第12話 Slider(スライダー)
『ボールッ、フォアボールッ!』
渾身のストレートが大きく高めに外れると、審判は一塁を指さし、バッターの
スコアボードのスピード表示は【149km/h】
右腕はさっきから俺に限界を伝えてきている。
前回の対戦から1カード挟んで、今度は福岡ドームに乗り込んでの福岡ハードバンク・ホークス戦。
プロ初先発のマウンドに上がった俺は、試合前のミーティング通り7回・100球を目途に腕を振ってきた。
ここまで6イニング91球を投げて、被安打2で無失点、四球は今ので2つ目。
相手の万賀投手も好投を続け、ここまで出会い頭の1発で失った1点のみに抑え、0-1の緊迫した投手戦が続いている。
猿渡さんの派遣切りの件で、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばす快勝劇といきたかったが、俺の方はもう限界だ。
60球を過ぎた辺りから、右腕は鉛で出来ているかのように重くなり、ロージンバッグを持ち上げるのすら面倒な有様だ。
北原さんとのバッセンでは、100球投げても爽快な疲れといった感じだが、真剣勝負の中の投球がこれほど疲労を溜めるとは、完全に舐めていた。
俺はすがる様にベンチを見るが、監督は腕組みしたまま微動だにしない。
『4番・指名打者・リブパイン』
ウグイス嬢のコールに、満員の敵地・福岡ドームに大歓声が巻き起こる。
(クソッ)
俺は舌打ちをしたが、それでどうなるという訳でもない。
キャッチャーの小島を見ると1球目のサインを出していた。
初球は外角低めのスライダー。
覚えたてのスライダーは、ここまでの所有効に働いている。
俺はセットに入ると、グラブの中で握りを確認しながら、重りの付いたような腕を慎重に振り降ろした。
が、
抑えの効かないボールは真ん中に吸い込まれていく。
(ヤバイ!)
瞬間的にそう思ったが、リブパインの方は狙い球が違ったのか、思ってもみない絶好球に慌てて手を出して引っかけてくれる。
(助かったぁ…)
セカンドの真正面に力なく転がった打球は、素早く2塁に入ったショートからファーストに送られ、鈍足のリブパインを余裕を持ってダブルプレイに仕留めてくれた。
(よしっ!後は5番の外川を抑えればお役目終了だ!)
あと一人と思うと不思議と力が戻って来る。
意気揚々とバッターボックスを見下ろした俺の目の端に、相手ベンチから監督が出てくるのが映った。
(おい、まさか!?)
監督がジェスチャーで打者の交代を告げる。
(おい、やめろ、その人を出すな!)
『バッター、外川に代わりまして、猿渡、背番号53』
俺の願いもむなしく、無機質な声が打者の交代を告げると、球場は期待と失望が入り混じったどよめきに覆われ、ベンチからは小柄なずんぐり体型の選手が出て来て素振りを始めた。
俺の脳裏には、工場長室でたっぷりと叱られ、挙句に派遣切りを言い渡された猿渡の可哀そうな姿が浮かんできて、目の前の代打の選手と重なった。
同情にほだされようとした俺の耳に、きたはら君の良く通る声が聞こえてくる。
「まけるな~! ささき~!!」
(クソッ!)
俺は覚悟を決めて、キャッチャーのサインを見る。
初球は外角低めのストレートだ。
俺はセットポジションに入ると、大きく足を上げて一球目を投げ込んだ。
『ストライッ!』
外角低めに決まったストレートに、猿渡のバットはピクリと反応した。
(ストレート狙いか!?)
二球目のサインは外角のボールに外れるカーブ。
俺はグラブの中で縫い目を確認しながら、セットに入ると、思いっきり腕を振って二球目を投げ込む。
コントロールがずれ、ややすっぽ抜けたカーブが真ん中に入ったが、猿渡のバットはピクリとも動かない。
(やっぱりストレート狙い!)
キャッチャー小島の三球目のサインはスライダーだ。
俺は首を横に振り、拒否する。
それでも小島はもう一度スライダーを要求してきた。
俺はもう一度首を横に振る。
「タイムッ」
小島はタイムを取り、小走りでマウンドに来るなり、俺の頭にミットを被せて囁いて来た。
「佐々木!お前、相手に花を持たせてやろうとか思ってないよな?」
「い、いや、そんな事は…」
「お前、勘違いすんなよ!」
「え?」
「最高の球で勝負してやるのが礼儀だ、お前の今日の最高の球は何だ?」
「は、はい…」
小島は俺のケツをポンと叩いてポジションに戻っていった。
一つ大きく息を吐いて、三塁側の内野席に目をやると、数少ない応援団の中、きたはら君が必死にメガホンを叩いて応援してくれている。
俺はキャッチャーのサインを確認すると、セットポジションから最後の力を振り絞って投げた。
スライダーを。
外角やや真ん中よりから、鋭く曲がって逃げる様に外に外れるスライダーに猿渡のバットが空を切る。
『ストライッ!バッターアウト!』
空振りしたままホームベースを見つめて動かない猿渡を眺めながら、俺はゆっくりとマウンドを降りた。
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