第38話
押し黙った美香子を見かねて太田先生はもう一度聞いた。
「夢と脳に一体どんな関係が?進藤先生はなんと説明したんだい?」
美香子は大きく息を吸った。
話してしまいそうになる気持ちを落ち着けるためだ。
本当は楽になってしまいたい。
でも、話せない事情もある。
『機密保持に関する契約書』の罰則には、契約違反を犯した場合罰金の支払い等厳密に記されていた。
太田先生を完全に信用できるまでは、進藤先生が完全に悪人になるまでは、口を割るのは得策ではない。
太田先生は深く息を吐いた。
諦めを感じられるため息だった。
やがて、「随分と進藤先生の信頼が厚いんだな」と漏らした。
「きみたち被験者から実際に話を聞くのが確実だと考えたが、無理なようだ。仕方がないが、僕はこれから別の方法を・・・・」
「進藤は、脳と夢と魂について研究してます」
太田先生の言葉を遮って、後ろから声がした。
振り向くと、明代が起き上がっていた。
目の焦点はしっかりと合っていた。
「高山さん!大丈夫ですか?」
美香子の言葉に、明代は頷いた。
さっきまでのおかしくなった明代ではないのが伝わった。
「大丈夫よ。・・・記憶がないんだけど、私一体どうしちゃったのかしら?」
「矢野さんを殺したと告白して、ずっと倒れていました」
「そう、だったのね。うっすらと覚えているわ。・・・矢野さんを殺したいほど憎んでいるのは本当よ。でも、ただ思っているだけで実行する気は毛頭ないし、まさか夢に見るとは思わなかったわ。それに、私声にも出して言ったのね」
明代が苦しそうに顔をしかめた。
祐奈とその取り巻きから明代がどれだけ蔑まれているかよく知っている。
ここまで明代にとって苦痛になっていたことは知らなかった。明代のことを強くて気高い女性だと思い込んで、明代なら大丈夫だと勝手に思っていた。
一回りも下の外見を取り繕うことしか考えていない頭が空っぽの人間に馬鹿にされて平気な人間なんて、余程自己肯定が強い人間かあまりにも能天気な人間かくらいしかいないのに。美香子だって、祐奈の態度は気に入らなかった。
「気にする必要はないです。私だって、矢野さんのことは大嫌いです。彼女の不幸を願ってことが何度もあります」
「美香子さん、ありがとう。・・・でも、私またおかしくなっちゃうのかしら。もう眠るのが怖いわ」
恐怖の色をにじませた明代の顔を見て、美香子はなんと声をかけるべきかわからなかった。
現実のことであれば、何か力になれたかもしれない。でも、さすがに夢の中まで返させるのは無理だ。せめて添い寝をするくらいしか美香子にできることなんてなかった。
明代は美香子が苦しい時助けになってくれたのに、今何も返せない自分が無力で情けなかった。
再び車内は静まり返った。
太田先生は運転をしながらも、その横顔は険しかった。
難しい数学の問題を解いているように眉間にしわを寄せ、何やら考えているのがわかった。
「そういうことか。進藤先生の目的がわかったよ」
太田先生がバックミラー越しに明代を見た。
「きみの話を聞いて、ようやく合点がいった。話してくれてありがとう」
「進藤先生は、一体私たちに何を?」
明代が前のめりになって訊いた。
美香子も太田先生の方を見た。先生の横顔はすっかり柔らかくなっていた。
「きみたちが研究に協力していたのは間違いない。進藤先生は、脳と心理学の関連性を研究していたんだ」
「それは、一体どういうことですか?」
「そうだね、詳しく話そう。うつ病を代表する精神疾患は正直完全には解明されていない。脳と同じようにね。しかし、脳がなんらかのトラブルを起こして疾患することはわかっている。そして、精神疾患者は睡眠障害を伴うことが多い。だから、進藤先生は夢に目をつけたんだ。精神疾患者が見る夢から脳のどの場所が関与しているかを探ろうとしていたんだよ」
「待ってください。それじゃあ、私も美香子さんも精神疾患者だと?」
「現在、症状の程度に差があれど三人に一人はうつ病で、発症していなくても誰もが疾患しうる予備軍だ。すでに発症している人よりも、自覚症状がないがすぐにでも発症しそうな人の症状を重くした方が研究としては有意義になる。普通の人ならいきなりそんな研究を勧められても変な宗教かと思って拒絶するだろう。きみたちがどうやって進藤と会ったか知らないが、何かしら非現実的なことに悩まされていたんじゃないかい?」
図星だった。
明代も美香子も言葉を失った。
「どうしてそこまで予想を立てられてんですか?」
美香子の問いに太田先生は
「僕も心理学を専門としている。多少はそういう知識も持ち合わせている」
と言って車のスピードを上げた。
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