第31話

進藤先生は、椅子に深く腰掛け、背中をもたれさせ、右足を左膝の上にクロスさせて座っていた。眉間にしわを寄せ、何度も鼻から空気を漏らした。

美香子は側に置いた簡易椅子に黙って座り、その様子を眺めていた。


月曜日の午前10時。美香子は約束通り進藤の元へ向かった。

会社は有給を使って休んだ。体調不良を理由にしたから、病院にきていることがバレても問題ない。

先日明代につれ垂れた通りに先生の部屋へ行き、ドアを開けると、先生は眉ひとつ動かさず「待ってましたよ」と言った。

まるで、美香子は必ず来ると確信していたようだった。


スマホのバイブがコートのポケットの中で鳴った。

送り主はおそらく信一だ。病院にいく途中でも連絡があったので会社は休むが心配しないでほしいと伝えると、何があったのか事細かに聞いてきた。

最後に美香子が送った返信は「今から病院に行きます」だった。

進藤は美香子の様子など微塵も気にせず、というより美香子の存在など忘れるほど集中していた。美香子の今までの記憶と信一の言動が記録されたパソコンの画面を穴があくくらい凝視していた。


信一の返信を確認しようとポケットに手を突っ込んだ時だった。

進藤先生が口を開いた。


「うーん。きみの記憶は実におもしろい。想像以上だ。それに、きみも気づいているだろうが、この男性との接触に比例して記憶の鮮度が上がっている」


先生は画面から目を離さず言った。

それは、美香子も感じていた。記憶を思い出すことと信一と長く一緒にいることは、もうセットとして考えるしかなかった。

美香子の表情が曇る。

純粋に一緒にいたいという気持ちだけで信一と会うことができなくなった。これからは、思い出す記憶にも神経を尖らせなければならない。


「ぜひこの男性にも話を聞きたいところだが、きみの記憶に影響を与えることもあるからやめておこう」


「わたしの記憶に?どうしてですか?」


先生は言葉を選ぶように顎をさすった。


「彼はきみの前世を知っていると言った。でも、それは彼のフィルターがかかったきみだ。つまり、彼の話を聞くことできみが今持っている記憶が改ざんされる恐れがあり、そうなると本当の記憶が二度と手に入らなくなってしまう」


盲点だった。

これから思い出す記憶について信一にも話を聞こうとしていた。

そうすれば、もっと早く記憶が戻ると考えていたのだ。


先生は、美香子の心を察したように続けた。


「焦ることはない。その男性と接触することで記憶の戻る頻度が上がっているのは確かだ。気長に思い出していこう」


美香子は「わかりました・・」と力なく頷いた。



進藤の部屋を後にしてエレベーターへ向かっていると、明代とすれ違った。


「あら、美香子さん。今日はお休みされてたわよね?後で連絡しようと思っていたのよ」


「すみません。この通り元気です」


「よかったわ。・・・それで、ここで会ったということは、そういうことなのよね?」


美香子は明代の目を見て頭を縦に振った。


「そうなのね。なんだか、美香子さんとこうして繋がりが増えて嬉しいわ」


明代は本当に嬉しそうに微笑んだ。

美香子はずっと思っていたことを口にした。


「ところで、高山さんはどうして進藤先生のところへ?高山さんも前世の記憶があるのですか?」


明代はゆっくりと瞬きをしながら、何度か小さく頷いた。


「そうよね、私だけ美香子さんのことを知って不公平よね。・・・明日定時後時間あるかしら?ここで立ち話でする話でもないし、明日私の家でお話しするわ」


明代は「また連絡するわね」と言い残して、進藤先生の研究室へと消えていった。

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