第34話 Be innocent!(無心になれ!)

「あの場面はホームラン狙ってました!」


 町上の3ランホームランがそのまま決勝点となり、グラウンドでは6対4で勝利したホームチームのヒーローインタビューが続いている。


「新人王を争う佐々木投手からの一発、格別じゃないですか?」

「はい、最高でーす!明日も勝てるよ頑張ります!」


 ベンチから立ち上がる気力もなく、ヒーローインタビューの後で生意気なマスコットのペンギンとたわむれる町上の姿を眺めていると、後ろから声をかけられた。


「佐々木くん」


 振り向くと、見慣れた俺の顔がそこにあった。


「あ、鈴木さん」


 俺の姿形をしているが、中身は佐々木だ。

 ややこしい現実に触れて町上から打たれたホームランのショックが少し和らぐ。

 ショック療法ではないが、受けたショックは全く違う現実で相殺そうさいするのが一番だ。


「監督が呼んでますよ」

「あ、はい、すぐ行きます」


 俺は頭から被っていたタオルを取ると、俺の姿をした佐々木の後を重い足取りで監督室へと向かう。


「失投でしたね」

「今日は全然ダメだったよ、なんとかコントロールしようとしたんだけど指先の感覚が全然合わなくてさ…」

「そうなんですか」

「すず…、佐々木くんはそういう事なかったの?」


 俺は周囲を見回して他に人が居ない事を確認してから中身の方の名前で呼ぶ。


「もちろんありますよ」

「そういう時ってどう対処してた?」

「もうひたすら無心で投げ込みですね、そうしてると頭の感覚と体の感覚が一致する瞬間があるんです…あ」


 気まずそうに口をつぐんだ佐々木も気付いたようだ。


「頭の感覚と体の感覚か…、それってさぁ」

「大丈夫ですよ、鈴木さん、もう少し慣れればきっと僕の身体を使いこなせるようになりますって!」


 俺のつぶやきを遮るように佐々木が励ましの言葉を掛けてくれる。


「そうかなぁ」

「それに元々コントロールで勝負するピッチャーじゃないですし」

「うん…、そうだね、ありがとう佐々木くん、ちょっと元気出てきたよ」


 無理やり笑顔を作って佐々木の優しさに応えていると、もう監督室の前だ。


「じゃあ、自分はここで失礼します、頑張って下さい」


 そう言うと、佐々木は通路の奥へ消えていった。

 俺はその後ろ姿を見送ってから監督室の扉をノックする。


「監督、佐々木です」


 鈴木と名乗ろうか迷ったが、とりあえず体の方の名前で通す事にする。


「おう、入れ!」

「失礼します」


 監督室に入ると、中には吉本監督の他に見慣れない中年男がユニホームを着てソファに腰掛けている。

 俺は【佐々木】と名乗った事に胸を撫で下ろしながらも、もう一人の男から注意を逸らさない。

 血色のいい柔和にゅうわな笑顔だが、年齢からくる衰えは肌の荒れと大きく張り出したお腹に現れている。


「おう、佐々木、お前は会うの初めてだろ、こちら野田二軍監督だ」

「佐々木です、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げて挨拶すると、野田がソファから立ち上がり挨拶を返す。


「野田です、やっぱり実物はデカいねぇ、手もデカい、うんうん」


 野田は笑顔で俺の手をこねまわすように握手をしてくる。


(何だ?このおっさん)


 俺の困惑を見透かしたように吉本監督がニヤリと声を掛ける。


「佐々木、お前、明日から二軍だ」

「えっ!?」

「野田、明日からそいつを鍛え直してやってくれ」

「はい、分かりました」


 吉本と野田は俺の困惑を余所に勝手に話を進めている。


「え?明日からって、監督?」

「佐々木君、君、今荒川寮に住んでるんだろ?」

「はい…」

「じゃあ、二軍の練習場は隣だから分かるね?明日朝8時30分、時間厳守だよ」

「あ、はい」

「よし、じゃあ、私はこれで失礼します」


 野田は有無を言わさずに明日の予定を告げると、去り際に俺の肩を撫でまわして出て行った。

 俺は不信感をあらわに吉本に問いかける。


「二軍で再調整ですか?」

「そうだ」


 俺の問いに吉本は威圧感のある短い一言を返す。


「野田監督は俺と本物の佐々木の事は?」

「知らん」

「吉本監督、さっき佐々木くんとも話したんですけど、俺、頭の感覚と体の感覚が…」

「感覚だぁ?」


 先ほどの会話を伝えようとする俺を吉本が鋭い視線で黙らせた。


「それでお前は二軍での調整が無意味だと思っとるのか?」

「いや、そこまでは…」


 ズバリと言い当てられて、さすがに生意気過ぎたとしどろもどろになっていると、吉本はため息を吐きながら高級そうなハイバックのチェアに腰を沈め、ひと呼吸置いてから俺に語り掛けた。


「お前、初登板の時の事覚えてるか?」

「もちろん、覚えてます!」


 あの興奮と驚きを忘れるはずがない。


「その時お前何考えてた?」

「何って、もう無我夢中で…」


 俺はハッとした。

 そして、監督が何を伝えようとしているのか、何となく理解できた。


「じゃあ、お前今日何考えてた?」

「それはその…」


 言える訳がない、北原さんの事を考えていたのだ。


「さっきお前は頭の感覚と言ったが、それはお前が頭の中で勝手に考えて作り出した感覚だ。

 考えるんじゃない!体からの信号を感じ取れ!初登板の時にはできた事だろう?」

「はい!」

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