」

「知りませんよ!」


 憮然ぶぜんと返答する俺の答えを待つでもなく小島も帰り支度を始めている。


(興味ないなら聞くなよ!)


 よっぽど声に出したかったが、グッとこらえて帰りの挨拶のタイミングを待っていると、小島がいつもはしないデスクのをしている。


「あれ? 課長、セキュリティー強化したんですか?」


 皮肉交じりの俺の問いかけだったが、小島は真面目な表情を作ると威厳いげんたっぷりに答えた。


「ウチを買収しようとしてた例の中華系企業な、あそこが買収失敗した企業に意趣返いしゅがえしで産業スパイ送り込んでるってもっぱらの噂だ。

 お前はまだ大した情報扱ってないけど、一応、注意しとけ」


(産業スパイ!?)


 頭の中に浮かんできた北原さんと木寺の映像を必死に打ち消すと、乱雑に報告書と日報を作成して、モヤモヤした気持ちを抱えたまま会社を出た。

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