第11話 ー派遣切りー
「き、きたはら君!?」
驚きを隠せない俺の目の前で、笑顔の少年【きたはら君】が、憧れの女性【北原さん】に姿を変えて行く。
「北原さんっ!」
思わず抱きしめた俺の腕は宙を切り、目が覚めた俺は抱き枕を抱きしめていた。
寝ぼけた目をこすって枕元の時計を見ると、デジタルの表示はAM7:00を示している。
甘酸っぱい気恥ずかしさを隠すように手早く身支度を整え、スーツを着込むと会社へと向かった。
**********
会社に着くと、工場の方が何やら騒がしい。
「おはようございまーす!」
わざと大き目の声を掛けて工場を覗きこんだ俺の目に入ったのは、怒り狂う工場長の姿だった。
「おはよう、鈴木君」
ベテラン印刷工の加賀が、我関せずを貫く様に無関心な表情で挨拶を返す。
「どうかしたんですか?」
「いつもの事だよ、また猿渡君がやっちゃってね」
騒ぎの方に目を戻すと、工場長の前に居るのは壊れたオモチャの様に繰り返し頭を下げる班長と、その横で所在無げに横を向く猿渡だ。
「猿渡さんって良くミスするんですか?」
「う~ん、作業は丁寧なんだけど、呑み込みが悪いって言うか…、彼、派遣でしょ? 多分次で契約切られるんじゃないかな…」
加賀は憐れむような言葉を返したが、その口調はひと事の様に熱がこもらない。
だが、ホークスの猿渡の事が頭に残っている俺は、ひと事とは思えずに更に質問を続けた。
「猿渡さんって、奥さんとかお子さんいらっしゃるんでしたっけ?」
「確か去年別れて子供の養育費で大変みたいな事言ってたけど…、それよりも親の介護の方が大変みたいだよ」
「えっ!?介護?」
尚も食いつこうとする俺に、加賀は迷惑そうに話を打ち切った。
「あんまりお喋りしてると、僕まで工場長に叱られるから…」
事務所に入って自分のデスクに腰を落ち着けると、北原さんは既に自分のデスクでノートパソコンとにらめっこしている。
「お早うございます、北原先輩!」
「あ、お早う、鈴木くん」
振り向いた北原さんは、心なしか浮かない顔をしている。
「どうかしました?」
俺の質問に、少し口を尖らせたまま考える素振りをした北原さんは、申し訳なさそうに答えた。
「鈴木くん、今日は朝から謝罪よ」
「え!?」
「モーリスブライダルのパンフレット、納期に間に合わなさそうなの…」
(マジかよ…)
モーリスブライダルの案件は、北原さんがずっと扱って来た仕事だ。
(あ!もしかして今朝の騒動ってその事…)
「それ、もしかして猿渡さん…?」
北原さんは憐みを込めた表情で頷くと、無理に作った笑顔で俺にハッパを掛ける。
「さ、グチってても仕方ないから、鈴木くんはいつ納品できるか工場長に確認して来て!」
**********
「失礼します」
工場の片隅にブースで区切られた工場長の部屋に入ると、班長と猿渡がうな垂れてソファーに座っている。
「鈴木、すまんな」
右手を上げて一応の謝罪の形を示す強面の工場長に、臆することなく俺は質問した。
「で、いつなら納品できます?」
「出来るだけ急がせるからさ」
その口調からは、『こんな若造に頭を下げるものか』という意固地なプライドが見え隠れする。
この前までの俺ならビビって引き下がっていた所だが、プロの大舞台を経験したからか、不思議と平常心を保てている。
「いや、期日を切って貰わないと先方とも話のしようがないですよ」
工場長は、簡単に引き下がると思っていた俺に食いつかれて意表を突かれている様だ。
「いつって…、いつならできるんだ、ナベ!」
急に話を振られた班長の渡辺はしどろもどろだ。
「ふ、二日遅れなら…なんとか」
大人しく話を聞いていた猿渡が猛然と反旗を翻す。
「二日じゃ無理ですよ、三日は貰わなきゃ!」
「なんだとぉ、そもそも貴様が!!」
俺だけならまだしも猿渡にまで反論されて、工場長はまたも爆発寸前だ。
「あ~もう!分かりました、先方には三日遅れでお願いしてみますから、絶対守って下さいよ!二度目はないですよ!!」
俺の譲歩に、工場長は渋々ながら矛を収めた。
**********
『パシッッ』
小気味いい音を立てて、俺のスライダーが北原さんのミットに飛び込んで行く。
「ナイスボール!」
爽やかな声と共にストライクの返球が帰ってくる。
仕事終わりのいつものバッセンで、俺と北原さんは新球にチャレンジしていた。
スライダーは自分に合っているのか、思ったよりすんなりと曲がってくれる。
「それにしても意外なほどすんなり許してくれましたね」
「まぁ、これまで散々無理聞いてきたからね」
朝いちで謝罪に行ったモーリスブライダルの担当者は、拍子抜けするほどあっさりとこちらの謝罪を受け入れた。
とは言っても、追加予定だった発注分については大幅な値引きを飲まされるハメにはなったが、とりあえず取引停止という最悪の事態は免れた。
「猿渡さん、どうなるんですかね~?」
今度はスプリットにチャレンジしてみたが、指に引っかかり過ぎたボールは北原さんの遥か手前で地面に叩きつけられ、明後日の方向にバウンドしていく。
「あっ、もうっ!」
「ごめんなさいっ!!!」
ボールを取りに行こうとする北原さんを制して、ダッシュでボールに駆け寄った俺は、息を整えながらボールを北原さんに手渡しした。
「そっか、鈴木くんはまだ聞いてないよね?」
北原さんは悲し気に目を伏せて話し始める。
「猿渡さん、今月一杯だって」
「え?そんな急に!?」
「工場長が激怒してるらしいの、派遣の人は人事部の管轄じゃないから、もうどうしようもないわ」
北原さんは、ミットをはめていない方の手で鬼の角を作ってみせる。
「そんな…、猿渡さん、介護もあって大変らしいのに…」
絶句する俺を余所に北原さんは続ける。
「仕方ないわよ、会社は福祉事業じゃないもの。今回の件の損害を請求されないだけまだいい方じゃない?」
「そうかもしれませんけど…」
不満そうな俺を
「鈴木くん!」
「はい!」
「あなたも人の心配してる場合じゃないわよ」
「はい?」
「ウチの営業は仕事とれなくなったら、すぐにクビよ」
「は、はい…」
「厳しいけど、そういう世の中なのよ」
そう漏らした北原さんの、長くカールしたまつ毛が寂しげに揺れて、とても
俺は空気を変えようと、わざとらしい笑顔で答える。
「分かりました!まずは自分の事ですねっ!」
北原さんは、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、いつもの様に悪戯っぽい笑顔に変えて、俺に囁いた。
「まけるな~、すずき!」
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