第35話 Three challenges(三つの課題)

 東京Loosers荒川寮のプレハブ小屋と駐車場を挟んだ位置に、もう一つの大きめのプレハブ小屋がある。そこがLoosers二軍の室内練習場だ。

 室内練習場と言っても最新のトレーニング機材が置いてある訳ではなく、いつも北原さんと通っているバッセンに毛の生えたようなもので、4人が並んで投げられるブルペンと、いつからあるのか分からない様なさびだらけのバッティングマシーンが5台の他に、ウェート用の器具が申し訳程度に並ぶ小部屋があるだけだ。

 秋田などはを込めて荒川バッティングセンターと呼んでいる。


 野田との約束の朝8時30分に間に合うように、余裕を持って7時ちょうどに食堂を訪れると、寮監りょうかん兼コックの児玉が白髪交じりの角刈りにねじり鉢巻きで朝食の鮭を大量に焼いている所だった。

 いりこから出汁だしを取った味噌汁の香りが食欲をそそる。


「おはようございます!」


 不意の挨拶にも動じず鮭を焼き続ける児玉は、視線だけをこちらに送る。


「おぅ、佐々木か早いな。お前、今日からだろ?」

「はい、そうなんです!二軍は朝早いから、早起きにも慣れなきゃですね」

「早起き?なんだ?お前聞いとらんのか?」


 児玉は不思議そうに聞き返したが、やがて意味ありげにニヤけた笑みを浮かべ、楽しそうに呟く。


「そうか、野田のヤツも

「え?なんです?」

「いや、こっちの話だ、それより、鮭焼けたから焼きたて食え!」


 朝食のメニューは、鮭の塩焼きとプレーンオムレツ、野菜サラダ、きんぴらごぼうにおひたしと納豆、仕上げにもずく酢とリンゴ丸ごと1個だ。

 転生して初めての朝食の時には(プロ野球選手はこんなに食うのか)と面喰ったが、今ではこれ位食べておかないとすぐにガス欠になってしまう。

 それでなくても、児玉はいかつい顔に似合わず繊細な味付けをするので、箸が進む。

 ゆっくり咀嚼そしゃくして消化を良くしながら全て平らげると、トレーを下げ、児玉にお礼を言う。


「美味しかったっす!ご馳走様です!」


 挨拶をして食堂を出ようとした俺の背中に児玉が声をかけてきた。


「おい、ちょっと待て」

「はい?なんすか?」

「グランド行く時そのリュック持って行け、野田から頼まれてたもんだ」


 児玉がアゴをしゃくって指示したそのリュックは、80リットルはありそうなバカデカい登山用のもので、しかも、中身がパンパンに詰まっていた。


「なんすか、これ?」


 驚いた様子の俺の顔が面白かったのか、児玉はカッカッと笑いながら答える。


「お前の秘密特訓に必要なものだよ」


 背負ってみると、肩が抜けそうに重い。


「まさか、スポ根みたいに、これ背負ってランニングじゃないでしょうね?」

「行けば分かるさ、カッカッカ」


 児玉は答えの代わりに高笑いを返した。


**********


 約束の時間の30分前に室内練習場のブルペンを覗いてみると、野田が何やら撮影機材の様なものをセッティングしていた。


「監督、おはようございます!」


 声をかけると、野田は張り出した下っ腹を揺らして、柔和な笑顔を返す。


「おはよう!児玉さんからリュック貰って来た?」

「あ、はい」


(まさか、本当にこれ背負って練習じゃないよな?)


 不安げにリュックを掲げてみせると、野田はチラッと見ただけで俺を手招きで呼び寄せた。


「リュックはその辺置いといて、こっち来て」


 大いに安心した俺は足取りも軽くマウンドに向かう。


「ピッチングフォームの撮影ですか?」

「そうそう、俺、怪我で現役引退した後、一昨年まで筑波大で人体工学の研究やってたんだよね」

「えっ?そうだったんですか?」


 まさか、こんなオンボロ練習場でそんな最先端の事をやるとは夢にも思わなかったので、テンションが上がる。


(やっぱ、もうスポ根の時代じゃないよね)


 すっかり安心しきった俺に野田が向き直って話し始めた。


「佐々木くん、君の二軍での課題は三つだ」

「はい!」

「まず一つ目は集中力。最近の君はマウンドでピッチングに集中しきれてない事が見受けられるからね」

「は、はい、すみません」


 初っ端から痛い所を衝かれてテンションが下がる。


「もっとも、それに関しては昨日吉本さんから喝を入れられたんだろう?」

「はい、まぁ、その…そうですね」


 バツが悪そうに受け答える俺に構わず、野田が話を続ける。


「二つ目は自分の身体から出るサインに耳を傾ける練習」

「???」


「三つ目は最適なフォームの探究だ。今から君のピッチングフォームや身体のバランス機能を撮影して、君に合ったフォームに微修正すると同時に新球をマスターしてもらってだな…ん?どうした?」


 怪訝けげんな顔をしている俺に気づいた野田が説明を中断する。


「あの、一つ目と最後のは分かりましたけど、二つ目がよく分からないんですけど…」


 野田はきょとんとした顔をすると、事も無げに俺に告げた。


「あれ?児玉さんから聞いてないの? ま、いっか、これから5日間君には山籠やまごもりをして貰います」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る